- ベストアンサー
ヴィパッサナー瞑想についてお尋ねします
ヴィパッサナー瞑想についてお尋ねします 以前、同じタイトルで別のカテゴリーで質問したことがあるのですが、回答が得られませんでした。こちらで、再度質問させてください。ヴィパッサナー瞑想はお釈迦さまが行った瞑想法と言われています。瞑想法にも色々あると思うのでのすが、お釈迦さまが行った瞑想がヴィパッサナー瞑想だということは、どこに記されているのでしょうか?ご教示いただけましたら、助かります。よろしくお願い致します。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
その手のことも、ずいぶん前に勉強したんですが、細かいことは、全部、忘れてしまいました(^^) たぶん「釈尊はヴィパッサナー瞑想を行っていたのだ」とは、どこにも書かれていないと想います。(古い経典には「明確に気づく」という表記はあるそうですが) ですから、もしかしたら、お釈迦さまの瞑想とヴィパッサナー瞑想は、違うものかも知れませんが、伝統的に伝わっているので、そうである可能性が高いという解釈でいいのかと想います。 たとえば100万年前の人類が食べていた「キャベツ」と、現在の我々が食べている「キャベツ」が同じキャベツであることを証明する手立てはないと想います。 もしかしたら、彼らは、じゃがいもをキャベツと呼んでいたかも知れません。 でも、伝統的にキャベツはキャベツなので、キャベツなんです。 ちなみに中部経典には「アーナーパーナサティ・スッタ:Anapana-sati-sutta」とか、「サティパッターナ・スッタ Sati-patthana-sutta」いう瞑想に関する経典はあります。 でも、経典というのも、後世に編纂されたものなので、誰が、どう書いたかなんて、誰にも判らないというのが客観的事実なんです。教理教学的なことが書いてあるのは、確実に後世に編纂されたものなんです。 また初期の経典ではお釈迦さまのことを「ゴータマ」と呼び捨てにしているものもあるんです。つまり初期には、仏教はまだ宗教団体でなく、とてもフレンドリーな団体であったと推測されるんです。それが、いつしか神格化がはじまり、世尊とか釈尊とか、如来は説きたもう。。。などとなっていったんです。 まあ、そんな感じなんですが多少の品種改良はあるにせよ2500年前のキャベツは、おそらく今のキャベツと同じではないかと”私は”想うのです。 ちなみに、私は忘れっぽく、浅学なので、詳しい方の登場を待ってください。
お礼
丁寧な書き込みありがとうございます。そうですね。後世に編纂された経典に書いてあったとしても、わかりませんよね。 >また初期の経典ではお釈迦さまのことを「ゴータマ」と呼び捨てにしているものもあるんです。・・・・ そうですか。そういう記述からのojizou-sam様のご推測、なかなか鋭いですね。 ありがとうございました。