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なぜ日本人は東京裁判に反発しなかったのか

ハルノートには真珠湾空襲で返したのに 日本の英雄を戦犯として絞首刑にすると判決が出ても 竹ヤリをもってGHQに突撃しなかったのはなぜでしょう 実際のところ戦犯の人の死刑は内心で肯定していた人が当時は多かったのですか

みんなの回答

  • gaimu
  • ベストアンサー率9% (22/232)
回答No.11

>なぜ日本人は東京裁判に反発しなかったのか 戦争に負けたからです。 突撃しても銃殺されるだけです

回答No.10

当時、国家としての主権を失い、進駐軍が法でした。 国際法など無力です。 東京裁判の死刑囚どころか、敗者は全て殺されても 文句は言えません(実際、日本中焼け野原にされた)。 主権のない人間に、主権者(進駐軍)に逆らう事は 不法です。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.9

日本政府との間に取引があった、と言われています。 つまり、日本側は裁判で反論しない。 その代わり天皇の責任は不問にする。 天皇を持ち出されると、当時の人たちは どうしようも無かったのでしょう。

noname#226866
質問者

お礼

もっともらしい理屈があったらそれに飛びついて自分の命を守る 戦争中に死んだ人らは天国で怒り狂ってそうですね

回答No.8

東京裁判で問題だったの事後犯罪のA級犯罪だけ(平和に対する犯罪は第二次大戦後出来た法律だから、戦争中には無かった法律で、後に事後法に対して世界中で問題視されウヤムヤになった)、B級やC級は第一次大戦以前にあった戦争犯罪の法律ですから、日本帝国軍も遵守しています、こちらは裁かれるのが当たりまえ、で朝鮮人なども数多く居ます、から彼らはA級戦犯だけを騒ぐご都合主義なのです。 まあ勝ったものが全てですし、そもそもが白人の優越で有色人種を植民地化していた時代で、竹槍持って機関銃や戦車とやりあうと言うバカはほとんど居ません。 もっとも天皇陛下を絞首刑になんて言ったら、話は違いますが、事実マッカーサーはそれを恐れていたとも言われています、多分ですが、自分が死んでも陛下を守るという人が数十万数百万といたでしょう、いくらGHQとはいえ民間人をそんなに殺したら、戦犯になってしまいます。 >実際のところ戦犯の人の死刑は内心で肯定していた人 その人の気持ちなんて調べる方法もありませんから判りません、また今の人と違い、生き恥をさらすくらいならと言う人も結構居たと思います、そうでなければ特攻なんて出来ませんし、横井庄一さんが生き残った事を悔やんだりしないでしょう。

noname#226866
質問者

お礼

>>戦争中には無かった法律で、 >>勝ったものが全てです だったら突撃して勝てばいいだけです バンザイ突撃と言って弾薬なしで突撃した連隊や旅団が同じ日本にあるわけだから日本国民が集まって突撃できない理由がないです

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34516)
回答No.7

はい。東京裁判の冒頭で日本の弁護団は「この裁判は裁く理由を遡って裁いているから無効である」と裁判そのものを否定する陳述を始めました。 例えば今、「政府に断らずに株を買ったら犯罪」という罪ができたとするじゃないですか。それで「お前、2年前に政府に断らずに株を買ったな。逮捕する」といわれても「そのときは犯罪じゃなかった。それはおかしい」となりますよね。それと同じで、東京裁判の被告は第二次大戦が始まるときには規定されていなかった罪に問われたので、それはおかしいといったのです。 これは法律論からすると当然のことでありまして。東京裁判はのっけから大紛糾することとなります。弁護団がいうことは尤もだし、もしそれが通ると東京裁判そのものが行えないことになります。これはもう連合国側の「敗北」になりますよね。 結局、マッカーサーの意向もあって、裁判長権限で「うるさい、うるさい。裁判はやるといったらやるんだ」と強引に始めることとなりました。日本側は敗戦国なので、抵抗できるのはそこまででした。 またご存知の通り、戦争中は政府と軍は真実を隠し続けて国民に大本営発表をしていました。敗戦で次々と隠されていた真実が明らかになって当時の政府首脳は「国民にウソをついて騙し、国民を塗炭の苦しみに追いやった」ということが明らかになったので、そりゃあ「死んでもらわないと収まらない」と思っていたと思いますよ。特に昭和天皇はそう思っていたでしょうね。「お前たちが絶対に勝つというから開戦の詔勅に同意したのに、こんなに国をボロボロにしやがって」と思っていたのは明らかです。

回答No.6

国体護持が第一優先だからです。 (裁判前に、恐らくマッカーサーは  天皇を裁判にかけないと決めていたと  思われます。)

回答No.5

昭和天皇の,『終戦の詔勅』が,ラジオで放送されたので,一般の日本人は,武装放棄・解除し,速やかに,それぞれの日常生活などに戻って行きました..終戦間際の日本は,皆,厭戦気分で,食糧も無く,竹槍訓練は,一応,行われていましたが,ほとんど,形だけで,実戦に使えるとは,誰も,思ってなかったと思われます..旧日本陸軍からは,一般市民は,いざとなったら,アメリカ兵相手に,素手や鎌などで戦うように,マニュアルを用意して,配っていたようですが,回避出来て良かったですね‥食糧も無く,餓死者が出始めていた日本では,終戦直後は,米が不作で,餓死者が続出したり,外地から,復員して来た日本人も多く,食糧難で,アメリカなどからの,緊急食糧支援などで,なんとか生き延びられたようですので,天皇制も,廃止されませんでしたし,一般の日本人などは,解放された雰囲気だったと思います..日中戦争を含めて,15年間も,戦争をしていたので,戦争が終わって,安堵していた方なども,多かったのではないでしょうか‥‥日本人の戦犯については,いわゆる,A級戦犯に指定された方は,終戦後に,自決したり,自殺されたりした方なども多く,特に,東條英機氏は,何故か,ピストルで,自分の腹部を撃たれて,自決出来ず,絞首刑になっていらっしゃるので,獄中死した方もいらっしゃるので,なんとも言えませんが,東京裁判自体は,判事に,中国(当時は,中華民国政府)も含まれている為,基本的に,日中戦争に関する戦争犯罪に重点を置いた,判決や裁判,A級戦犯指定のようなので,太平洋戦争の戦後処理に関しては,B級,C級などの戦犯に指定された,旧日本兵の方などが,多かった気がします..

noname#226866
質問者

お礼

日本人って民間人も軍人も上から脅迫されて無理強いされないと軍隊行動ができない国なんですね なんで軍人が尊敬されないのかわかります

  • gavann
  • ベストアンサー率7% (12/159)
回答No.4

戦争に負けた後では反発するのは無理でしょう。逮捕されるだけです

noname#226866
質問者

お礼

100人だから逮捕されるんでしょう でも武装して数十万人なら制御不能です

回答No.3

実際反対した人は結構いましたよ しかし彼らはことごとくGHQに口封じされて消されました そんなのを見せられたら国民は怖くて反発できないでしょう まぁ 戦争中なら軍部に煽られてでも決起したかもしれませんが 武器も気力もない戦後のあの時期では無理です

回答No.2

そんな気力体力があったら戦争を続けています。 子供は飢え、大人もその日を生きるだけで精一杯な時期、お国のお偉いさんがどうなるとかそんなことを考える余裕はありませんでした。

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