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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:大正7年シベリア出兵の「非戦闘員」とは。)

大正7年シベリア出兵の「非戦闘員」とは

このQ&Aのポイント
  • 大正7年(1918年)11月4日、陸軍省の調査によると、シベリア出兵には戦闘員42,200人と非戦闘員16,400人の計58,600人が動員されました。
  • 非戦闘員とは、戦闘任務に従事しない人たちのことです。
  • 例えば、看護婦なども非戦闘員に分類されます。

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回答No.2

>大正7年シベリア出兵の「非戦闘員」とは。 大まかではありますが、下記のとおり、 米国大統領の申出に対する回答振訓電 (大正7.11.16/内田外務大臣→在米国石井大使)の中には 「非戦闘員即チ衛生、輸送補給、通信等ノ勤務ニ従事スル者」 と記されています。 ●日本外交文書デジタルアーカイブ>大正7年(1918年)第1冊 http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/t7-1.html 15「シベリア」出兵関係一件 http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/DT0002/0003/0002/0010/0015/index.djvu [192-193/197](1017頁下段-1019頁下段) ○七一六 十一月十六日  内田外務大臣ヨリ在米国石井大使宛(電報) 西比利亜派遣日本軍ノ態度ニ関スル米国大統領ノ申出ニ対スル回答振訓電 ノ件 第五三四号 極秘 ─<中略>─ [1018頁上段14行目-下段10行目] 一 西比利亜(沿海州、黒龍州、後貝加爾州ノ三州ニ亘ル)及北満洲方面 派遣ノ日本軍兵力ハ一時ハ戦闘員四四、七〇〇名、非戦闘員二七、七〇〇 名、合計七二、四〇〇名ニ達シタルモ其ノ後還送ヲ了シ又現ニ還送中ニ属 スルモノヲ除クトキハ戦闘員四二、二〇〇名、非戦闘員一六、四〇〇名合 計五八、六〇〇名トナル惟フニ前記諸方面ニ於ケル全長約三千六百里ニ亘 ル鉄道ノ沿線ヲ警備シ西方ニ作戦スル「チェック」軍其ノ他与国軍ノ背後 ヲ安全ナラシメ且物資ノ輸送補給ヲ容易ナラシメムカ為ニハ此ノ兵力ハ決 シテ過大ナリト謂フヘカラス是レ曩ニ帝国政府ノ声明セル派兵ノ目的ヲ遂 行スルニ当然必要ナル兵力ニシテ又何レノ場合ニ於テモ当初決定セル計画 ノ範囲内ニ属スルモノナリ将又前記非戦闘員即チ衛生、輸送補給、通信等 ノ勤務ニ従事スル者ノ多数ナルハ軍トシテ甚タ望マサル所ナルモ地域ノ広 大ナルト後方補給線ノ延長セルトニ顧ミ已ムヲ得サルナリ ─<後略>─ 以下は余談です。 シベリア出兵よりは少し遡りますが、 下記からは非戦闘員の微妙な位置付けも読み取れます。 ●「近代日本における捕虜: 日清、日露戦争と第一次世界大戦における捕虜取扱いの比較研究/森雄司」 『中京大学大学院生法学研究論集25/2005-03-19』(p.339-498) http://ci.nii.ac.jp/naid/110006201192 [63-64/160](401頁15行目-402頁1行目) 補助輸卒は、日露戦争にも満洲軍司令部附の法律顧問として従軍した有賀 長雄の評するところによると、人夫を使用した日清戦争と違い極めて良好 な成績であったという。 (有賀長雄『日露陸戦国際法論』偕行社、1911年、119-123頁。 なお、規律的な観点から見ると人夫の使用は好ましくないことだが、 秦郁彦編『日本陸海軍総合辞典』東京大学出版会、1991年によると、 日清戦争での人夫の数は、約一〇万人におよび、その給与は一般兵の一〇 倍に及んだ。第二補充兵の人数は約一一万一千人であり、金銭的な面でも 補充輸卒は大きく貢献した。) [64/160](402頁2行目-8行目)  また、補助輸卒を戦闘員か非戦闘員として扱うかは国際法上の問題にな らず、内国的な問題であるが有賀はどちらにすべきか、なお研究を要すと 述べている。これについて少し詳しく述べたい。 交戦者を二つに分けて戦闘員と非戦闘員に分類できる。 戦闘員とは歩騎砲工輜重兵であり直接戦闘に従事する者をさす。 非戦闘員とは直接戦闘に参加しないものの、軍隊の編成に必要不可欠な者 をさす。それは軍医官、主計官、薬剤官、法官、野戦郵便部員、通訳官、 馬卒、雑役夫などである。 ついでに、軍医官、薬剤官、衛生部員などの医療に従事する者はジュネー ブ条約で捕虜にすることは禁止されている。 戦闘員、非戦闘員も交戦者であるから国際法上の捕虜として扱われ、戦闘 員と非戦闘員の区別は国内的な軍事上の問題である。 (篠田治策『日露戦役国際公法』法政大学、1911年、603-604頁。) [64/160](402頁9行目-16行目)  さて、当初は補助輸卒を非戦闘員としたために武装はしていなかった。 そのため後方攪乱をロシア軍がすると補充輸卒は襲撃されて犠牲者を出す こともあった。その一方で、補助輸卒に防衛のため棒、竹槍などを携帯さ せ敵との戦闘に従事させた例も存在する。明治三八年(一九〇五)三月の 奉天開戦では補助輸卒に戦利品の銃を授けて、輸送勤務の傍らに使用法の 教練を行うようになっていた。 以下は鴨緑江軍の明治三八年(一九〇五)七月二日付の内山参謀長より 各部団隊へ宛てた通牒である。 今回各隊非戦闘員(補助輸卒)ノ約四分ノ一ニ戦利小銃及弾薬盒ヲ支給シ 従来非戦闘員ノ携帯シアリシ村田歩兵銃及弾薬盒ヲ返納セシメ、戦利弾薬 盒不足スルトキハ村田歩兵銃ノモノヲ以て充用スルコトニ相成候条此段及 通牒候也(有賀長雄『日露陸戦国際法論』偕行社、1911年、130頁。) [65/160](403頁1行目-3行目)  日本の野戦軍は、後方地域がしばしばロシア軍に襲撃されたり、その襲 撃の恐れが高まった場合に、補助輸卒、野戦郵便局員及び通信所員などの 非戦闘員を動員し、あるいは文官、志願した居留民をもって義勇団を編成 した。義勇団は上述した非交戦者を交戦者とするハーグ陸戦条約附属規則 の要件に合致するよう努めた。 (有賀長雄『日露陸戦国際法論』偕行社、1911年、131-138頁。) 以上

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答真にありがとうございます。 該当する箇所を抜書きして下さっているので読みやすく、理解し易かったです。 親切なご配慮に感謝申し上げます。 非戦闘員とは、「衛生、輸送補給、通信等ノ勤務ニ従事スル者」ということですね。 よく分かりました。 また、「近代日本における捕虜: 日清、日露戦争と第一次世界大戦における捕虜取扱いの比較研究」によれば、 非戦闘員とは、「直接戦闘に参加しないものの、軍隊の編成に必要不可欠な者をさす。それは軍医官、主計官、薬剤官、法官、野戦郵便部員、通訳官、馬卒、雑役夫などである。」ということで、少し具体的ですね。 シベリア出兵は、思い出したくない帝国陸軍の負け戦ですが、も少し調べてみようと思っています。

その他の回答 (17)

回答No.8

度々失礼致します。 No.6&No.7の第十二師団関連<1>~<6>の遺漏分<7><8>の 追加です。 <7>●標題:輸送に関する指示の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010072100 [4/5] 山砲兵第一聯隊第一大隊・山砲兵聯隊段列半部・山砲兵第一聯隊彈藥縦列  乘船(※宇品9.13-14)上陸日次豫定表 上陸地 浦潮(※9.17-18) <部隊號>/人員(將校-下士卒)/ 山砲兵第一聯隊第一大隊(一中隊欠)/ 17 - 646 / 山砲兵聯隊段列半部 / 3 - 275 / 山砲兵第一聯隊彈藥縦列     / 5 - 276 / ○ 計             / 25 -1197 / ------------------------ ※合計               25 -1197 → 1222 ------------------------ <8>●標題:輸送に関する指示の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010094900 [8/13]?所属? 臨時鐵道聯隊第一大隊増加人員及材料廠  乘船(※宇品10.15)上陸日次豫定表 上陸地 浦潮(※10.19) 臨時鐵道聯隊第一大隊増加人員  / 0 - 68 / 第一大隊材料廠           / 3 - 41 / ○ 計              / 3 - 109 / ------------------------ ※合計                3 - 109 → 112 ------------------------ 上記<7><8>追加に伴いNo.6&No.7<1>~<6>合計「27,253」名 が、「28,587(=27253+1222+112)」名(戦闘員・非戦闘員未区分)に増加。 ただ、全てが第十二師団隷下に属したかは?なことと、 何れも当初派遣分で後日帰還分除外未了のため、 「戦闘員42,200名、非戦闘員16,400名合計58,600名」ではなく、 「戦闘員44,700名、非戦闘員27,700名合計72,400名」に近似する見込です。 以上 第十二師団関連。 次回は、第三師団関連。

kouki-koureisya
質問者

お礼

度々のご回答真にありがとうございます。 最も知りたいと思ったことは「非戦闘員とはどんな人たちですか」と言うことでしたが、 お蔭様である程度分かりました。 「非戦闘員即チ衛生、輸送補給、通信等ノ勤務ニ従事スル者」ということですが、具体的な部隊名(部隊號)を見ても、その部隊が非戦闘員の集団(非戦闘部隊?)なのか、否かは、私の知識不足で判別できません。 なので、部隊名から「衛生、輸送補給、通信」に関係している部隊だろうと推定して、「非戦闘員の部隊」だと決めてよいのか疑問ですが、とりあえず第12師団を例に、部隊名だけで「衛生、輸送補給、通信」に属する「非戦闘員数」を調べてみました。 「衛生」 106/1734 (将校/下士卒) 「輸送・兵站」 126/3948 (第1・第10師団関係を除く。野戰被服補修部 2-65含む)              (第七糧秣蒐集部 8-13含む) 「通信・その他」 40/1154 (第一野戰建築部 12-38 を含む) また、司令部(の全員)が戦闘員なのか非戦闘員なのか分かりませんので、 上記には、第十二師團司令部 64/414 及び 歩兵第十二旅團司令部3/13 を除外しています。 さて、「衛生、輸送補給(輸送・兵站)、通信(通信その他)」に関係している部隊の将兵は、私の試算では合わせて7108名です。 これは、ご回答を基にしていますので8月時点での乗船計画による数です。 大正7年(1918年)11月4日の陸軍省調査では、“第十二師団を基幹”として、 戦闘員17,200、非戦闘員6,800、計24,000で、非戦闘員比率28.3% です。 8月に3個師団、約72400人(戦闘員44700、非戦闘員27700)を動員しましたが、早くも11月には58600人に減らしていますから、8月時点の乗船計画では多分72400名になります。 以上を勘案しますと、非戦闘員「7108名」と「6800名」では相関性ありと思います。 ただし、第1・第10師団関係を除いていますので、“第十二師団を基幹”としての条件を無視しています。 とにかく分からないことばかりです。 結論:「衛生、輸送補給、通信」に属する非戦闘員数7108名の比率は、 25.9:57.3:16.8 となります。 過半数が「輸送補給」で、次いで「衛生」「通信」となり、予想どおりです。

回答No.7

前回No.6の続きです。 数値間隔などズレが生じ、意図したようには反映されないようで、 真に申し訳ありません。 <4>●標題:輸送に関する指示の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010081300 [5/27] 第十二師團兵站機關 乘船(※宇品9.27)上陸日次豫定表  上陸地 浦潮(※10.1) <部隊號>        /人員(將校-下士卒)/ 第十二師團兵站監部          / 29 - 109 / 第一師團第一第二兵站司令部      / 16 - 82 / ○ 計                    45 - 191 / [8/27]※乗船上陸同前 第一野戰建築部            / 12 - 38 / ○ 計                    12 - 38 / [11/27]※乗船上陸同前 第二野戰防疫部            / 4 - 15 / ○ 計                     4 - 15 / [14/27] 第十二師團兵站機關 乘船(※宇品9.24)上陸日次豫定表  上陸地 浦潮(※9.28) 第十二師團野戰砲兵隊         / 7 - 86 / 同    野戰衞生材料廠       / 5 - 17 / 同    野戰被服補修部       / 2 - 65 / ○ 計                    14 - 168 / [18/27] 第十二師團兵站機關 乘船(※宇品9.27)上陸日次豫定表  上陸地 浦潮(※10.1) 第十師團建築輸卒隊          / 1 - 320 / ○ 計                    1 - 320 / [21/27] 第十二師團兵站機關 乘船(※宇品9.25)上陸日次豫定表  上陸地 浦潮(※9.28) 第十二師團臨時兵站電信隊       / 11 - 330 / 同    野戰工兵廠         / 5 - 30 / ○ 計                  16 - 360 / ------------------------------ ※合計                   92 - 1092 → 1184 ------------------------------ <5>●標題:輸送に関する指示の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010090700 [9/17] 第十二師團兵站機關 乘船(※宇品10.15)上陸日次豫定表  上陸地 浦潮(※10.19) <部隊號>         /人員(將校-下士卒)/ 第十二師團兵站病馬廠         / 4 - 37 / 同    兵站病院          / 9 - 96 / ○ 計                  13 - 131 / [15/17]※乗船上陸同前 兵站電信第三中隊           / 7 - 335 / ○ 計                   7 - 335 / ------------------------------ ※合計                   20 - 466 → 486 ------------------------------ <6>●標題:輸送に関する指示の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010085900 [10/26] 第十二師團兵站機關 乘船(※宇品10.4)上陸日次豫定表  上陸地 浦潮(※10.7) <部隊號>         /人員(將校-下士卒)/ 第十二師團第七糧秣蒐集部       / 8 - 13 / ○ 計                  8 - 13 / ------------------------------ ※合計                   8 - 13 → 21 ------------------------------ 以上

回答No.6

何度も失礼致します。 一部不明箇所もあり又遺漏もあるかもしれませんが、 散り散りばらばらの第十二師団基幹の部隊号単位の乗船上陸予定 一覧(戦闘員・非戦闘員問わず)のメモ書きを<1>~<3>を今回、 <4>~<6>を次回に分けて貼り付けさせていただきます。 No.5で申し上げましたとおり、聯隊内の内訳がわからないければ?の 問題点は残りますが、部隊号単位だけでも、少しは輪郭が浮かぶように 思います。 なお今回分<1>~<3>と次回分<4>~<6>の合計「27,253」名で 「1.沿海州および黒龍江州方面、浦潮派遣軍司令官隷下、 第十二師団を基幹として、戦闘員17,200非戦闘員6,800計24,000」を超過 していますが、悪しからず御了承下さい。 <1>●標題:第12師団長隷下部隊沿海州派遣の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C06032002200 [20/52] 沿海州派遣第一次輸送部隊 乘船(※門司第5日-18日)上陸日次豫定表  上陸地 浦潮(※第8日-21日) <部隊號>        /人員(將校-下士卒)/ 陸軍運輸部本部浦潮派出所       / 6 - 80 / 第十二師團設營隊           / 20 - 140 / 第十二師團司令部           /師團長及幕僚其他若干/ 歩兵第三十五旅團司令部        / 3 - 13 / 歩兵第十四聯隊            / 85 - 3632 / ○ 計                / 114 - 3869 / ?□□□□□□□聯隊?        / □□ - □□ / 第十師團第六陸上輸卒隊        / 1 - 320 / 騎兵第十二聯隊第一中隊        / 8 - 159 / ○ 計                / 92 - 4111 / 第十二師團電話隊           / 3 - 116 / 野戰電信第十八中隊          / 7 - 335 / 第十師團第七陸上輸卒隊        / 1 - 320 / 第一鐵道隊              / 15 - 262 / 工兵第十二大隊            / 14 - 519 / 野砲兵第十二聯隊第一大隊(一中隊欠)  / 16 - 349 / ○ 計                / 56 - 1901 / 第十師團第八陸上輸卒隊        / 1 - 320 / 野砲兵第十二聯隊本部         / 3 - 24 / 野砲兵第十二聯隊第三中隊       / 5 - 134 / 同     聯隊段列         / 6 - 284 / 第十二師團司令部           / 64 - 414 / 獨立野戰重砲兵大隊          / 15 - 590 / 第十二師團衞生隊(担架一中隊欠)    / 21 - 498 / 第十二師團野戰病院          / 13 - 210 / ○ 計                / 128 - 2474 / 騎兵第十二聯隊(一中隊欠)       / 19 - 351 / 野砲兵第十二聯隊第二大隊       / 21 - 483 / 第十二師團第一乃至第四輜重監視隊   / 4 - 208 / ○ 計                / 44 - 1042 / ------------------------------ ※合計                   434 -13397 → 13831 ------------------------------ <2>●標題:輸送に関する指示の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010070200 [5/5] 第十二師團残餘部隊 乘船(※門司8.23-9.5)上陸日次豫定表  上陸地 浦潮(※8.26-9.9) <部隊號>        /人員(將校-下士卒)/ 歩兵第十二旅團司令部         / 3 - 13 / 歩兵第四十七聯隊           / 86 - 3632 / 第十二師團衞生隊擔架一中隊      / 4 - 184 / 野戰豫備病院第二十二班        / 21 - 184 / ○ 計                / 114 - 4013 / 歩兵第七十二聯隊           / 86 - 3632 / 第十二師團野戰病院一箇        / 13 - 210 / 患者輸送部第二十三班         / 7 - 47 / 輜重兵第十二大隊歩兵彈藥縦列一箇   / 5 - 162 / 同   砲兵彈藥縦列一箇       / 5 - 224 / 同   糧食縦列一箇         / 6 - 444 / 輜重兵第十二大隊本部         / 5 - 16 / 同   特種彈縦列          / 3 - 215 / 第十二師團野戰病院二箇        / 26 - 420 / ○ 計                / 156 - 5370 / 輜重兵第十二大隊糧食縦列一箇     / 6 - 444 / 同   歩兵彈藥縦列一箇       / 5 - 162 / 同   砲兵彈藥縦列二箇       / 10 - 448 / ○ 計                / 21 - 1054 / ------------------------------ ※合計           291 -10437 → 10728 ------------------------------ <3>●標題:乗船上陸日次予定表送附の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010075900 [3/3] 第十二師團残餘部隊 乘船(※門司9.21-22)上陸日次豫定表  上陸地 浦潮(9.23-24) <部隊號>        /人員(將校-下士卒)/ 輜重兵第十二大隊糧食縦列二箇     / 12 - 888 / 同     馬廠           / 2 - 99 / ○ 計                    14 - 987 / ------------------------------ ※合計           14 - 987 → 1001 ------------------------------ 以上<1>~<3>

回答No.5

引き続き失礼致します。 サブタイトルは「誤算」です(笑) No.4では単純に名称から部隊号単位で抽出、非戦闘員数を試算しましたが、 減員可能性とは別に抽出漏れによる非戦闘員増員の可能性大にやっと気付 きました(泣) と言いますのは、前回試算とは別個の例ですが、 下記「歩兵第七十二聯隊」に注目してみますと、 名称から部隊号単位で単純に戦闘員側とみなして抽出しません。 ●標題:輸送に関する指示の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010070200 [5/5] 第十二師團残餘部隊 乘船上陸日次豫定表 上陸地 浦潮 歩兵第七十二聯隊/<將校>86-<下士卒>3632/ 乘船日次(門司8.30-9.3)上陸日次(9.2-9.7) ところが、「歩兵第七十二聯隊」に関する一覧表を見ますと、 下記の内訳になっています。 上記では「<將校>86-<下士卒>3632」(※合計3718)、 下記でも「合計3718」と同時期なので合計は合致していますが、 問題は下記の「合計3718」の中には「計306」、 うち「<輜重兵下士>6/<輜重兵兵卒>11」の17名を除外するとしても、 「289名」の非戦闘員が含まれることになります。 ●標題:36.各月人馬一覧表 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C13110235800 [4/9] 大正七年八月末日調 浦潮屯在歩兵第七十二聯隊人員表 各兵科/ <上長官>4/<士官>67/<特務曹長>16/<下士>277/<兵卒>3048/ 計3412 經理部/<士官>3/<下士>3/ 衞生部/<士官>6/<下士>3/<看護卒>28/ 獸醫部/<士官>1/<下士>1/ 諸工長/4/ 行李附/<輜重兵下士>6/<輜重兵兵卒>11/<輜重輸卒>219/ 馬卒/21/ 計306 合計3718 上記と同等の一覧表が全域全部揃わないことには、 「一覧表を見れば簡単に・・・」は全く通用しない事が明らかとなり 途方に暮れている次第でございます。 以上

回答No.4

再び失礼致します。 No.3では「看護婦」に絞ったことも影響してか、 「第一看護婦組織臨時救護班/救護看護婦長2人、救護看護婦20人」と 「第二看護婦組織臨時救護班/救護看護婦長2人、救護看護婦20人」とが 肝心の「大正7年(1918年)11月4日の陸軍省調査」の「非戦闘員16,400名」 の中に算入されているか否か分からないまま中途半端で終わりました。 そこで方策を改め、再び一覧表等を調べてみましたところ、 漏れもあると思いますが、幾つかの情報が得られました。 今回の弱点は何れも計画・予定であって確定事項とは言えない事です。 ただ、構成比率など目安にはなるかと思いますので 書き込みさせていただきます。 例えば、下記の予定表上の試算では、 (全体合計14986=(465*14483)+(2+36) [=(199*5219)+(149*5168)+(89*2581)+(28*1515)+(2+36)]で、 衛生系小計1070・輸送供給系小計2346・通信系1011(+2+36=1049) 合計4465  4465÷14986=0.2979≒約30%) 約3割が非戦闘員と思われます。 なお、弱点の計画・予定に加え「大正7年(1918年)11月4日の陸軍省調査」 の「2.後貝加爾州方面、第三師団長隷下、第三師団を基幹として、 戦闘員 17,900 非戦闘員 4,300 計 22,200」と比べると 全体合計が少ないにもかかわらず、非戦闘員が「4,300」を既に超過して いる難点もありますが、残念ながらズバリの一覧形式は見出せないため 計画・予定上の試算で御容赦下さい。 あと、下記各名称の前後に「??」を印した幾つかは、名称から便宜上、 非戦闘員と判断したに過ぎず減員の可能性は残ります。 ●標題:船舶輸送計画の件 [階層]防衛省防衛研究所>陸軍省大日記>西密受・西受大日記> 西密受大日記>西密受大日記>大正07年「西密受大日記09月」 [レファレンスコード]C03010077600 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010077600 [16-17/19] 附表第三 其一 後貝加爾方面派遣部隊 乘船(※宇品9.6-9.12)上陸日次豫定表  上陸地 釜山(9.8-9.14) 第三師團衞生隊(担架一中隊欠)/<将校>21-<下士卒>498/ 第十師團臨時患者収容班/10-95/ ?輜重兵第三大隊特種彈縦列?/4-115/ 第三師團電話隊/3-116/ 野戰電信第六中隊/7-335/ 臨時電信隊/10-95/ 野戰電信第七中隊/7-335/ 第三師團野戰病院二箇/26-420/ 第二無線電信隊/5-98/※第二無線電信隊ニハ本表ノ外臨時増加人員トシテ  左記ノモノヲ配属ス 将校 二/下士以下 三六/ ?第一自動車隊?/2-62/ ?輜重兵第三大隊歩兵彈藥縦列一箇/5-162/ ?輜重兵第三大隊砲兵彈藥縦列一箇/5-224/ 輜重兵第三大隊糧食縦列一箇/6-444/ ?野戰重砲兵彈藥縦列半部?/2-221/ 野戰重砲兵糧食縦列半部/2-223/ 第三師團第一第二兵站輸送縦列/12-840/ 第二薪炭採集部/6-11/ 以上 試算はここまでですが、他にも下記などがあります。 ●標題:輸送に関する指示の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010070200 ●標題:輸送に関する指示の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010072100 ●標題:輸送と関する指示の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010073300 ●標題:乗船上陸日次予定表送付の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010074400 ●標題:乗船上陸日次予定表送附の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010075900 ●標題:輸送に関する指示の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010081300 ●標題:輸送に関する指示の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010082200 ●標題:輸送に関する指示の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010085900 ●標題:輸送に関する指示の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010090700 ●標題:輸送に関する指示の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010094800 ●標題:輸送に関する指示の件 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010094900 ●標題:輸送に関する指示の件通牒 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C03010104100 以上 再び中途半端になってしまいました(笑)

kouki-koureisya
質問者

お礼

度々のご回答ありがとうございます。 大正7年(1918年)11月4日の陸軍省調査では、3個師団の出征部隊兵員数を師団ごとに「何人」単位で数字をあげているので、元になった数字があったはずですね。 派遣当時の3個師団の編成表や人員表等があれば戦闘員・非戦闘員の内訳が概ね判明するだろうということで、徹底的に調べて数々の資料を提供して下さって真にありがとうございます。 シベリア出兵の3個師団の兵員数は、大正7年(1918年)11月4日の陸軍省調査では、 戦闘員42,200名、非戦闘員16,400名の計58,600名です。 非戦闘員は約28%です。 師団別では、第12師団28.3%、第3師団19.4%、第7師団42.7%です。 第3師団19.4%と第7師団42.7%の差はどこから来ているのか、調べていますが分かりません。 大陸奥深くまで進むと平坦線が伸びますが、鉄道輸送を利用できる場合もありますから、進軍経路に注目しても現地の事情が分かりません。 第7師団は、もともと満鉄沿線に駐屯していたのですが、満洲里に移動しています。 なぜか、非戦闘員の割合がずば抜けて多いです。 野戦病院は浦塩に開設されたのですが、この病院が何師団に属するのか、またはその上部組織に属するのか、分かりません。 師団別に衛星部員を把握できればそれに超したことはないですが、これまでのご回答で凡その全体像は見えてきました。 「非戦闘員即チ衛生、輸送補給、通信等ノ勤務ニ従事スル者」ということなので、「衛生、輸送補給、通信」の3群に分けて、兵員数のおおまかな比率または大小が分かれば、由としたいです。 とにかく、非戦闘員が多いのに驚いています。 非戦闘員が死んだ場合、「戦死」になるのだろうか、 戦死であれば靖国に合祀されるのか、 遺族年金はどうなのか、 召集令状は出たのか、 など、独り言をつぶやいています。

回答No.3

No.2でのURL二つは苦肉の策でした。 一つは外交文書の一部とは言え、何しろ、その中味と言えば、 ●コトバンク https://kotobank.jp/word/%E9%9D%9E%E6%88%A6%E9%97%98%E5%93%A1-119915 と同等の内容に過ぎず、残念ながら一般論の域を出ません・・・ 「1918年11月当時の個別具体的な人数内訳を示すべし」との 御言葉が聞こえてきそうです・・・(笑) 実は<アジア歴史資料センター>内の当初の派遣軍(概ね陸軍第12師団、 第3師団、第7師団等に隷属)の一覧表、人員表等があれば 「非戦闘員一六、四〇〇名(あるいは二七、七〇〇名)」の内訳が 概ね判明するのではないかと安易に考えていましたが、 バラバラの一部の断片情報はあれど事は上手く運びません。 例えば「衛生部員」に着目してみましても、 下記から「4836名(=衛生部員4688名+薬剤官・磨工長・磨工卒148名)」 が浮かびますが標題の「大正9年11月以後」が示すとおり、 どうやらこれは、撤兵に至るまでの数値なのか、 残念ながら「1918年11月当時」には直結しません。 ○[標題]西伯利出兵衛生史(続篇)第1巻 衛生勤務 大正9年11月以後 [階層]防衛省防衛研究所>陸軍一般史料>戦役>西伯利出兵 [レファレンスコード]C13110186400 上記のうち ●[件名]第9篇 衛生部ノ人事及行賞 [レファレンスコード]C13110187600[画像数]24 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C13110187600?IS_KIND=summary_normal&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=iFi&IS_KEY_S1=F2013112711514763118& [1-2/24] 第九篇 衛生部ノ人事及行賞 第一章 人事 第一 人員 西伯利事變ノ爲西伯利、北滿州、北部沿海州及薩哈嗹州ニ派遣シタル衞生 部員ハ四千八百三十六名ニシテ動員 ─<中略>─ 衞生部人員表 ─<中略>─ 派遣 計 四、六八八(一四八) [※4688+148=4836]  ─<中略>─ 備考 五、本表外補充兵役輜重輸卒及歩兵ニシテ看護學ノ教育ヲ行ヒ出征      部隊ノ衞生勤務ニ服セルモノ二七九名アリ  ─<中略>─ 七、()ハ藥劑官、磨工長、磨工卒ヲ示ス そこで全体ではなく一部に限定してみました。 >例えば、看護婦がそうですか。 もちろん、看護婦は非戦闘員に相違ありませんが、 当時は外地勤務の看護婦は稀な時代のはず。 ○「欧州に派遣された「女の軍人さん」: 日赤救護班と第一次世界大戦/荒木映子」 『人文研究:大阪市立大学大学院文学研究科紀要 64/2013.3』(p.5-35) http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/il4/meta_pub/G0000007repository_KJ00008388279 シベリア出兵に際し「1918年11月当時」外地勤務の「看護婦」の有無に 関し、僅かですが、下記から手懸かりが浮かびました。 ●「1910年代における日本赤十字社の救護看護人: 近代看護史のなかの男性看護者(6)/山崎裕二」 『日本赤十字武蔵野短期大学紀要 12/ 日本赤十字看護大学/1999』(p.92-122) http://ci.nii.ac.jp/naid/110000033878 [19/31](110頁表5・表6を別にして左側12-16行目) (※1918年7月)22日陸軍より救護班派遣の認可と指令を得て、 ただちに救護員の召集を行い、26日救護班勤務心得を医長に交付し班員 一同に社長諭告がなされた。ただちに救護員の一部(医長ほか10名)は先発 し、残りは8月2日に出発した(『社史続稿・下巻』p.486-p.501.)。 [19/31](110頁表5・表6を別にして右側4-10行目)  東部シベリア派遣臨時救護班の編成は、医長1名、医員6名、調剤員3名、 理事1名、書記6名、看護人長6名、看護人61名(うち1名は磨工)、通訳3名、 厨夫10名、雑役夫9名の合計106名であった(通訳・厨夫・雑役夫は必要に 応じ派遣先で雇用することができた)。この編成は、患者300名を収容する 病院を設立することを目的としたものであった。 [20/31](111頁右側35-38行目)  このように第1次派遣臨時救護班の業務が多忙になったため、 日赤は第1看護婦組織臨時救護班と第2同班を増派することにした。 そのウラジオ到着は9月30日とlO月末であった。 上記「東部シベリア派遣臨時救護班」の内訳数は明記されていますが、 (「東部シベリア派遣臨時救護班」を含め) 「第1看護婦組織臨時救護班」「第2同班」の内訳数は下記官報で確認出来 ます。 ●『官報.1918年08月02日/大蔵省印刷局[編]/日本マイクロ写真』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2953913/7 [7/27](37頁上段27?-32?行目) ◎日本赤十字社錄事 救護員派遣 日本赤十字社ハ今般露領東部西伯利ニ於ケル聯合與國傷病者 救護ノタメ左ノ如ク救護員ヲ派遣スルコトヽ爲リ一行ノ内一部ハ去月二十 六日東京出發同二十七日敦賀ヨリ乘船シ殘餘ハ今二日東京出發明三日敦賀 ヨリ乘船ス(陸軍省、海軍省) 一 救護醫長一人/一 救護醫員六/一 救護調劑員三/一 救護理事一/ 一 救護書記六/一 救護看護人長六/一 救護看護人六一/一 通譯三/ 一 厨夫一〇/一 雜役夫九/計 一〇六 ●『官報.1918年10月03日/同前/同前』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2953965/4 [4/18](63頁下段34?-39?行目) ◎日本赤十字社錄事 臨時救護班增派 曩ニ露領東部西伯利ヘ派遣シタル日本赤十字社臨時救護 班ハ目下浦潮ニ病院ヲ開設シ其一部ハ哈爾賓及海拉爾ヘ分派シテ傷病者救 護ニ從事中ナルカ戰況ノ發展ニ伴ヒ漸次患者增加ノ狀況ナルヲ以テ今囘增 援トシテ救護醫員一人、救護看護婦長二人、救護看護婦二十人、計二十三 人外ニ使丁一人ヲ以テ編成セル第一看護婦組織臨時救護班ヲ浦潮ヘ向ケ增 派スルコトヽ爲リ一行ハ去月二十七日東京出發同二十八日敦賀ヨリ乘船シ 任地ニ赴ケリ(陸軍省、海軍省) ●『官報.1918年11月01日/同前/同前』 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2953988/5 [5/18](8頁上段4-8行目) ◎日本赤十字社錄事 臨時救護班增派 日本赤十字社ハ今囘更ニ在浦潮日本赤十字社救護班病院 勤務ノタメ救護醫員二人(内班長一人)、救護看護婦長二人、救護看護婦 二十人、計二十四人、外ニ使丁一人ヲ以テ編成セル第二看護婦組織臨時救 護班ヲ增派スルコトヽ爲リ而シテ本班長一人ハ先發トシテ去月十八日東京 ヲ出發シ他ノ救護員一同ハ同二十五日東京出發同二十六日敦賀ヨリ乘船任 地ニ赴ケリ(陸軍省、海軍省) ただ、時期的には間に合うタイミング(11/4)ですが、 果たして上記看護婦が「非戦闘員一六、四〇〇名」に含まれるか否かは 残念ながら裏付けが取れません。 これだけでは僅かの例で中途半端ではありますが 以上

kouki-koureisya
質問者

お礼

再度のご回答真にありがとうございます。 お礼が遅くなってすみません。 読めば読むほど分からない箇所が出てきて、なかなか理解できません。 「西伯利出兵衛生史(続篇)第1巻(大正9年11月以降)」の目次を見ますと、派遣した師団は、第13師団、第11師団、第9師団、第8師団、第15師団、そして「薩哈嗹軍」となっています。 ただし、これらの師団が同時期に全てシベリアの地にいたわけではないですね。 大正7年、当初派遣したのは、第12師団、第3師団、第7師団ですから、2年間に全て入れ替わっています。 およそ1年間ごとに交替したのだそうです。 また、戦時編成の1個師団は約2万人だそうです。 この人数のおおまかな内訳が分かればよいのですが、今のところ不明です。 しかし、出兵期間を通しての最大兵員数は72400人で、この数字は短期間のものですから、 58600人を基準にして考えています。 「非戦闘員即チ衛生、輸送補給、通信等ノ勤務ニ従事スル者」ということなので、 衛生部員4836名 (内訳 衛生部員4688名+薬剤官・磨工長・磨工卒148名)の数は、期間・時期がどうであれ多いに参考になります。 「他人の褌で相撲をとる」という俗諺がありますが、まさに今の私がそうで、Why-j-people様のご回答だけを頼りにし、自分では何も調べずにいる状況です。 まだまだ、理解できそうになく、続々と疑問噴出で、纏めるのに時間が必要です。 とりあえず近況をお知らせしました。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9602)
回答No.1

kouki-koureisya さん、こんばんは。 輜重輸卒です。これは馬とか車を使って、荷物を運ぶ人夫さんみたいなものです。 兵隊でもないので、かなり冷遇されていたようです。大部分は彼らだと思いますよ。ちなみに看護婦さんは兵隊さん扱いだそうです。 こういう人が、軍医さんなんかと銃だの剣だので人を殺すと、赤十字の名前に傷がつくと思いますけどね。 輜重輸卒 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%9C%E9%87%8D%E5%85%B5 従軍看護婦 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%93%E8%BB%8D%E7%9C%8B%E8%AD%B7%E5%A9%A6#.E5.B8.9D.E5.9B.BD.E9.99.B8.E6.B5.B7.E8.BB.8D

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「輜重輸卒」なんですね。 荷車や荷馬車で水・食糧、武器弾薬を運ぶのですから、兵員の3割前後にもなること、よく解りました。

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