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響きあうことない人生環境ってありますか?
家族、友達、環境、或は生きてきている経験。 そういう壁の中で反射し、反射させながら日々の生活をしている。私たちは。 人間ってそんなもんですか? 生活でそういう反響してくれる壁がなくなると、人生を生きて行かれるでしょうか? 草深い山中などの隠者はどうだったのでしょうか? 皆様の思いや思索をどうかお話しください。
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人間関係、社会環境は、確かに「自己」を 反映する。 しかし、認識をさらに深める事によって、 宇宙そのものが自己の反映(相補性)として 捉えられる。
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- oyatsuya
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自分に何らかの欲があると、それを満たすには相手が必要だから、その欲に対応する相手との響き合いの中に身を投じるしかない。そこでは、自分の欲を自覚し認め受け入れて、その欲を満たすことを目的に行動することで幸福と幸福感を得ることになる。 ☆生活でそういう反響してくれる壁がなくなると、 自分の欲に対応する相手が居なくなると、自分の欲を見失う。それまでの欲への執着も無くなる。 だから、新たな欲を自分の中から見出す。それは、それまでとは全く違う欲であったりする。だから、その新しい欲を満たすために反響し合う相手もそれまでとは替わる。 人生って、その繰り返しかもしれないと思います。 だから、 ☆響きあうことない人生環境ってありますか? 無いと思います。 または別の視点からだと、 人の脳細胞は、常に刺激がないと退化して、人としては存在できなくなるのと、脳がコントロールする体のシステムが、刺激の中でも快感的な幸福感的なものによって安定した働きをするし活力も増大するので、脳と体が自然に自ら響き合いを求めるので、 この視点からも、響き合うことのない人生環境は無いと思います。
お礼
確かに欲のない人や人生は稀でしょうが、 私の質問は全くの天涯孤独や、相手や環境がない状況があるという事なんですよ。
- Mokuzo100nenn
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古代インドでは人生を4つの時期に区切るという。 「学生期」(がくしょうき) 「家住期」(かじゅうき) 「林住期」(りんじゅうき) 「遊行期」(ゆぎょうき) 家住期は、家人と折り合いをつけて、我を殺してでも、子育てに優先順位を与える時期。 それが過ぎれば、自由に(=すなわち孤独に)林に住む。 もっと時が過ぎて、人生の終(つい)が近づいてくれば、定住を諦め、放浪して客死するのが良い人生の過ごし方かもしれない。
お礼
木造さん。 まぁ人って全くの孤独ってないですよね。 ありがとうございました。
お礼
さすがのご回答ですが、宇宙を自己の反映と捉えるのはまた、難しいですね。 確かに、そこに孤独は別の意味になるでしょうね。その宇宙の中に万人万物が存在しますね。