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徳川家歴代15将軍の中で一番いい目した幸せ者は。
家康は苦労も多く晩年に将軍になりましたが家光は生まれながらに将軍ですから幸せかな~と思います。総合的に見て一番は誰でしょうか?理由もお願いします。
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常に親が君臨していて自分の裁量ができようもなかった秀忠はいい目を見たとは言えない。 好き放題勝手にやって誰も注意もしない、しかりもしないという野放図は家光でしょう。 山の上の梅の花をとってこいと言って優秀な家来に馬で登らせ、落ちて死ぬのを見てとめもしないというバカ者です。 それを叱る人間でもいればいいんだけど、いかがわしい乳母が全面的に守っているので誰も口を出せない。 こういうこと、平然と部下を殺すことなんかをいい目を見たというなら、違ってませんか、と思えます。 誰からも狙われず殺されもしなかったというのは幸せだというなら幸せでしょう。 家綱は長男として最初から将軍になると決められていて11歳で将軍になった。 保科正之、酒井忠勝、松平信綱なんていうのがいたので政治には遅滞なくなんとなく傀儡政権っぽかったように見えます。 後半生はともかく、これがいい目を見たと言うことになるかどうか。 在世中に明暦の大火なんていうことがおきたり、無駄な貿易をやったために親の残した遺産は全部使い果たして死んだというからたいしたものです。 やっぱり馬鹿者でしょう。 時に家光の話題の続きですが誰も何も意見を言ってくれないというのが幸せかというとそんなことはない。 綱吉はあまり誰の言うことも聞かなかったけど、水戸光圀というのがいろいろ口を出してきた。 それに反発し、意志を通しました。生きがいはあったでしょうね。 元禄文化が発生しました。忠臣蔵事件がおきたりもしましたが。 幸せかというと世継ぎに恵まれなかったことで、そうではないでしょう。 家宣が甲府徳川から将軍になったときは43歳で、死ぬのが50歳です。 生類憐みの令を廃止し、酒税をとりやめたり、経済政策をやりましたが、これも子供に恵まれなかった。 大体家老とか大老が実業務の指示をしますのでこれらの意見を尊重し判断をするのが将軍の役目になってくるとハンコ役になってしまいます。 そういう体制なら7歳でも将軍はつとまります。 家継がそれですが、これがいい目した幸せものかどうか言えないでしょう。 あれよあれよと言う間に責任が押し付けられ、うなされているうちに死んだわけです。享年8歳です。 おそらく周辺の邪魔者を逐一片付け、用意周到に将軍の座についたのが吉宗ですが、幸運が転がり込んだのではなくむしり取ったんです。 幸せ者のわけない。怨念に囲まれてますから。 ほがらかに駆け回ってUFOとも戦い、好き放題に暴れん坊ができたわけがない。 家重は挙動不審でどうも女だったのではないかと言われる将軍ですが、これも忠光という能力の優れた家臣を持ちうまくやった。でもいい目したとはいえない。 田沼意次を評価し、次の将軍家治に託したのが歴史的な重要行動です。 やる気がない将軍で名を遺したのが家治です。 祖父吉宗が一番かわいがった子で、何やっても褒め甘やかした結果です。 書画が得意で将棋が一番好きだった。政治家としては無能でも下に田沼意次がいた。 やる気がないものが「いい目を見た」なんて思うわけありません。 田沼は家斉に罷免されました。 家斉は大奥という組織をフル活用した人間で、生涯に56人の子供を作りました。 おかげで地方大名に子がないとその息子をおしつけ、跡取りがいると娘を押し付けるという強引閨閥がまかりとおりました。 在世中大塩平八郎が暴れたりモリソン号事件がおきたりろくでもないことがおこり、ブーイングのただなかせがれ家喜に将軍はゆずったけど、大御所として支配し続けた。 60年近く君臨したという、迷惑な人でした。 家喜はそういう意味でいい目みていない災難の将軍です。 その分親が死んだあとは好き放題のはずだけど、親が君臨していたので、何か部下がいっても「そうせい」としかいわなかった癖がついた。 その癖が、親がいなくなっても続き、歴代では「凡庸」とされる唯一の将軍です。 親と同じく大奥を活用し27人子供をつくりましたが、なんと、たった一人を除き全員おそらく毒殺された。 親の閨閥政策をとことん嫌われたものでしょう。 ひとり残ったのが家定で、こいつは命の危険の中にいますから馬鹿者を演じるしかない。気がふれた痴呆という演技をしながら阿部正弘老中の制御下にすべておきました。 とはいえ、ハリスと外交交渉をしたり、水戸を政治から遠ざけるなど、バカではできないことをやっています。 幸せじゃなかったでしょうね。 家茂は井伊直弼という老中に水戸退治をまかせ、尊王攘夷とか討幕と言っている人間たちを相手に戦うために京都に行き死んでしまいます。 義務として働こうと考えた末のことですが、これも幸せなわけがない。 慶喜は、家茂が急死したので転がり込んできた将軍になったけど、頭がいい分現実と折り合いをつける発想が浮かばず、状況を悪くしました。 勝海舟というのがいてくれたので無血開城とか極力市民を巻き込まないような展開をしましたが、これには慶喜はほとんどかかわりません。 そのあと幽閉されたりするので、とてもじゃないがいい目を見たとも幸せとも感じなかったでしょう。 もっとも、責任も負わされず殺されないで天寿が全うできたという意味ではいちばん幸せだったかもしれない。 家康以後の全将軍を羅列しました。 いい目を見たと言う人間がいるようには見えません。
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- jkpawapuro
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まあ一番やりたい放題やって何も困らず死んでいったって意味では家光ですが、家治の評価も近年見直されつつありますよね。 江戸時代は田沼意次の不人気に流され家治の評価も悪かったですが、近年田沼意次は経済に明るい人物として見直されています。 将軍の役割って別に自分が仕事することじゃないと思うんですよね。お家存亡の危機に何もできず家をつぶしたってなると問題でしょうが、うまくいってる時期に有能な部下に仕事を任せ悠悠自適、いいじゃないですかとっても。そもそも万の部下を抱える家中で自分が一番有能なんてことはありえないんですから、でしゃばりすぎるやつほど無能なんですw自分は楽しながら趣味に興じてるし幕府は無事まわってるしよかったんだと思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。鷹狩。一度、やってみたいです。
- eroero4649
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1.八代吉宗 四男に生まれて藩主なんて夢のまた夢の立場から、あれよあれよと将軍様に。ご本人も典型的な成り上がり者気質でしたから、もし江戸城に天守閣があったらその一番上から「天下とったど~!!」と叫んだことでしょう。 2.十五代慶喜 前半生で将軍を経験。その後は市井の人となり、堅苦しい将軍の座を離れて自由を手に入れることができました。将軍様となればうっかり外に出る自由もないのですから、その自由を手に入れた解放感というのはあったのではないでしょうか。とはいえ一説には終生誰かに襲われるのではないかと恐れていたともいいますけれども。 それでも明治の時代にあちこちに視察にいけばしもじもの者から「公方さま」といわれて頭を下げられていたので、周囲からイビられいじめられたラストエンペラー溥儀に比べたらはるかに幸せだったと思います。 3.十一代家斉 記録に残っている範囲だけで16人の妻妾を持ち、生ませた子供が男子26人、女子27人。まさにゲロッパなダダダセックスマシーン。不満があったとはいわせません・笑。 4.十四代家茂 妻の和宮とは非常にラブラブだったそうですな。和ちゃん、虫歯の口臭が気にならなかったのかしら。甘いものが大好きで、各大名からの贈答品リストには羊羹だの最中だのといったお菓子がずらりと並んでいましたから、食べ物には不満はなかったように思います。そのせいで虫歯だらけで早世してしまうことになりましたけど。本当は生き物を飼うのが好きな心優しい少年だったのに、将軍は文武両道でなければならぬと趣味を封じて武道も練習したというちょっと哀しいエピソードも持っています。 蛇足:家光は本当は女には全く興味がなかったのに、春日局その他から「将軍は子孫を残すのが仕事や!」といわれて渋々女とヤらされたので、本人的にはさほど幸せではなかったかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。eroero4649 さんの最も得意とする質問だったのかも知れませんね(笑)機械が有れば今度は大奥の質問もしてみたいと思います。その時は、またよろしくお願いします。
補足
将軍って絶対権力握ってて贅沢三昧でも確かに自由はないですよね。半分お城に幽閉されてるみたいなもの。自由を手に入れた15代将軍慶喜が一番幸せだったのかも、と思いました。
- ithi
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tigerhorse さん、こんにちは。 家光だと思いますね。彼の場合は、弟忠長の事がなければ、比較的順風満帆です。おまけにやりたい放題のドラ息子ぶりをしています。さすが生まれながらの将軍です。
お礼
回答ありがとうございます。何とか3代と言います。会社潰すのは、だいたい初代の苦労見てない3代目のボンボン社長ですが、徳川会社は潰れませんでした。
- あずき なな(@azuki-7)
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結局吉宗じゃないですか? 紀伊徳川家の末子として生まれ 将軍どころか徳川を名乗る事すらできないはずの人生だったのが あれよあれよで将軍になっちゃうわけですから
お礼
回答ありがとうございます。吉宗は西田さんが演じた大河で初めて名前知りました。確か、傾いた財政を立て直した立派な将軍・・みたいなストリーでしたね。
お礼
回答ありがとうございます。絶対権力者の将軍さんは何でも思いの侭、さぞや幸せな人生を過ごされたのではと思いましたが、実は・・将軍はつらいよ(笑)ですか