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久し振りに行った所が随分狭く見える現象
久し振りに行った所や、久し振りに来た所が、以前に来た時や、自分が想い描いていたイメージと比べて、随分狭く見える時ってありませんか。 そういう現象が起きる理由を説明して教えて下さい。
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心象内に写るものと実物とが離れていて、その時間が長い場合、ひとりでに大きく印象付けらるからでしょう。一種の既知感(déjà vu)に通じるものがあるようです。 子供の時に心に刻んだものが、後で小さく見えるだけでなく、画像で見る俳優などが実際に見ると思ったより小さく感じることがあるのも同様だと思います。
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- terminator_5
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私もよくありますが、初めて行く場所はこの先に何があるのかと期待と不安を描きながら歩いていると、記憶には随分と歩いたように記録されますが、久しぶりに行って見ると既に覚えている風景が連続するだけなので、新しく記憶に入って来る情報も少なく、意外と狭く感じるのかもしれません。
お礼
期待と不安などが、幻想的にスケールを膨らませているようですね。 実際確かめると、情報が確定してしまう分、イメージが取捨選択されて、スリム化するんでしょうかね。
- Dr_Hyper
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視線の高さによって広さの感覚は結構変わるので, 1 自分の身長が伸びた。 小学生のころに住んでいた場所を訪れると伸長がたかくなったことで,視野がひろくなり,一定の空間は狭く感じます。 2 以前過ごしていた場所 これも例えば座っていた時の記憶が残っていると, 久しぶりに訪れるときはフラット立って歩くのでこれも上から見る場合としたか見上げるばあいでの高低差で違いが出てくるのかも知れません。
お礼
子供の頃は、体も小さく、視線も低いですね。 座って覚えた時のほうが、大きく印象を抱き、立ち上がった時のほうが、スケールダウンして印象付けされるという事でしょうかね。
- technatama
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「久し振り」というのが、どの程度の時間が経過した場合のことなのかが分かりませんが、私がご質問のような状況を感じるのは、子供の頃、かなり広いと思っていた場所に、成人になってから訪れてみた際に、こんなに狭かったのかと思うときぐらいです。 つまり、子供の頃の体格は、大人よりもかなり小さいわけで、その体格で見ていた周辺の広さ、高さ、距離などが、成人の基準ではこの程度だったのかと再認識する場合です。 子供の頃は、勇気をもって飛び降りたはずだったのに、なんだこの程度の高さしかなかったのかと、思ったことはあります。 私の場合、成人になってからの意識で、時間が経過したからといって、そのように感じることはないと言えます。
お礼
子供の頃、広いと思っていた所に、大人になって訪れると、狭い印象を受け、つい本当か再度確認しようとしてしまいます。 体格が基準になって、相対的に周りを比べて印象としてるわけですね。 勇気を出して子供の頃に飛び降りした所も、大人になると世間体もあるし、運動神経は鈍っているし、怪我をしたら生活への影響も大きいし、体も硬いし、体重も重いから背骨や腰への衝撃も大きく、大人はリスク的に多くの負を抱えていますね。
- ネコ だつらく(@LastPierrot)
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小さい頃住んでいた場所が今行くと道も建物も小さく感じます。。 個人的にはおそらく、体の成長により広かったところが狭く感じているだけなのかと思います。
お礼
感じますよね。 何歩も走ってやっと着いた距離も、大人に成れば歩数少なくして付きますから、そうかもしれません。
お礼
心象内に写るものは実物よりも印象が大きくなるんですね。 子供の時に遊んだ場所に行くと随分小さく見えてしまい少し寂しかったりします。 芸能人も実際見ると小さく見えるんですね。