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鶏口牛後ってそこの場を舐めてるってことでしょ?
鶏口となるも牛後となるなかれ このフレーズって「対戦相手が弱い所でトップになれ。」ってことでしょ?要はナメてるのよね、その場所を。 中小企業なんかで「大手で埋もれるよりも、中小企業で出世するほうが良い!鶏口牛後だ!」って言ってる人いるけど、完全にナメてますよね中小企業を。 そういうナメたこと言っている人って本当に鶏口になっているの? 鶏後という中小企業のヒラ社員みたいなゴミに落ちる可能性も考慮せず、牛口という大手企業の役員への可能性を捨てて、中小企業に就職することってホントに良いんですか? 鶏口牛後とは言っても結局、長いものに巻かれてるほうが得だと思いますが。 鶏後っていう最悪にはならんのだから。牛後にいれば
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- kuku82
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まず・・・この言葉は、牛口になれる器がある人には、言いません。 つまり、そうなれない人への慰めの言葉なのです。 牛口という大手企業の役員への可能性なんて、そもそも無いんですよ、我々一般凡人には。
- Broner
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まあ、言うたら、大きな国の、国会議員になり、議員として働くよりも、都道府県の知事となり、その都道府県の経営、収入は県民税、事業は、県の公共事業、学校教育制度、医療制度、福祉制度、また、水道下水道、ゴミ処理、祭りイベント等を実行する方が、やりがいがあり、成長もするよ。 しかし、あなたの言い分も一理ある。 女だったら、それで良いかも、男女平等と考えないなら。 しかし、女も、男と同じ平等と考えるなら、北海道大学の、クラーク博士の「少年よ、大志をいだけ !」です。 国際的な日本の立場を考えて生きることが必要。
- matsu_kiyo
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ことわざ解釈と思いますので当方も一応参戦。 そもそもこのことわざの意味は、 >対戦相手が弱い所でトップになれ とは少し意味合いが違っています。 正しくは、『大きい団体の配下として服従(ふくじゅう)しているよりも、独立した小さいの団体の長である方がよいということ』(知識の泉より)となります。 それも踏まえて、 ”こういうことを言いつつ、中小企業に入って社長なり重役なりに上り詰められないのなら、牛後の方がまだまし”と考えておられるのが質問者様だと思います。 しかしながら果たしてそれはどうかな、が当方の見方です。 小さい団体の長なら、そもそものライバルが少ないので、可能性は上がってきます。牛後は正直、牛のしっぽのさらに先。そこから這い上がることは至難の業でしょう。 もちろん質問者様のおっしゃる通り、鶏後になってしまうのなら、どこに行ってもそんな状況でしょう。 又あるいは、自分で組織を立ち上げる=自動的に社長になる ということも含めると、鶏口はなりやすいものの、それが継続できるかどうかにかかっているところはあります。 回答: 人それぞれの生き方であり、「鶏口なんて責任が付きまとうからヤダ」「牛後の方が気楽でいいや」なんて言う人も多いことだろうと思う。 中小企業なら出世する可能性や確率は上がりはするものの、それも実績や業績という動かし難い数字や形として見える成果があればこそ。 >完全にナメてますよね中小企業を。 と思ってしまった質問者殿の感覚は間違っていない。 出世欲を駆り立てる故事成語でもあるわけだが、平和な日本にはあまりそぐわないのかもしれない。