※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本人が食前に頂きますと言う作法の生まれは戦時中の)
日本人の頂きます文化は軍事教育なだけだった
このQ&Aのポイント
日本人の頂きます文化は、実は戦時中の旧日本軍の教育であり、古来からの文化ではない。
典座教訓や赴粥飯法には、作る人が食事を出す前に祈りを捧げるという文化があるが、目の前に出された食事に対する感謝は求められず、かえって食事の一部を他のものにさらに差し出すことが美徳とされていた。
戦前の日本人の教育では、少ない量でも他に回すことが礼儀作法とされ、残すことが美徳とされていた。
日本人が食前に頂きますと言う作法の生まれは戦時中の
日本人が食前に頂きますと言う作法の生まれは戦時中の旧日本軍の指導であって古来からの日本文化でないと言ったら道元の典座教訓と赴粥飯法に頂きますという文化があったというので読んで見たが道元は典座教訓と赴粥飯法において頂きますを言いなさいなど指導していない。
小笠原流の礼儀作法も頂きますを言いなさいとは教えていない。
典座教訓と赴粥飯法も頂きますと言いなさいなど教えていない。
やっぱ旧日本軍が教育指導で盛り込んだ文化だった。
ちなみに典座教訓と赴粥飯法で食べ物への感謝は食べる人ではなく作る人が食事を出す前に祈って済ましておくものであって、目の前に食事を運ばれた人がその目の前の食事に対して感謝する命を頂くと感謝することはなく、逆に目の前に出された食事のご飯粒を7粒以下の数を取ってお膳に乗せて、お米を人間以外の者に差し出す行為が善深いと言っていた。
要するに命を貰って感謝どころか、命を貰った命を他のものにさらに差し出すことを美徳とした。
感謝して全部を綺麗に完食するより7粒の米を虫などに食べ与えることの方が大事だと説法している。
命を粗末にするなという教えなどではなく命を粗末にして7粒の米を無駄に捨てることを推奨していた。
ご飯を綺麗に1粒残らずおかずも全て完食せよという教えも多分、戦時中の旧日本軍の教育だったようだ。
戦前の日本人は残して分け与える方に美徳文化があった。
量が少なくてもちょっと他に回す文化が礼儀作法だった。
日本人の頂きます文化は軍事教育なだけだった。
お礼
ありがとうございます 今度は聖徳太子かい。 本当に聖徳太子が頂きますと言ってたのか調べてみます