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ワークライフバランスって

ワークライフバランスって、当然に大衆の受けはいいので浸透しました。 結局、ゆとり教育と同類の能力低下の為の価値観ではないでしょうか? それが人間の姿として正しいというより、多くの成熟国家が沈むストーリーに過ぎないのかなと思うのですが如何思いますか?

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  • hekiyu
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回答No.7

結局、ゆとり教育と同類の能力低下の為の 価値観ではないでしょうか?    ↑ そんな感じがしますね。 その行き先は、御指摘のように、国家の衰退です。 東ドイツを吸収したドイツは、社会主義に馴れた 怠け者東ドイツ国民に足を引っ張られ、経済が 落ち込み、ヨーロッパの病人と言われるまでに なりました。 それがアジェンダ2010という、労働者を 働かせる政策を採り、今ではEUの牽引役とも 言われるほどになりました。 人間の姿として正しいというより、多くの成熟国家が沈む ストーリーに過ぎないのかなと思うのですが如何思いますか?    ↑ そのストーリーですが、人為性はないでしょうか? 社会主義を越えて共産主義にいたれば国家は否定 されます。 そして、社会主義の夢破れた連中が、人権、環境、 動物愛護、ジェンダーなどに拡散しています。 彼らの残党が仕掛けた、ということはないでしょうか。

unkororin
質問者

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素晴らしい回答ありがとうございます。 社会主義が仕掛けた。か。。。 なるほど。そっちの感覚はあまりなかったですね。 私が、「ワークライフバランス」という、ワードを初めて耳にした時に想像したのは、 アングロサクソンかどこの連中かわかりませんが、海外の賢い人たちの日本潰しなのかなということです。 こんな大衆受けしやすく、大衆が肯定しやすい優れたネーミングをよくぞ考えたなと。これの浸透と共に、確実に国が落ちて行くだろうなと想像していました。 見事にあ~あという感じの国になってきましたね。

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  • moritaroh
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回答No.8

再回答です。 思考のスピード感を持つことと短絡的な判断をすることは同義ではありません。 理念や理想と現実が異なるのは世の常なので、私はワークライフバランスにおける理想と現実の乖離をご説明したまでです。 なぜならば「能力低下の『為の』価値観」とあなたがおっしゃっているからです。 そのため私はワークライフバランスを「(あくまでも理想として)生産性向上の『為の』価値観」であったのではないかと述べたのです。が、「その価値観が能力低下を招く」という現実については、隠喩的ではありましたがむしろなんら否定していません。それは如実に表れていますし、殊更取り上げる必要はないと思えるからです。 ちなみにひとつだけ新しく指摘しておきますが、ビジネスは競争である、と考えておられるあなたのそれも、実際には「現実」ではなく既存市場に依拠した「価値観」なのです。 ITにおけるイノベーションでも、勝者は常にオルタナティブな市場を開拓した者だけです。 その市場開拓をも競争の原理に含めることができなくはないかもしれませんが、必要なのは競争心ではなく、既存の価値観を別の視点から捉え、新たな価値観を生み出すことのできる想像力だと思います。 イノベーターはひとえにクリエイティブでもあると思いますが、クリエイティブな人ほど余暇や睡眠時間が長いという研究報告がなされていますね。 ただ、これはワークライフバランスの是非の話ではなく、むしろクリエイティブな人ほどワークライフブレンドに近い考えがあるからでしょう。仕事という具体的な行為をプライベートで行ってはいなくても、思考だけは常にワークを意識し続けているのです。 結論的に、ワークとライフという線引きをどのように持つか、ということで、必ずしもワークとライフを区分けすればいいのではなく、ともすればその線引きが曖昧であった方がよかったりもします。 なお、ゆとり教育とワークライフバランスでは、その理想と現実のうち、現実において「能力低下」を招いているという同質な結果はありますが、教育とビジネスで因果関係はあれど畑違いになるので、そこまでをブレンドした話は差し控えます。

  • iwashi01
  • ベストアンサー率17% (187/1051)
回答No.6

高度成長期にモーレツ社員でも子供を持てたのは 家庭や地域にその受け皿があったからです いまは家庭や地域社会にそんな受け皿になる余裕はないですよ ワークライフバランスでも、生産性のいい働き方はできると思いますよ。 てか、むしろ頭を使い、生産性を上げないと実現できないと思いますがね。 ま、人生には、24時間仕事に没頭するような時期も必要です そういうことからしか生まれないものもある しかしどこかで仕事以外のこととも帳尻を合わせていく必要があります

unkororin
質問者

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モーレツに働くのは夫婦両方じゃありませんから、地域とか関係ないです。 今時のビジネスは作業員が主じゃないのだから、、、 頭と体をフル回転させて先端技術を駆使して争っているのがビジネスです。 別に、全ての人間が仕事中心になる必要はありません。 自分の好きなように生きればいいのです。 国を挙げて、消極的な価値観に邁進していく様は愚かに感じるだけです。 だいたい、仕事以外で人生かけて夢中になれることなんてどれ程あるのでしょうか? 夢中になることにバランス取りますか? この世に、バランスの良さなんてそもそも無いということがわかっていない。 成熟国家において、経済的に満たされた国民は、努力する目的を失う為に、人間らしいという嘘の怠惰な道に歩みやすくなる。政治も大衆迎合しがちになる。そして衰退する。 人間という資源しか持たない日本が、数も減るわ意欲の低いアホが増えるわどうしていくのやら。そりゃ優秀な学生は海外に行くよね。

  • iwashi01
  • ベストアンサー率17% (187/1051)
回答No.5

ゆとりが失敗したからといって、 詰め込みが正当化されるわけでもないでしょう やることはやらないといけないが、 もっといい方法でやらなくてはいけないということ ワークライフバランスを重視した結果、ある面では生産性が下がるとしても ブラック労働が正当化されるわけでもないわけです 国の将来を考えた場合、ブラック労働が最上ではないでしょう ブラック職場が蔓延した結果、 結婚もできない子供も持てない、ということになりますので 適度なワークライフバランスで、 最も生産性のいいところを狙っていけばいいと思います

unkororin
質問者

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実は、詰め込みはけして悪くはないですよ。基礎知識がなければ、どうしようもないですから。 あとは時代にあった教育をすべきというだけです。 これからは、以下に注力すべきということです。 ・考え抜き課題解決する力の教育 ・理系科目 ・英語 ちなみに、ゆとりの反対は詰め込みじゃないです。 日本の学生にはもっと勉強させないとダメですね。 それから、ワークライフバランスじゃないと、結婚もできない?子供もできない? では高度成長期以降、今まではできなかったのかな? ま~ったく関係ないです。 適度なワークライフバランスってどこですか? 役所の仕事ならそんな話もできるでしょうが、世界中のビジネス戦争の動きが見えていますか?

  • nanasi3de
  • ベストアンサー率34% (135/395)
回答No.4

ドイツは沈む行く成熟国家でしょうか? ドイツはワークライフバランスの点では、日本は見習うべき点が多々あると思うが?

unkororin
質問者

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成熟国家を否定しているのではなく、国が成熟した後に落ちる国が多いという意味ですね。。なぜかは説明するまでもないので省略しますが。

回答No.3

どうでしょう。 日本が中国や韓国に負けた、今後は、ベトナムやフィリピンに負ける理由であり、日本が、イタリアやフランスに追いつかれ、追いぬかれた理由でもあります。 高度経済成長の時期のように、貧しい生活を豊かにする過程には、ワークライフバランスはじゃまになる概念だと思えるし、先進国の給与レベル、生産性を叩き出すには、必要となる概念でもあるんじゃないですか? 要は、年収400万円まではブラックと言われるような働きかたで叩き出せるけど、年収1000万円は超えられない。この壁を超えるのにはどうするか、ということじゃないかと。 ここが分からない、乗り越えられないなら、ご質問者さんのお考えで正しいと思います。

unkororin
質問者

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時間あたり生産性に連動するような働き方ではない仕事のWAYにパラダイムチェンジさせるべきだということですよね。 もはや10年以上前から時間で計算する時代ではない。 解雇規制を緩和し、成果に対する責任を問える状況を作れれば、もう少しそういう議論もできるかもしれませんね。 でもね、さすがに日本は、工場や郵便局や事務員でもなければ、もはやワーカーじゃないですよ。 ちなみに、先進国て、日本は先進国ですよ。 ただ、、、日本が、米国のどっか(米国と総くくりにするのはおかしいので)のような高収益体質にすることと、ワークライフバランスは全くもって関係のない話です。残念ながら、それらを生み出すのはワーク次元の問題ではないですね。 ちなみに、先日米国にいってきましたが、、、 会社は早く帰る人が多いらしいです。 でもね、家でやるんだそうです。 成果責任が問われる為(今の日本は問われません)、当然です。 働く時間を減らすのではなく、主体的にワークできる状況を作るのが本質に思いますが。

  • moritaroh
  • ベストアンサー率56% (658/1172)
回答No.2

>多くの成熟国家が沈むストーリーに過ぎない どのような状況を成熟とするのかといった観念によってワークライフバランスの位置付けも異なってくるように思います。 私個人の考えでは、成熟とは安定や不変と同じような状況であると思います。 先進諸国などを老齢国家と揶揄することもありますが、老齢化、すなわち国家の人口減少期は、急激な人口増大期を経たがゆえの必然です。国家の容態を人間の人生に置き換えれば、成熟というのは人でいう青年期などを指し活力がみなぎっている状態をイメージするかもしれませんが、成熟を安定や不変と捉えれば、老齢状態はむしろ成熟の途上にあり、その先に自然減と自然増のバランスのとれた「成熟した国家」があるのではないか、と思っています。 地球という容積の限られた場所に複数の国家に分かれて人々が暮らしている以上、特定の国家だけが永遠に拡大を続けるには限度があります。そのため、いずれは各国家の適正な人口に見合った適正な消費や生産力で安定を図る必要が迫られてくると思い、この状態を「成熟」と捉えてもいいように思っています(まあ、不変不動であることは「死」とも同じだと思いますけど)。 ですから、拡大を続けることや活力を維持することを成熟とする国家においては、ワークライフバランスを取り入れることは「成熟国家が沈むストーリー」となりますが、安定を成熟と考える国家においては、ワークライフバランスは「成熟に向けてのストーリー」となるのでしょう。 前置きが長くなってしまいましたが、ワークライフバランスは「大衆の受け」が良いかもしれませんが、そもそも論的に、大衆の多くが誤解しているのではないでしょうか。 仕事とプライベートの時間のバランスを図る(つまりはプライベートの時間を増やして余暇などの消費を拡大させる)ことが目的ではあるのですが、その目的を達成するためには「休日を増やす」必要があります。よって「休日を増やす」ために『勤務時間を減らす』ということになるわけです。 これを短絡的に結び、ワークライフバランス=『勤務時間を減らす』という解釈になってしまっているのです。 もちろんこの解釈は間違っては「いないのですが、本来のワークライフバランスの考え方としては、『勤務時間を減らす(休日を増やす)』ためには何をしたらいいのか、という方法を試行錯誤するべきで、つまりは限られた時間の中で効率良く仕事をする『時間あたりの生産性の向上』がワークライフバランスなのです。 短絡的に「休日の増加」や「残業の禁止」という方法を取るのは、ワークライフバランスの考えとは異なり、ただ生産性を下げるだけのものです。『時間あたりの生産性の向上』を念頭に置けば、仕事の量を減らす、という方法は生産性を上げることではないのでワークライフバランスとは言えませんし、「ワークライフバランスで今日はもう帰ります」と途中の仕事を投げ出して帰ってしまったりすることも異なります。 たとえば企業全体での達成目標から逆算し、各部署や社員ひとりひとりが達成目標を設け、それを毎日の仕事の個別の達成目標として振り分けていくのです。その達成目標をクリアするための効率を考え、無駄を削いでいけば、結果として「今日の分の仕事は終わったので先に帰りますね」とか、「今週やるべき仕事が終わったから明日から休みます」となれるわけです。 しかしながら、このような対応ができる企業や職場はほとんどなく、ワークライフバランスを徹底するためには、雇用している人材に見合った生産性へと転換すること、すなわち総じた仕事量を減らすことが必要となるのです。ただ、仕事量が減れば、それだけ賃金も減ります。 つまりは生涯賃金を生活の豊かさの指標とするのはワークライフバランスに則れば難しいことになるので、必然的に『縮小していく社会構造』に対応した価値観が求められてくることになります。 ですから、ワークライフバランスは、今後の縮小の先にある「安定という名の『成熟』に向けてのストーリー」である、と考えています。

unkororin
質問者

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ありがとうございます。 総じて概念的な話ですが、おそらくビジネスの世界で突っ走っている方ではないのだろうなあと。 現実の動きと乖離しているかもしれません。 それは、以下が考えのベースになっているのかなと。 ・ビジネスを役所の仕事か何かと同質に見ている? →ビジネスは、あなたの希望に反して、競争の世界です。基本的に勝つか負けるかに向かう世界です。  やることが決まっていて、作業し遂げたら終わりではありません。 ・市場の縮小を受け入れる=成長はしなくなる規模に応じた安定? →成長への努力を止めた組織は、安定ではありません。衰退です。 ビジネスをやっている人間なら、誰もが肌に感じているリアル。 今や日本大企業すら、先が危うい時代に、完全に突入しました。 過去の歴史の延長に成熟?その平和すぎる感覚はもはややばいです。 今、ビジネスはグローバル競争です。グローバルに勝敗が過去に比較できないほどのスピード感でついていきます。 国同士の人間同士の争いだけならまだしも、テクノロジーが世界中の産業構造をひっくり返します。この3-5年の間に、無人化・少数化する職業がハンパないでしょう。それは世間でいうAI(シンギュラリティ)に到達する前の段階で進みます。てか、すでに製造、金融の世界やら小売の世界やら始まっています。それを世界中に浸透させるなんて、あっという間ですよ。 我々は今そういう時代に生きているのです。 のんびりボケーとしてITなんてわかりませ~ん、なんて言ってる者の明日は残念です。 どんな時代も、努力しないものの期待通りにはなってくれません。

  • 92128bwsd
  • ベストアンサー率58% (2275/3919)
回答No.1

> 結局、ゆとり教育と同類の能力低下の為の価値観ではないでしょうか? その危険はあります。本来は、生活を圧迫するほど仕事をせずに両方のバランスを上手く取れば、仕事も充実し、生活も楽しめると言ういいとこ取りのコンセプトですが、政府や会社はそれを制度で一律実現しようとします。 私の会社(海外)でも、時短のルールを決めてかなりやったのですが、結果としてはもともと忙しくない人、仕事をしない人が働かなくて良くなって、仕事ができる人、忙しい人に余計仕事が集中することになり、あっという間に見直しました。 中には能力と集中力があって短時間で仕事を終らせる人もいますが、大方仕事をもともとしない人が得をする制度になる危険があります。そうなったら日本の経済はガタガタで、まさにゆとり教育と同じです。

unkororin
質問者

補足

そういう感覚を持てる方は賢明に思います。 大半は、自己都合の楽な方に肯定したがるものです。

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