- ベストアンサー
生物の生き残り戦略とは?なぜ使われるのか
- 生物の進化を説明する際には、その生物が過酷な自然環境で生き抜くために持っている特徴や能力を捉え、「生き残り戦略」という言葉が使われます。
- しかし、犬の鼻のよさや砂の篩いにかかる例との比較は的外れであり、生物の生存戦略は必ずしも合理的な意思決定や計画的な遺伝子の変異によって形成されるわけではありません。
- なぜなら、生物の進化は偶然の変異や自然選択によって起こるため、その結果として生じた特徴や能力が生存に有利であったかどうかが評価されるからです。
- みんなの回答 (10)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
戦略は主体的な意思をもって立てられるので、私も仰る通りの違和感を感じますね。 種はDNAのプログラムによって、刺激への反応の仕方が違ってます。最終的には自己保存の目的を持ったプログラムになっています。同じ目的の異なるプログラムが、異なるやり方を取っているので、それを擬人化しているのでしょう。 プログラムの創出にはなんらかの恣意的な自然の力があったかのような、つまり、意思があったかのような含みを持たせた方が、意味深に聞こえるという表現上のテクニックとして使われる場合もあると思います。 でもまあ、生き物の反応には戦略なんて主体的な意思はありませんよ。DNAのプログラムと環境のパラメータがあるだけです。たぶん。。
その他の回答 (9)
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
9の回答者です。追加で失礼します。 このような表現方法ですが、修辞学・語学的には「比喩・譬喩」ということになると思います。 「私の心に一筋の光が」の「光」=希望の譬喩、「頭の引き出しの奥にしまった」の「引き出し」、「ラーメン屋戦争」の「戦争」=激しい過当競争と同じような「隠喩」ということになるでしょう。 このような表現は紋切り型=俗っぽい、型にはまった表現になりやすいという欠点があります。(多くの人が共通に持っている観念をもとにしているから) また科学や生物学の世界では正確な把握や認識を妨げる場合もあるので、使うとしても註釈付きで使うとか気をつけないといけないなと思いました。 まあ「カンガルーは胸のポケットに思い出をしまった」などだったら書いても間違う人はないでしょうけれど。 子供の頃ファーブル昆虫記(偕成社版)の後でシートン動物記(同)を読んだ時、その擬人化表現と人間の価値観の当てはめにひどく違和感を抱いた事を思い出します。でもファーブルを後で読んでみるとこれが実は譬喩的表現だらけなんですよね。擬人的なのも多い。 人間とかなり離れた生物だからなのでしょうか。違いを考えてみたい。
- Postizos
- ベストアンサー率52% (1786/3423)
なるほどそうですね。 「適者生存」が「強いものが・うまく立ち回ったものが生き残る」というふうに誤解というかそういう思い込みがあるからそういう表現が出てくるのでしょう。 事実は単に環境に適合したものが残るというにすぎないのですが、人間が生き残るためにいろいろ工夫して頑張るというような感覚を持っているからそれにすり合わせてそういう表現が出てくるのだと思います。 今の人間の人生観・社会観・世界観の投影でしょう。
別に無理はないですよ、実際に有る事ですから 例えば、殺虫剤で害虫を殺すとします 全滅させられれば良いのですが 万が一、瀕死の状態で生き残ると その生き残った個体から生まれてくる子供は 殺虫剤に対して耐性を持って生まれてきます また医学の分野で問題になっているのが耐性菌 人類がペニシリンを発見してから細菌に対して 対抗策を生み出しましたが 暫くするとペニシリンが聞かない耐性菌が生まれてきました そうなると、人類はまた新たな抗生物質を生み出しましたが それすらも効かない耐性菌が生まれてきました 以後、人類と細菌のイタチごっこが続き 現在に至ります この様にこの地球に生まれし生き物は 絶滅の危機に陥るとそれを乗り越えるが如くの 子孫が生まれてきます そうした結果、危機を乗り越える環境に適した個体のみが 結果として生き残ったと言う訳です ザルの例えで言えば、大きな砂は結果として生き残ったと言えます もし、砂が鉱物ではなく生物だと仮定した場合 落下ギリギリで残った大きさの砂は 次の世代を生み出す際大きな個体になる筈です それが絶滅を避ける際の生き残り戦略です
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34516)
進化は今の科学の分野でも最もホットなトピックのひとつです。逆にいうとツッコミどころ満載の分野でもあります。ツッコミどころがほとんど残されていない物理学はそんなにホットな分野にならないですからね。 確かにおっしゃるように、特にダーウィニズムで進化を説明しようとすると矛盾する話だらけになります。それは事実です。 しかしその一方、質問者さんのいうような「極論、偶然だぜ論」もそれで進化を説明することは不可能です。なんという名前だったか、ある小鳥の求愛行動は、まだ交尾ができない若いオスと交尾ができる成熟したオスが交互にさえずりダンスを踊るというものなのだそうです。偶然、まだ若いオスと成熟したオスがなんかハモったらそれがメスの心をグッと掴んだということはあったかもしれません。でも、その偶然が次の代、その次の代、あるいは同じ代でも他のオスたちにまで広がるのには偶然だけで片付けるのは数学的に無理は生じてしまうとは思います。 「偶然だけでも、戦略だけでも全てを説明するのは不可能」ってことなのでしょうね。なにしろまだ人類は「進化したその瞬間」を見たことがないのです。 んで、「そいつァ戦略だぜ」という見解が出るのは、それは一神教による影響が大きいのではないかなと思います。一神教の教えでは「神が世界を作りたもうた」となっています。どこまでそれを信じるかはさておき、特に西洋人の価値観にはこの一神教の宗教観が大きく影響を与えているでしょう。その「偉大な意志によってある方向が付けられる」というのは一神教ならではの考え方なのではないかなと思います。 質問者さんが戦略論に否定的な見解を持つのも、日本人的宗教観の影響があると思います。もちろん、私にもね。東洋的哲学の影響を我々は受けているのですよ。万物流転は東洋的価値観ですからね。「西洋的価値観が正しく、東洋的価値観が間違い」という意味ではありませんので、念のため。 ただ今の科学界というのは西洋哲学をベースにしていますから、当然西洋的宗教観の影響を受けていることは否めないと思います。もっとインド・中国的哲学に基づく考察が進めば進化論も思わぬブレイクスルーが見つかるかもしれません。 進化論もまた進化の過程の中にある、というところでしょうか。もちろん、質問者さんも今の進化論が矛盾だらけで間違っているからといって創造論を支持するわけでもないんでしょう?
進化は淘汰ですからご指摘どおりです。 「生き残り戦略」と言うなら「多様性」を指すのだろうとは思います。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
ザルの例なら、ザルの目より大きいという1種類の 方法が「強さ」なので、戦略とは言い難い。 しかし、生物の「強さ」は、ライオンのように腕力が 強いだけでなく、細菌のように大きさが小さい事も 生き残る上で有利だったりするので、そうした多様な 選択肢を、比ゆ的に「生き残り戦略」と呼んでいる のでしょう。
- OnePunchMan
- ベストアンサー率23% (919/3935)
「単にたまたま生き残った犬とその子孫の遺伝子の変異などの結果です。」 ➡それが進化と言うものではないでしょうか? 多くの研究者も、進化のキーワードは突然変異だと言っていますよ。
「戦略」という言葉をつかうと,偶然の「結果」をそれが「目的」であったかのようにすりかえている,という主張ですよね。そのとおりだと思いますし,ものがわかった人間ならその点を誤解していないと思います。 しかし,ヒト一般の思考様式としては,あたかもそれが目的であったかのような表現をしたほうが,わかりやすいのだろうと思います。歴史ではそういうことがあるんじゃないですかね。フランス革命だって明治維新だって,新しい体制をつくることが「目的」だったかのように習いましたが,本当でしょうか? 不平分子が,なんだかわからないまま刀を振り回しているうちに,なんとなく新政府ができちゃった(最初は明治政府もいいかげんなものだった)では,教科書に書けないのでは 笑?
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
環境が過酷になるというより変化した場合、この環境の変化に適応した生物が子孫を残すことができるので、適応した結果を見れば戦力と呼んでもよいのでは。軍人が選ぶ戦力にしても試行錯誤の結果選ばれた戦略ではと思います。遺伝という過程自身がうまくいくかどうかわからないが、とにかく、それで行ったらうまくいって結果として生き残った子孫が同じ戦略をとるという風にみることもできます。