足軽について
応仁の乱のことを調べていて、「足軽」のことが気になりました。それで、とりあえずWIKで検索してみたのですが、いくつか疑問点があります。ご回答は全部でなくても構いません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E8%BB%BD
(平安・鎌倉・室町時代)
1 「伝統的な戦闘形態は個人戦から集団戦へと変化し始め」とあるのですが、この変化の要因は何でしょうか???
2 「また、足軽を雇ったのは大名といった武家に限らず、東寺など寺社勢力も自衛のために足軽を雇った。」とあるのですが、普段、雇われていないときは、どんな身分で何をしていたのでしょうか???
(戦国時代)
3 「戦国時代を迎え集団戦が本格化・大規模化していくと、」とあるのですが、この要因として「鉄砲の伝来」が影響していると考えてよいでしょうか???影響しているとしても、どのように影響したのか分かりません。他の要因は何でしょうか???農業生産高なんかも関係するのでしょうか???
4 「兵卒の身分は依然として武士と農民の間に位置して低かったが、」とあるのですが、戦国時代には、殿様の録をはみ、殿様専属の戦闘員として戦に参加した「武士としての足軽」と、普段は農業を営み、副業として戦に参加した「農民としての足軽」の2種類の足軽がいたと理解してよいのでしょうか???
5 「戦国期の足軽は非常に重装備であり、大型の手盾をもたないことを除けば重装歩兵とも比較できる装備を整えていた」とあるのですが、戦では、足軽といっても、お金がかかる時代になったということでしょうか???足軽が戦に出るにあたって、どれくらいの自己資金が必要だったのでしょうか???
6 「足軽は正式に登録された下級武士であり、雑兵は戦いがあるたびに金銭で雇われる軍兵のことである。」とあるのですが、戦のない時の雑兵というのは、どんな身分で、どんな生活をしていたのでしょうか???
7 「戦国期における足軽による分捕り行為については、海外の資料にも残り、ルイス・フロイスの『日本覚書』1585年6月に「我らにおいては、土地や都市や村落、およびその富を奪う為に戦いが行われる。日本での戦はほとんどいつも小麦や米や大麦を奪う為のものである」と記述され、西洋との行動の違いについて比較している。」とあるのですが、「西洋との行動の違い」ってなんでしょうか???
お礼
昔は今のような平和な時代じゃなかったから 雑兵レベルや農民でも山賊と戦うスキルがあったんですね