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社会を支えるのは社会的弱者なのか?
- 友人が最近、医者は社会から期待されているから強い立場にいるのかもしれないが、患者がいるから医者も必要とされるので、ほかの領域でも弱者の立場にいる人が強者といわれる人を支えているのではないかと言っていました。
- 金融業などでも言えるようにも思いますが、福祉の理念などにも通じることでしょうか。
- 老人は社会のお荷物ではなく、これからの社会を支える重要な存在という考え方も成り立つのでしょうか。
質問者が選んだベストアンサー
病人など、本来はいない方がよいのです。 なまじいるから、医者などという職業が必要に なるのです。 なんてことになりそうですが、病人がいるから 病気や人体の事がよく判るようになり、 結果、人類全体に貢献するんですよね。 老人は社会のお荷物ではなく、これからの社会を支える 重要な存在という考え方も成り立つのでしょうか。 ↑ 人間は死なない限り、皆老人になるのです。 老人を大切にすることは、自分を大切にする ことです。 老人は老人で、若者に負担をかけないように準備 しておくべきです。 社会を支えているのは社会的弱者ではないかという説 ↑ 支えている、というのではなく、お互いに 役に立っている、見えない形で協力し合っている ということではないですか。
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- e-toshi54
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国という組織が、税金を使ってでも弱者を救おうとしているから、福祉政策や国民皆保険が成り立っているのだと思います。 そのような体制を採っていない国、例えば北朝鮮の弱者はどうなっているのでしょう? 想像するだけで怖くありませんか? アメリカでさえ、国民皆保険は実現していない。その点では日本人でよかったとも思います。 日本の弱者は社会を支える存在とは言えず、「社会を支える道具」とは思います。・・・お聞き苦しかったらごめんなさい。
お礼
昔あんまという職業は盲人にしか認可されなかったというような話を聞いたことがあります。江戸時代だったかと思います。ワークシェアリングなどというカタカナ語とは別に、ちゃんとした制度があったのだと思います。後期高齢者にしか許されない職業などはないでしょうか。
- eroero4649
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#8です。 >お金なしでも個人が生き生きと暮らせるような社会 それを大真面目に実践しようとしたのが、あのポル・ポトですよね。社会主義からさらに一歩進んだ超共産主義社会を実現しようとポル・ポトがとった手段が「通貨の廃止」でした。お金があるから不幸が生まれる。それなら、お金をなくしてしまえと通貨を廃止しました。銀行などの金融関係者は、そのお金の亡者でけしからんと処刑されました。歌手などの芸事に関する人たちも、芸を見せてお金を貰うことで生計を立てていましたからお金がないと生きていけません。お金がないと生きていけないうえに何かの役に立つわけでもない。けしからんやつらだと処刑されました。学問は、役に立たないことの最上位です。太陽系に惑星がいくつあって、それがどんな星なのかと知って何の役に立つのでしょうか。けしからん、処刑です。病気の治療をするための薬を作るにもお金がないといけません。医者も薬剤師も処刑です。かくして知識人というかとにかく頭が良さそうなやつは国民全員が農家ならいらないんだからとにかく処刑です。難しいことを考えられるやつはどんどん殺されたので、しまいには「お前は眼鏡をかけてるな。頭が良さそうに見える。処刑だ」となってしまいました。かくしてクメール・ルージュ(ポル・ポト派)が殺した国民の数は200万人とも300万人ともいわれますが、とにかく頭がいい人が片っ端から殺されたので実態が永遠に分からなくなりました。クメール・ルージュが政権を失ってから40年以上が経っていますが、カンボジアは未だに「国内にまともに頭がいい人がいない」というダメージから立ち直っていません。運動能力に遺伝的要素があるように、頭の良し悪しも遺伝的要素はあるので、頭のいい遺伝子を持った人が殺されまくると後世にも影響するのだということを図らずも証明してしまいました。 しかも何が恐ろしいって、当のポル・ポト本人は生涯「自分は間違ったことはいっていなかった」と思っていたことです。彼は「本当に平等な社会」を作ろうと本気になってしまったのです。しかもポル・ポト本人はフランス留学帰りの知的エリートだったというのがまた皮肉としかいいようがないですね。 現代でも、あのオウム真理教は「お金のくびきから解放される真の自由」を標榜して全財産を教団に捧げて出家することを信者に求めていましたし、今でもヤマギシ会なんてのが残っていたりしますね(ヤマギシ会は一切の個人所有を認めません)。 お金がなくても個人が生き生きと暮らせるような社会の実現を目指して革命を起こしたのが我らがフィデル・カストロその人でありますから、もうちょっと前の時代だったらピースボートに乗ればフィデルに会えたのですけどねえ。昔、ピースボートに乗った人から聞きました。なんとキューバに寄港したときはフィデルその人に直接会えたのだそうです。
お礼
クメル・ルージュのお話は、やはり弱者と強者に関係があるように思います。つまり社会的弱者が、虚構的に社会的強者へと変換して社会を崩壊させてしまうという図式なのではと思います。社会保障の問題とも関係があると思います。社会を成立させるには各個人が共通の価値観を持っていることが前提です。お金以外のものにこの役割を持たせられるかどうかわかりませんが、モノがあふれている現在の日本で貧困が問題になるのはなぜかということにもつながると思います。
- o09080706o
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>老人は社会のお荷物ではなく、これからの社会を支える重要な存在という考え方も成り立つのでしょうか。 そうだと思います。 人類の分業がすすんだいま、滅びないために福祉の充実が必要だろうと思います。 ほかの人を生かすための産業に、しっかりと税金などを使うと、若い人がそういうところで働けるのでいいのだろうと思います。 医療だと保険があるからそんなことはないのですが、介護職や保育士さんの給料が激安でなり手がいない状況がすすんでいます。
お礼
お金の問題は難しいですね。お金がないことが社会的弱者ですから、お金さえあれば弱者はいなくなるというのがいかにも正しいとも言えます。しかし本当にそうかというとちょっとわかりません。ものがあふれかえっている日本の状況下でなぜ貧困が問題にあるのか不思議でもあります。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11072/34514)
>ほかの領域でも弱者の立場にいる人が強者といわれる人を支えているのではないか それはその通りです。私たちがコンビニで100円でコーヒーが飲めるのも、どこかの国のコーヒー農園の小作人が安い賃金で働いてくれるからでありまして、もし彼らが正当な報酬を得るようになったらコーヒーは途端に気軽に飲めない高級品となるでありましょう。 そのコンビニが24時間開いているのも、一杯数百円で牛丼やハンバーガーが食べられるのも、安い賃金で働いてくれるフリーターの若い人たちがいるからであり、もし彼らがその若さに見合うだけの正当な報酬や待遇を求めたなら、こんなに便利で安い世の中は維持できないでしょう。 それは介護や福祉業界がまさにそうだといえます。介護や福祉関係で働く人たちは、不当に安い待遇で働くことを強いられています。なぜなら介護や福祉は極めて労働効率が悪いからです。コストを下げるには効率を上げるしかなく、そうするためには昔のチャップリンのモダンタイムスではないですが、老人を「自動食事機」みたいのに乗せて効率よく回していかなければなりません。しかし介護を受ける人たちは手厚い介護を望みますから、どうしても効率優先というわけにはいきません。客が若くて元気なファミリーレストランでは従業員がほんの数人でも何十人という客をさばけるかもしれませんが、一人一人に手間がかかる介護ではほんの数人の従業員で何十人もの老人をさばくことはできません。 彼らにその肉体的精神的負担に見合う報酬を用意するなら、自ずと料金は高くなります。お金がない老人は介護サービスを受けることができなくなります。今は若い世代の人たちが「これは社会的に崇高な仕事だから」という名目で安い賃金で働かされていることによってなんとか成立しています。 そんな介護業界では今、足りない人材をインドネシアなどの海外から輸入しようとしています。まだ日本より賃金が低いインドネシアなら雇うことができるからです。しかし、この制度のすごいところは、「働くだけ働いたら、自分の国へ帰ってね。あとは知らないから」となっていることです。賃金が安くて失業率が高い社会的弱者のインドネシア人なら働いてくれるだろうという先進国の高慢以外の何物でもないですね。当初は「先進国日本の医療が学べる」と思って応募する人たちがいたそうですが、その人たちが「実際は肉体労働者として働かされるだけで何も勉強にならない」ということを母国の人たちに伝えたので今は希望者が激減して日本政府は慌てて制度の見直しをしているそうです。私は、これは日本政府の責任以外の何物でもないと思っています。 この世界は、社会的弱者が犠牲者になることで支えられているといっても過言ではないでしょう。日本では社会的弱者な人たちも、世界的にはもっと弱者な人たちの犠牲によってもまた成り立っているのです。それは今に始まったことではなく、何千年も前からずっと続いてきたことです。そんな強者(ブルジョアジー)が弱者(プロレタリアート)を支配する世の中を変えようとしたのが社会主義なんですがね。団結せよ万国の労働者。
お礼
マルクスの言う搾取というものでしょうか。弱者が主役というのは皮肉と言うべきなのでしょうか。お金という問題も見え隠れしているように思います。お金なしでも個人が生き生きと暮らせるような社会というのは実際は存在できないものなのでしょうか。
- Ice-Trucker
- ベストアンサー率24% (453/1816)
>社会を支えているのは社会的弱者ではないかという説 患者がいるから医者が必要。 生活保護はパチンコ業界を支えているから、生活保護者は 社会を支える重要な存在? 犯罪者がいるから警察が必要。犯罪者は社会を支える重要な存在? これが本当なら、犯罪率の高いブラジルなんだと、犯罪者は国家への貢献で 表彰してもらわないといけませんね。
お礼
犯罪がなくなれば警察はいらないということにはならないようにも思います。
もう少し 考え方の幅を広げましょう・・ 医者と患者だけで無く その医者や患者・・そして あなた・・ 食べるもの 着るもの 住む家・・(所謂 衣食住・・) どの職にも 頭脳になる人も居れば 手足となって働く人も居る・・ 社会は まるで 一人の人間の身体 そのもの・・ どれが欠けても機能がスムーズに行かない・・ だから 人間の身体は 何処か調子が悪ければ 治癒を施す・・ 社会も 人間の身体と同じ様にならないと 本当の社会の機能が動かないだけ・・
お礼
人間の体も常に病気を治す力が加わっているから健康でいられるということでしょうか。
- f272
- ベストアンサー率46% (8467/18126)
「これからの社会を支える重要な存在」ではなく,これからの社会にも必ずいる重要な存在です。 社会であるかぎり,社会的な強者と弱者が必ず存在します。弱者を切り捨てる社会は健全ではありません。強者が弱者を支えるからこそ,健全な社会になるのです。
お礼
この友人は弱者が強者を支えているのでは、と言っているようです。しかしこれでは健全な社会とは言えないのでしょうか。
- trytobe
- ベストアンサー率36% (3457/9591)
その友人の主張は、言い換えれば「金づる」の解説です。 「金づる」は社会を支える重要な存在。
お礼
金が社会を支えているということでしょうか。
- lefty17
- ベストアンサー率21% (46/214)
介護業界では、お年寄りは介護職にとってのお客様ですね。 あとは医療もそうですね お年寄りの世代は高度経済成長の立役者というイメージが強いです
お礼
働けなくなった人という意味での老人と現役時代にしこたま稼いだ老人とは少し意味が違うようにも思います。
- shiren2
- ベストアンサー率47% (139/295)
重要かどうかはさておき、間違いではありません。 例えば身体障害者は社会的に見れば足手まといな面が大きいですが、 反面、私達はいつ事故や病気によって障害者生活にならないとも限りません。 自分達がもしそうなった時、医療設備も法律も道具も、何もないでは困ります。 身体障害者の人達用に色んな法整備や環境整備が進んでいるおかげで、万一の時にも十分な対応が取られます。 同じ理屈で、皮肉にも日本は高齢化社会先進国で、他の国よりも一歩先に超高齢化社会に突入すると言われています。 その為、介護ロボの研究開発などに注目が集まっているのです。 これが実用化されれば、世界に先駆けてデファクトスタンダードを作ることも可能になるわけで、ビジネスチャンスと見る向きがある、ということですね。 老人でも簡単に使えるIT機器や、孤独死を防ぐ為の環境整備、 足の悪い老人向けの医療サービス、老後の人生を充実させる為の環境開発など、 応用の幅は広い言えるでしょう。
お礼
災いを転じて福をなすということわざからみれば将来の日本は最先進国になるように思います。
お礼
なるほどすべてが役に立っているということですね。