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外国人に井伏鱒二の「つくだ煮の小魚」のご説明
日本語を勉強中の中国人です。さだまさしの「つくだ煮の小魚」という曲が気に入りました。作詞者をよく見たら、井伏鱒二でした。その方は日本の有名な作家のようです。つくだ煮は食べたことがありませんが、ネットでその料理の雰囲気を拝見いたしました。どなたか「つくだ煮の小魚」という詩が何を表現したいのか、もう少し説明していただけませんか。歌詞は下記のサイトをご参照ください。 https://mojim.com/twy105697x3x4.htm また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
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文学の評論家の見解には 戦時の影を背負った死者への鎮魂歌だ という類の評もありますが その手の評価はその道の人に任せるとして...。 時代を経て井伏鱒二の人生を知らぬ日本人にも受け入れられていることが貴重。 一般的日本人の私は 素直に井伏鱒二の面白さ(ユーモア)だと思います。 そのこと自体にはさしたる価値もないけれど 人生での一瞬の出会いや偶然に見かけた風景を 在りのまま 感じたままに表現したり 時には 聖人君子の真面目な言辞を自分の感性で言い換えてみる。 彼の遊びでもあり 時には風刺でもあります。 「つくだ煮の小魚」について補足するならば 彼がこのような風景を目にしたのは大正/昭和の前半でしょう 貴国が民国の時代です。 当時は現在のような包装材は無いので 商店では肉類や調理した食品を包装するのに 乾燥した竹の皮を使用していました。 当然密封状態ではなく横に隙間ができます。 従ってつくだ煮を買って帰る途上の彼自身の体験か 通りがかりに見かけた風景なのでしょう。 「水に落ちて形状を復活し今にも泳ぎだしそうな小魚の姿態を見てとり しばし眺めやったもののやはり生き返らない」 の裏に作者の隠れた思いがあるか否か 読者が何を推測するかはそれそれですね。 私は単純に よくありがちなことへの観察力と描写力に感心します。 風景をありのままに表現した心地よい言葉に面白みを感じます。 情景が想起されるという点では俳句に通じる感性です。 ご参考: 彼が39歳頃発刊「厄除け詩集」が傑作です 「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」が現代日本人にもよく知られます。 漢詩の和訳の傑作も。 http://koten.sk46.com/sakuhin/yakuyoke.html 勧酒も春暁も日本語に馴染んだ名訳 于武陵や孟浩然がこの詩を詠んだ時の本当の心はこんな風だった? おまけ: 竹の皮は現在も用途がありますが中国からの輸入がほとんどらしい。 http://www001.upp.so-net.ne.jp/okasho/index.htm http://www.chugoku.meti.go.jp/info/densikoho/24fy/h2412/egao.pdf
お礼
早速のご回答ありがとうございます。教えてGOOでも聞きましたが、回答はぜんぜんつきませんでした。おかげさまで、よく理解できるようになりました。この作家に少し興味を持ち、今度読んでみようかと思いました。大変助かりました。