(Q)瞑想してるとき色々なことを思い出して辛くならないようにする方法はありますか?
(A)ありません。
というよりも、辛くなるのが当たり前です。
瞑想と言うと、呼吸に意識を集中してなどと言う説明がされますが、
それは体の部分での問題で、心の問題に踏み込もうとするならば、
辛くなるのが当たり前です。
何しろ、誰にも言ったことのない、自分だけが知っている
自分の悪行を次々と思い出してしまうのですから。
日頃は忘れていたことまで、思い出してしまいます。
それで良いのです。
すべてを思い出して、これ以上、思い出すことはないもない
というところまで行ってください。
そこまで行かないと、次の世界に入ることはできないと
言われています。
(私は、そこまで行ったことがない)
そこまで行くと、すべてを自然に受け入れることができる
つまり、無の境地に一歩近づくことになると言われています。
瞑想というと、座禅を思い出す人もいらっしゃると思います。
座禅と言うと、警策(きょうさく、けいさく)という座禅をしている
人の肩から背中を叩く棒を思い出す人もいると思います。
体験者向けの座禅では、それほど強く叩かないようですが、
本物の修行となると、それはもう、棒が折れることがあるぐらいに
徹底的に叩くそうです。
叩かれることで、過去の自分の悪行を思い出すという効果も
あるそうです。
しかし、全部思い出して、叩かれて、反省しても、まだ、
叩かれる。
そこまで行くと、無の境地に近づくようです。
最初は、痛いだけだった警策が、別の意味を持つようになるそうです。
単に、体をリラックスさせるためだけならば、神経を呼吸に集中
させることで、何も感じない(実際には、感じない、考えない
というのではなく、自らの呼吸に神経を集中させて、それ以外のことを
考えられないようにする)ようにすることが可能です。
しかし、さらに上の段階、無の境地に近づこうと思うならば、
自らの内なる世界と対峙しなければならないようです。
そうすると、過去の悪行を含めて、すべてが自分を作っている
一部であると客観的に受け入れることができる。
逆に言えば、過去の悪行を考えて、心が苦しくなるなどの
精神状態を超越して、一つの単なる事実として受け入れる
ことができるようになるそうです。
辛いですよね。それが、当然だと思います。
だから、多くの人は、無の境地にまで、いかないのだと思います。