- 締切済み
食べる事は、悪い事でもないですか?
食べる事を反省しない(悪い事だと、思わない)社会は、健全とは、云えないのではないか?
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
みんなの回答
- izumi044
- ベストアンサー率36% (1333/3623)
食べるという行為を、飽食や食道楽という意味でおっしゃっているのでしたら、毎日、食べられることなく廃棄処分になる食品で溢れている今の世の中は、健全とはいえないでしょうね。 ただし。 人間は霊的な存在というお話でおっしゃっているのでしたら、生ある人間は肉体に縛られています。 その肉体がなければ生命活動を維持できませんので、エネルギーの摂取は必要不可欠です。 仙人のように誰もが霞を食べて生きられるわけではないですから。 医食同源という観点から考えても、食事は大切なものです。 ですから単純に悪いものとしてしまうのではなく、その意味を考えて必要なものをいただく・感謝することが大切となるかと思います。
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
むしろ必要な物を必要な量だけ食べている自然界の動物の方が健全ではないですか?ペットや家畜は飼っている人間の食を反映しているにすぎません。 飽くことなき欲をいかにかき立てるかに夢中になって多くを無駄にしている人間独特の食にこそ問題があるのではないでしょうか。 たしかに意志の力を生き方に反映できるのが本来の人間だと思いますが、その意志がおかしな方に行っていて直せなくなっている場合はあります。
生きるために食す、至って健全。 反省などする必要が無い。 では、点滴だけで生きられるかと言えば、生存するに最小限のエネルギーしか得られないので、活動できない。 活動できないという事は、子孫を残せないという事。 これでは、DNAの継承と言う目的を果たせない。
お礼
人間は、動物じゃない。
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
食欲という欲を満たすことを目的化することが人間を束縛して不自由にするという考え方があります。 だから全ての欲から離れることが悟りを求める者の守らなければいけない戒律であるとする。生命を維持する最低限以上を求めてはいけないと。 これにはある程度の合理性を私は認めます。 しかし、一旦これがある宗派の戒律と定められると形骸化してむしろ自由な心を束縛します。 そして文化を認めない心ははたして自由な精神と言えるだろうかという疑問を感じます。 だからルネサンス期の美術は肉体やエロを見直してキリスト教以前の神様はどうなの?というテーマを発掘したのでしょう。 身体と精神が分けられないものであることを認めるならば、食べることを反省するのではなくて食べ方やその目的や内容が人間としての本来、あるいは貴方の考えるところの善を外れてはいないかを考えるべきではないでしょうか。 確かに食欲を本能だから善と全肯定して煽るばかりで消費こそが目的だとする社会には反感を感じます。 拒食症についてですが、変化する自分の肉体に対する違和感や拒否もあるかと思いますが、これは根底には成長期の食欲や摂食量が異常に多い事実があるからではないでしょうか。だから成長期が終わる頃にはこのままの量ではだめだよとブレーキをかける心理的メカニズムが働くというのが裏にあると私は考えました。単に思いつき的な自説にすぎませんが。
だからこそ「いただきます」なんですよ。 いただくのは他者の命です。 他者の命を取り込むことで自らの命の糧とする行為が「食事」です。 その自分の為に犠牲となる多くの命に対する感謝の言葉が「いただきます」 これは海外には無い考え方らしいですよ。 反省ではなく「感謝」です。 生物である以上他者の命を犠牲にしなければ自己の命を保てないです。 これは人間社会の問題ではなく生物で有るが故です。 人が機械などになればやがては不要となるかも知れません、今だ人は生物です。
お礼
何か楽観的すぎる気も、します。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9601)
hatarakuzinkaku さん、こんにちは。 食べることが悪だというのは、人間が罪業を背負っているという仏教的な考えからですか?他の動植物、つまり、生き物を食べることで、生き物から命を得ているからでしょうかね。
お礼
食べる事が善だと、私は、動物でしか、ありえないと、思うので、あります。
食べなれば死ぬだけ。 其れの何処が悪いか? 貴方の質問はおかしいです。
お礼
動物として、食わない事は、人格を作るでしょう。人間は、霊なので、ありますから。
お礼
動物は、食べて、ないと、思います。