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世界史観(像)の変遷について
今、西洋史で、キリスト教世界史観(世界史像)について調べています。初めのうちはついていけてたんですが、普遍史とか、俗史、聖史とかいろいろごっちゃになってわけが分からなくなってしまいました・・最後にはこのキリスト教世界史観は崩壊してしまうということですが、そこまでの流れがよく分かりません!詳しい方、教えてくれませんか?
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- xx x(@hateha2_goo)
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〈 1939年から1945年にかけての世界大戦が、本当に最後のものであり、「広島」の原爆が、同様に無辜の民を殺りくした最後のものになることを望んでいる、すべての人びとに向けて書かれたものである。また本書は、自分たちの発見が、政治的および軍事的に権力者によって、殺人目的に悪用されるのを見てうんざりしている科学者、天才、そして発明家たちにも向けられている。さらに本書は、人類が現在直面している全面的破壊の絶えざる脅威や不安から脱出するために、世界の運命を引き受けるのに最も適した人びと―――それは最も想像力に富み、私たちの文明にふさわしい新しい世界機構を創出することのできる人びと―――、つまり科学者、天才、そして発明家であると考えている、自分自身は科学者でも天才でも発明家でもない人びとに向けて書かれたものである。 統治するとは、先を見通すことである。したがって、何も見通せない為政者は統治者として失格である。 それでは、なぜ為政者は無能なのか。それは、かれらが民主主義という方法で選出されて、その地位についたからである。全面的民主主義は、選挙民の知能の程度というものを全く考慮にいれていない。そこでは、一人のアインシュタインの声は、愚昧な連中の声に消されてしまう。なぜなら、アインシュタインよりは、愚昧な連中の方が人数が多いからである。 つまり私たちは、愚昧の独裁の下に置かれているのだ。このような独裁がもたらしうる結果を知るには、私たちのまわりを見渡すだけで十分である。 この粗雑な民主主義は「平均政治」でしかありえない。というのも、平均的知性を持った人びとが、必然的に最多数派となってしまうからである。「天才政治」とは、選択的民主主義により、現在行われているような超エリート校でより勉学に励んだ人びとにではなく、平均を越える知性を有する人びとに権力を与えるものである。だから、技術者の中だけではなく、労働者や農民の中にも天才は存在する。手遅れにならないうちに人類の運命を引き受けねばならないのは、まさにこうした人たちなのである。 平均を越える知性をもつ人びとによって世界が統治されるのを望むことは、果たして拙劣な考えであろうか。 世界の終末を告げるための至福千年説の預言者たちは、いつの世にも存在してきたが、かれらは、大衆を魅了する科学的な論拠は何一つ携えていなかった。しかし今や、こうした「至福千年説の預言者たち」は卓越した科学者であり、完全な無神論の哲学者であり、さらには国家元首ですらある。なぜなら、人類の歴史が始まって以来始めて、人間は、自分の惑星の全生命を絶滅させ、またおそるべき原爆の大爆発により、自己破壊しかねない力を手中にしたからである。 人類がこの地球上に誕生して以来、このようなことはかつて一度も生じなかった。だから、私たちは幸運なのだ。この時代に生きることの幸運という意味である。私たち人類という種が、生き残るための責任を担えるという幸運。また、愛と友愛と開花を志向する、新文明である「黄金時代」への入り口に、人間が到達するための責任を負えるという幸運でもある。 _ 弥勒菩薩 ラエル 〉 〈 統治形態の変遷小史 人類が誕生して以来、一体どのように人間は統治されてきたのであろうか。 今でははっきり言えるが、まず最初は、最も強い者たちが、自分たちの掟を他の者たちに物理的に押しつけたのである。 強者はその力によって、富や財産を蓄積していった。強者の子供たちは、その富を相続し、こうして強者の統治は有産者の統治へと移っていった。 有産者は統治し、彼らの従者の中で最も知恵のある者たちによる緒発見によって、次第に知識を獲得していった。 次に有産者たちは、専門知識人による統治を実現するため、かれらの知識を民衆のすべてには与えないように気を配った。 こうした専門知識人たちは、世襲の優越性を一般民衆に信じさせて、民衆を搾取し抑圧し虐待したのである。 やがて民衆は、こうした専門知識人たちを打倒し、自分らを統治する他の専門知識人たちを民主的に選び出すにいたった。 「権力の座についた知識人」であった。 しかし、知識は知性ではない。だから、事はうまく運ばない。なぜなら、知識というものは、どんなコンピューターでも行うことのできる記憶作用にすぎず、それによって問題の解決策を発見することはできないからである。 そこで「統治する知識人」は、その権力を保持するために、天才たちの発明を利用し、善意の発明家たちが考え出したものを殺人目的に利用した。 ついで「統治する知識人」は、管理の技術を教える高等専門学校を創設した。つまり、「高級官僚」の養成である。これらの高級官僚は、他者の発明を、自分たちの利益のために利用して統治することを学んだ。 権力を持つ天才が、権力を持つ知識人にとって代わらなければならない。 高等専門学校が提供するのは天才では全くなく、いっぱいに詰めこまれた記憶でしかない。良識と知性を獲得するのに、この学校を卒業する必要はない。 どの世代も、発明家たちを生み出すが、人類という種の生存を危険にさらすために、権力がそれを利用する。そして、こうして利用され裏切られた発明家たちは、自分の発明品が、罪もない人びとを殺りくするために用いられるのを見て、嘆く。 こうしたことは、もう続いてはならない! 人類を今も進歩させ、また常に進歩させてきた唯一の人びとに、権力を与える時である。それは、統治している時に、自分たちに何ができるかを示す機会をすべて持っていた、筋骨たくましい乱暴者や有産者、専門知識人、政治家、軍人のいずれでもない。そうではなくて、それは、自分たちに何ができるかを示す機会を全く持つことができずにきた唯一の人びと、すなわち天才たちである! もしアインシュタインが、自分の発明が何に利用されるかを知っていたなら、かれは決してその利用を許さなかったであろう。しかし、かれがそれに気づいた時には、もう遅すぎたのだ。 軍人という組織された野蛮人たちが、すでに空飛ぶ要塞で「ヒロシマ」に向かって飛んでいたのだった。 しかしまだ、天才たちが、かれらに加えられる政治的、軍事的な圧力を拒否し、独立と非暴力の思想を確認して集結し、かれらの発明の利用を決定するのはかれらのみであることを、強く要求する時間は残されている。 そして人類が、その中で最も重要な素材、つまり天才たちを利用する時間は、まだまだ残されているのだ。 しかしまだ、天才たちが、かれらに加えられる政治的、軍事的な圧力を拒否し、独立と非暴力の思想を確認して集結し、かれらの発明の利用を決定するのはかれらのみであることを、強く要求する時間は残されている。 そして人類が、その中で最も重要な素材、つまり天才たちを利用する時間は、まだまだ残されているのだ。 したがって、思考し、反省し,想像することに他の者より適した者が、社会の管理のために利用されるべきである。それは、人体が脳細胞を、その管理のために利用するのと同じである。 天才をして人類に奉仕させること、ここにこそ「天才政治」の意義がある。 〉 ?
- notnot
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下記の本が参考になりませんか?大変面白かったです。 教養として知りたいのか、学校の試験・レポートのためなのかによって役立ち具合は違うかもしれませんけど。