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大攻勢のお知らせ!ロシア・ルーマニア軍のドブロジャ攻撃とダンビュ川渡河
- ロシア・ルーマニア軍がドブロジャのブルガリア第三軍に対する大攻勢を開始し、ダンビュ川のルセとトゥトラカンの間を渡河することを計画。
- 連合軍は、これを利用して東部連合軍攻勢の一環とし、ブルガリアを戦争から排除する計画を立てた。
- 10月4日、連合軍はモナスティル-ケナリ方向でフランスとロシア軍による攻勢を開始し、ケナリ-チェルナ・ループ線沿いのセルビア第一軍と第三軍、ドブロ・ポレ方向でのセルビア第二軍による攻撃も行われた。
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>On 30 September general Joffre informed general Sarrail of the impending great offensive of the Romanian and Russian forces under general Averescu against the Bulgarian Third Army in Dobrudja and their expected crossing of the Danube between Ruse and Tutrakan. ⇒9月30日、ジョフル将軍はサライユ将軍に、アベレスク将軍の指揮下でドブルジャのブルガリア第3方面軍に対するルーマニア・ロシア軍団の一大攻撃が切迫していること、および彼らはルーセとツトラカンの間でダニューブ川を渡ると予期されることについて知らせた。 >The commander of the Allied Army of the East now planned to use this by coordinating it with a renewed push against the Eleventh Army's Kenali line and eventually knock out Bulgaria out of the war. ⇒東部における連合国軍の指揮官は、その時これを利用して第11方面軍のケナリ戦線に対して新たな圧力をかけ、終局的にはブルガリア軍を戦争舞台から叩き出す計画を練った。 >On 4 of October the Allies attacked with the French and Russians in the direction of Monastir - Kenali, the Serbian First and Third Army in along the Kenali - Cherna Loop line, the Serbian Second Army against the Third Balkan Division - in the direction of Dobro Pole. The allies had 103 battalion and 80 batteries against the 65 battalions and 57 batteries of the Central Powers in the area. ⇒10月4日、連合国軍はフランス軍とロシア軍をもって、モナスティル‐ケナリの方向ではケナリ‐チェルナ環状戦線に沿ってセルビア第1、第3方面軍を攻撃し、ドブロ・ポールの方向では ― 第3バルカン師団に対抗しているセルビア第2方面軍を攻撃した。この地域では、中央同盟国軍が65個大隊および57個砲兵中隊を持つのに対し、連合国軍は103個大隊および80個砲兵中隊を保有していた。
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