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1615年に火打石の銃?

先週の大河ドラマで、火打石で発射する銃がでてきました。 あれって小さいこと以外ゲベール銃そのものではないでしょうか? あの時代に火打石で発射する銃があったのでしょうか?

みんなの回答

  • kagakusuki
  • ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.6

 「馬上宿許筒」は火縄銃ですから、御質問の銃ではないと思います。  (回答No.4様が貼っておられるURLのページに掲載されている「家康狙撃の銃」 も、着火機構の形状が火縄銃のものですし、掲載されているページに記されている文面にも「火縄銃」とあります)  因みに、通常、「フリントロック式」と呼ばれる銃は、「フリント(燧石)」などの火打石を使った銃の中でも、 ・火蓋 (pan cover) と当たり金 (striking surface, striking steel) を兼ねたL字型のフリズン(frizzen)がある ・フリズンを閉じるバネがある などの特徴を備えたものを指しており、上記の特徴を備えていなければ「フリントロック式」とは呼ばれません。  つまり、「フリントロック式銃」とは >火打石で発射する銃 の総称などではなく、「フリントロック式銃」以外にも「フリント(燧石)」などの火打石を使った銃は存在していた訳です。  例えば、回転式の円筒状のヤスリを使用して、「フリント(燧石)」などの火打石を擦った際に生じる火花を使って火薬に着火する「ホイールロック式」の銃であれば、遅くとも1510年以前に発明された事が明らかとなっています。 【参考URL】  ホイールロック式 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E5%BC%8F  その他にも、厳密には「フリントロック式」とは呼べないものの、現在では「フリントロック式」の亜種と見做される様になっているものに、1543年にスウェーデンで開発された「スナップハンスロック式」や、1570年ごろスペインのマドリードで発明された「ミュケレットロック式」などもあります。  「フリントロック式」も含めてこれらの火打石を使った銃は、命中精度などの点で火縄銃よりも劣る点があったため、日本では普及しませんでしたが、「フリントロック式」を除けば何れも1600年よりもずっと前に発明・開発されていたものなのですから、その内の何丁かが舶来品として日本にもたらされていたとしても不思議はないと思います。 【参考URL】  フリントロック式 - Wikipedia > 6 様々な亜種   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E5%BC%8F#.E6.A7.98.E3.80.85.E3.81.AA.E4.BA.9C.E7.A8.AE

jkpawapuro
質問者

お礼

ゲベール銃のような正式なフリントロック銃はなかったものの、原始的な火打石式の銃は既に当時いろいろあったわけですね。 ただ幸村が使っていたのは火縄式銃だろうと。 ご回答ありがとうございました。

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回答No.5

馬上宿許筒、国宝級のお宝だな。400万円程度だったらしい、うらやまw

jkpawapuro
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

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  • twin-dog
  • ベストアンサー率41% (301/721)
回答No.4

ANo,2の方はなんか勘違いしてますね。 質問は大阪夏の陣の頃に火打石式の鉄砲が存在していたのか?ですが、回答は火縄銃の火縄の着火に火打石を使っていたとなっています。 で、回答ですが、 先週の大河ドラマ「真田丸」第48話で真田信繁(幸村)が、大阪城の以前千利休が作った茶室の跡地に作った畑の地面下に埋めてあった箱にの中に入ってるのを見つけた鉄砲の事でしょ? これは真田信繁が実際に大坂夏の陣で徳川家康の本陣に突入した際に所持していた鉄砲が現存しています。 実物はドラマの中に出てくる物とは若干形状が違いますが、真田信繁が大坂夏の陣で使用したと伝わるもので、「宿許筒」と言う名称です。 ドラマの中で出てくる鉄砲は全長の短い火打ち式の単発式の物(現代でカービン銃と言うところでしょう)ですが、本物は弾倉を備えており8発式の速射銃です。 何でも夏の陣で信繁が徳川家康の本陣に突入した際に、家康を馬上からこの鉄砲を使って狙撃しようとしたのですが、騎馬の操作をを誤り落としてしまったそうです。 それを夏の陣後に紀州徳川家が戦利品として取得して約300年ほど秘匿していたらしいです。 で太平洋戦争後一時米国人の手に渡りますが、買い戻されて現在日本にあります。 なぜこの鉄砲が真田油信繁が実際に使用した物と判るのか?言うと、紀州徳川家に伝わる「南紀徳川史」に「器の巧拙今にして論ずるべきに非るも、三百年のむかし既に此器あるは驚嘆に堪へざりし也。宿許銃は真田左衛門が神祖(家康)を狙撃し奉りしものと語れり」と 精細な絵図付きで記録されているからだそうです。 http://www.tama-tsukuri.info/%E7%8E%89%E9%80%A0%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E4%B8%B8%E3%81%A8%E7%9C%9F%E7%94%B0%E4%BF%A1%E7%B9%81-%E5%B9%B8%E6%9D%91-%E5%B7%BB2/%E9%89%84%E7%A0%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6%E5%AE%B6%E3%81%AE%E6%BE%A4%E7%94%B0%E5%B9%B3%E3%81%95%E3%82%93-%E7%9C%9E%E8%AA%AC-%E7%9C%9F%E7%94%B0%E5%B9%B8%E6%9D%91%E5%85%AC%E5%B1%95/

jkpawapuro
質問者

お礼

ほう幸村の銃が現存してるとは思いませんでした、ご回答ありがとうございました。

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回答No.3

火打石の銃をいち早く戦に取り入れたのは、 織田信長だと社会(歴史)の授業で教わりました。

jkpawapuro
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

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回答No.2

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 大河ドラマは観てはいませんが・・・。 ★回答から先に述べますと・・・はい。ありました。 ★慶長5年(1600)の関ケ原の戦いでも使用されました。 ★硝石を編み込んだ火縄に火打石で火をつけ、グルグルと回転させ、火縄が十分に火が付いたことを確かめると、腰にその火縄をぶらさげ、火縄銃に点火しました。 ★雨の日は火縄の火が消えてしまい火縄銃は使い物にならなかったのです。 ★それでも、火縄をヒラヒラした動物の皮などでカバーしたりしましたが、今度は銃への点火率が悪く、どちらにしても雨の日はほとんど使い物にならなかったのです。 ★また、ゲーベル銃は1670年にフランスで開発されたとのことで、多分に、火縄銃をモデルにしたもののようです。 ★ちなみにゲーベル銃が日本で使われ始めたのは幕末の頃、幕府や諸藩が大量に買ったと言われています。 ★従って、元和元年(1615)大坂夏の陣では「火縄式」で「火打石」で点火していたはずです。(時代考証としては「正解」です。)

jkpawapuro
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

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  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11216/34842)
回答No.1

いわゆるフリントロック式の銃ですかね? https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E5%BC%8F Wikipediaによると1620年頃の開発ということですね。 ドラマのほうを見ていないので、それがフリントロックなのかどうかわかりませんが、NHKに「あれはフリントロックではないのか?」と問合せれば答えてくれるかもしれません。いくら創作志向が強くなった大河とはいえ、一応「時代考証」という役割の人がいますからね。

jkpawapuro
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

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