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解説してくれませんか?
川端康成の『バッタと鈴虫』という小説を読んだのですが、うまく解釈することが出来ませんでした。なので、解説していただきたいのですが…
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まず、ストーリーを見てみましょう。 『掌の小説』の一編だけあって、あっという間ですね。 語り手は二十人ばかりの子供が手作りの提灯を下げて虫取りをしている場面に行きあわせる。男の子が「バッタ欲しい者いないか」と言い、「頂戴な」と言った女の子にやる。ところがそれは鈴虫だった。男の子は驚いている女の子の横顔を眺める。女の子の胸には提灯に記された男の子の名前が浮かび上がり、男の子の腰のあたりには女の子の名前が浮かび上がっている。 これが表面にあらわれた出来事です。 これだけを読んでいたら、ナンノコッチャ、となるのは当然です。 川端は、表面に書かないことの名手です。行間を読んで行かなくてはなりません。 行間とは何か? 行間とは、登場人物の「気持ち」です。 もう少し高級に言うなら「心理」です。 こういうことは、すべて書いてありません。 登場人物の気持ちを類推し、解釈によって埋めながら読んでいく。 その作業が必要です。 まず、この作品にはいくつか、対立するものが描かれています。 ・バッタと鈴虫 ・男の子と女の子 ・語り手である(=見ている)大人の男性と、行為する男の子 ・闇と提灯の明かり ……いくらでも見つけることができるんですが、このくらいにしておきましょう。 タイトルにもなっている「バッタと鈴虫」、このふたつはどういう関係にあるかわかりますね? バッタ……ただの「獲物」 鈴虫……すばらしい「獲物」 ここでポイントは、表面で贈与される鈴虫そのものには実はあまり意味がないということです。ヴァレンタインデーのチョコレートと一緒。 ですから、なんでバッタなんだろう、とか、なんで鈴虫なんだろう、ということにとらわれていてはダメです。ここで押さえておくのはバッタと鈴虫の関係 バッタ<鈴虫、という、この不等号記号だけです。 男の子は「バッタ欲しい者いないか」と何度も繰り返す。つまり、ここでは目指すべき女の子がおり、その子が来るのを待っていることが暗に描かれています。 そうして、やっときた女の子に「バッタだよ」と言って、鈴虫を渡す。 なんでそんなことをしたのか。 「女の子は褐色の小さい虫を見て眼を輝かせた」 この表情が見たかったんですね。 贈り物をするとき、わたしたちはどこかで相手に喜んでもらいたい、それも、ちょっとびっくりしながら喜んでもらいたい、と思いますね。 だから、男の子の目的は果たせたわけです。 では、つぎの対立を見てみましょう。 男の子と女の子です。これも、見るのは「関係」です。 男の子と女の子、どういう関係にあるでしょう? 男の子は女の子に鈴虫を贈る。 女の子はそれを受け取って、うれしそうな顔をする。 わたしたちが贈り物をすることの「原型」がここにあります。 こういう行為を「贈与」と言います。大昔から人間が繰りかえしおこなってきたことです。 ものをあげたい。 あげることで、相手に喜んでもらいたい。 どうしたら一番喜んでもらえるだろう。 びっくりさせることです。 この「びっくり」というのは、「贈与」のなかの重要なファクターなんですが、これを話しはじめるとそうでなくても長いこの回答が終わらなくなっちゃうんで、やりません。 ただ、わたしたちは誕生日プレゼントを渡すときでも、秘密にしておきますよね。クリスマスプレゼントも、サンタクロースが持ってきてくれるものだ。「ティファニーのオープンハート、つぎのお誕生日に買ってぇ」というのは「おねだり」であって、「贈与」とは何の関係もありません(というわけでもないのですが、これも省略)。 男の子は、この「贈与」のプロセスに「びっくり」を盛り込んだ。それが「バッタだよ」という念押しです。 「鈴虫、あげる」→(うれしい)が 「バッタ、あげる」→「あら、バッタじゃなくてよ」(びっくり)→(すごくうれしい)になった。 そうして、男の子はこの「贈与」がうまくいく、つまり、相手に「負い目」を負わせ、つぎの行為へと相手を駆り立てる、という意味で、友愛の絆を生むことに成功したわけです。 さて、つぎに語り手と男の子の関係を見ていきましょう。 男の子は、当然、自分の行為の意味を知りません。それがどう意味づけられるかを知っているのは、大人である語り手です。 つまり、この語り手は、出来事を単にわたしたちに教えてくれるだけの存在ではありません。 出来事を物語にし、そうして、「贈与」という意味づけを行い、わたしたちに、人間の行為として見せてくれる存在です。 語り手自身が、このようなことを繰り返してきたこと、繰りかえしながら大人になってきたことを明かすのは、そのためです。 つまりこの物語は「大人が子供の行為のなかに男女の基本的な関係(=贈与)のありようを見いだす物語」であるとも言えるのです。 双方の体に浮かび上がる「名前」のシルエット、ここらへんはうまいですね。さりげなく、実にエロティックです。さすが、川端。川端を読むときは、絶対に「エロス」を忘れてはいけません。気がつかない人がいっぱいいるから教科書に載ってるのかもしれませんが。相手の体のどこにお互いの名前が写っているか、これもちゃんと見ておいてくださいね。 この回答を読んで、もしかしたら、いっそうわかんなくなっちゃったかもしれません。 そういうときは、補足してみてください。 時間がないからちょっと遅くなるかもしれませんが、何とか答えようと思います。
お礼
回答していただきありがとうございました。「もしかした、いっそう分かんなくなっちゃたかも」とありますが、そんなことはありません。むしろ、とても分かりやすかったですし、「バッタと鈴虫」だけでなく川端文学の性格も分かりました。お忙しい中、ご丁寧な回答していただき本当にありがとうございました!