※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:隅田川の墨田堤の幅はどこからどこまで?)
隅田川の墨田堤の幅と歴史について
このQ&Aのポイント
江戸時代に造られた隅田川の墨田堤は、現在の堤防から100m以上もの幅があった可能性があります。
東白髭公園があるあたりの隅田堤の幅はどこからどこまでなのか、詳細は分かっていません。
桜堤は江戸時代に造られたものであるかどうかは分かっていませんが、移設や新設の可能性も考えられます。
隅田川の墨田堤。江戸時代に造られた時の幅はどこからどこまでだったのでしょうか?
今現在は、隅田川があって桜堤がある高速手前までが堤防になっています。ですが、高速を超えて墨堤通りを渡ってその歩道の先ががくんと下がっています。ここが、墨田堤の盛土の境のような気がします。
しかしそうだとすると、特に東白髭公園あたりは、現在の堤防から100m以上もの幅があることになります。さすがにここまで巨大な堤防はないと思います。
ので、当時の隅田川がもっと墨堤通り寄りだったか、もしくは墨堤通りの下がっているところは墨堤の名残とは無関係化のどちらかだと思います。が、どうなのかさっぱりわかりません。
もしかすると東白髭公園は隅田川だったのでしょうか?またもう少し下流の桜堤は、江戸時代に造られたものかと思っていたのですが、もしかしたら移設あるいは新設されたものなのでしょうか?
質問をまとめます。
・東白髭公園があるあたりの隅田堤の幅はどこからどこまで?
・もしかすると東白髭公園は隅田川だった?
・桜堤は江戸時代の場所のままなのか?
この点について教えてください。
よろしくお願いします。
お礼
> 堤防に巾があったのではなく、河川敷が広くとられていて > 普段は耕地として使い、増水時は遊水地にするという考え方です。 > 当時は堤防で流れを食い止めるという現代のような考え方ではなく > できるだけスムーズに流す、という考え方です。 なるほど…。 日本堤の方はおそらく食い止めるための堤防だと思うんですよね。浮世絵でも細く長い堤が描かれていますし、溢れると武家屋敷の方に流れてしまうので。なので、日本堤は防ぐための堤防、隅田堤はゆっくり流すための堤防ということなのですかね(たぶんそういうことですよね)。確かにあのV字で堤防を作っても溢れるんじゃないかとは思っていたのですが、わざと流れるようにしていたのなら納得です。その疑問も一緒に解決した気分です。 >> 東白髭公園は隅田川だったのでしょうか > 河川敷で湿地帯でした。沢山の池がありました。 なるほど、確かにそんな雰囲気の場所ですよね。 > 現在の新荒川橋の下の荒川と隅田川を結ぶ水路が元々の隅田川です。 はい。このあたりの川に興味があって勉強しているので 荒川放水路や古隅田川の事自体はだいたい把握しているつもりです。 いろいろ参考になりました。 ありがとうございました