この運転手さんは、いつもお客に「有難う」「有難う」といっているので、評判がいいのですね。
京阪バスであり、場所は大津です。
まず、時代的に、運転手というのがどういう品性のものだったか、想像でしか言えませんが「有難う」言っただけでありがたがられるという時代です。
雲助みたいな、ごろつきみたいなのが多かったんじゃないでしょうか。
あるいは無口で、「乗るなら乗れば」という形の態度。これは今のバスの運転手にも通じますが。
この運転手は、すれ違う馬車にも「有難う」と声をかける。人力車にも声をかける。
この運転手は歩いている年寄に「おばあさん乗ってきな、危ないよ」までいうのです。
もっともそれ以外の実際の発言引用はこの作品内にはひとつもありません。
で、話は、バスに乗って娘を売りに行く話ですね。
売り飛ばそうとする母親にいろいろな思いが生じている。自分のそういう行動を正当化するために、
「有難うさんにつれていってもらったら運が向いてくる」と言い聞かせたりしているのです。
そして、運転手に向かってこの子を抱いてやってくれまで言う。
どうせどこの誰ともわからないものの慰み者になるんだから、せめて有難うさんにしてもらえ、と、これも自分を慰めているのです。
これはともかく、遊郭に売り飛ばされることに関し当の娘が泣き、運転手が戻すべきだといって戻ることになるのです。
でも、生活は苦しいからまた春には売り飛ばさなければ、と母親は考えている。
そういう話を、ごくごく短い小説の中に放り込んでいるのです。
悩み、感情がぶれることを、人格者と決めつけている運転手を巻き込むことで救いを求める。
運転手はこういう人生の局面にいちいち立ち会ってしまうのです。
そういう小説です。何を言いたいか、というのは、ここでひとことで言いたくない。ただ明確です。
似非ヒューマニズムとか人格者ブリッコでないのが価値です。
これ、清水宏監督作品で映画化されています。「有りがたうさん」です。
小説でも異様だと感じる運転手の制服だとかが実際に上原謙が着て演技しています。
現在考えられない、乗車中にばこばこ喫煙したりする光景を確か桑野通子がやっていました。怪しい女役です。
原作より話をふくらませていて出会う人間がたくさんいます。