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江戸の魅力・東京の魔力
- 江戸の庶民的文化と情緒並びにグルメの要素を取り入れ、細密描写は唸らざるを得ない。
- 東京の姿は現代の大都市である一方、私が好きな東京はディープな江戸の一帯である。
- 『鬼平犯科帳』は二代目中村吉右衛門のはまり役であり、最終話となる今夜は、新たな勇姿を見ることができない寂しさを感じる。
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isokenさん、こんばんは。 つい、初めまして、と書き出しそうな勢いで、 お久しぶりです…(汗)。 以前は、毎回テレビ放送を録画していたものですが、 最近はレンタルに頼っております。今度のことも、 初めて知りました。最終話というのは寂しいですが、 これはこれで、有終の美なのかと思います。 いずれ、DVDでゆっくり観たいです…。 できれば、全集的なボックスがほしいです。 とある女性に勧められて、小説「鬼平犯科帳」を 読み始めて、中村吉右衛門さんの鬼平を知りました。 他の方の鬼平を観ていないのは、幸か不幸か…。 比べることはできませんが、吉右衛門さんの鬼平は、 僕にとっても「理想の上司」であり、憧れでもありました。 元々、時代劇が好きで、いろいろ見ていましたが、 古臭さや説教臭さ、いい加減さの目立つ他の作品に比べ、 「鬼平犯科帳」の完成度は他の追随を許さないものでした。 スタッフの意気込みが感じられて、いつも圧倒されます。 江戸の街並み、人々の暮らし、食や色の文化などが、 隅々までしっかりと描かれていて、その上で、人の心を グッと掴んでくる語り口に、何度男泣きをしたことか…。 切絵図で想像する程度で…、江戸の名残も、今の東京も、 未だにろくに知らなくて、僕にとっての江戸は ファンタジーでしかないのですが、池波作品を読むと、 途端にリアルな世界が立ち上がってくるのが不思議です。 「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。 善事を行いつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。 悪事をはたらきつつ、知らずしらず善事を楽しむ。 これが人間だわさ」…鬼平の人物像や盗人の掟や、 他の人々の生き様に何度も繰り返し現れてくる、 清濁併せ呑むこの人間観、これに尽きると思います…。
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- からあげ ミームン(@marc2bolanti)
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~ では御案内、ケン兄ぃは良く御存知でしょから端折って下さいまし 墨東初参の方に、悪所,本所を巡っての、鳩撃ち*バスツアー🚍~ 銀座から錦糸亀戸行きが今も出てますかね,~晴海通りから、月島で左折して、佃島の在る石川島を抜けてく 最初が勝鬨橋、都電も走ってた幼年の頃は、可動橋の真中がパカっと跳開して信号待ちでした。~其の橋が冒頭シーンだったか日活映画で、 ◉洲崎パラダイス」一時は東京一の岡場所だそうで、主演の 新珠三千代さんは遊女や物の怪を演じると絶妙に艶っぽいな。場所は http://www.tokyo-kurenaidan.com/yukaku1.htm 東陽町と木場の間の埋立地どん詰まり。~うなじ吹く,潮風だけが慰めか、大門に“パラダイス”の看板アーチ有った。~辰巳芸者なぞ揚げられない人夫は此方か、木場の製材屋だったアッシの爺さんもこっちだな。サイト画像にある、往時建物は”10年時点では健在の模様。(*紀伊で言う鳩撃ちは足抜の事. さて鬼平様ですが、捕まえるだけじゃねぇんだ、まっとぉな職に就けと云い 人足寄場 http://www.d1.dion.ne.jp/~tokuzo/onihei.html 御存知ない方へ。~日本初の職訓練更生施設, 派遣村か、石川島播磨屋か越中島だ 経世済民とは斯くあるべし!とは、警視総監かつ厚労働大臣で日ノ本一! 🚎 清澄通り北上で,門前仲町、深川八幡とお不動さん縁日で、お経あげながら骨董物色為れてる大亀様に出逢えますかも…であえ出え~。首都高潜ると 法乗院ゑんま堂、地獄極楽の絵解きが戦前から有名で、絶大な教育効果有った恐かったと母が言う。現在も月二度の縁日に法話が。清澄通りには銅板打出しの大正建物も 🔲清澄庭園を横目に此処から上は流石に門仲町、寺社の墓敷地だけ通って行ける有様、google航空写真で一目瞭然。私らガキは寺社の縁の下が遊び場、甍の上は別天だ。盗っ人予備軍止む方無し!江戸の闇は深いです、瓦小僧あっての捕物よ‼︎ 稼業ですから盗賊も芸人の一、網野善彦説では博徒や浪人,占い,町医者等も芸能者の範疇だけど人別外れの無宿だと肩身が狭い⁈~密偵なるも裏切というより官民双方、単純な勧善懲悪でもなく、協同的Co-operation,哉。~ さて刻は暮れ 青褐の 瓦の上に薄暮棚びき、ボ~ンと梵鐘が…、西の方を見遠せば 釣瓶落としの日の入に、広重 浮世のグラデーション。高所に登れば 足引きの 不二の身裾は 此処迄も。今も変らぬ江戸東京の魅力の一でしょう ~ 急がねば!、…おっと、行けねぇ白河町, つき当った天敵は,松平の墓所だ 平蔵を登用の、寛政の定公, 菩提の霊巌寺,~ 明暦の振袖火事で霊岸島から越して来やがった。因み近所の別院にウチの爺様も眠。 隣は御存知〔深川江戸資料館〕長屋のセットが3棟あったか、此処は良いです。通い徳利に酒入れて、和服で訪れ框に腰掛け🍶一杯いける。~ 咎められたら鬼平の、名を出し「仕込みだ!撮影の」と。 さて表に出た。~ すっかり夕闇、ワワオ~ン、と吠える野良犬はもう居ぬわ 🏞北端接した清洲橋通りを越すと直ぐに幾分幅広の、小名木川。 四谷~日本橋川経由で流されて来た 戸板が…一枚下は地獄のお岩さん!合掌👃。Pボトル伊右衛門お持ちの方は不渡(^^;、無事渡れば森下町。岩井橋には大空襲センターも 東へ2丁で三ツ目通り、上って🚇菊川駅。やっと着いたよ平蔵,足跡 長谷川邸🗡火付盗賊改は、町奉行と違い、自宅が役宅、史実じゃ此処か 📽吉右衛門さんは,親子共演の『敵は本能寺にあり』観て差が判りますわ 初代が主役の光秀は歴代一の適役⁉︎,貴族的で嫋やかも良し悪しか。当代は映像も時代劇限定だから芸が荒れなかったですね、主演では『藪の中の黒猫』は名作 🏞本所七不思議》置いてけ堀,も此の辺り哉。虎ちゃんは此処で放下して http://ginjo.fc2web.com/45nanafusigi/nanafusigi.htm 記念碑後にして東へ一丁、大横川を北へ真直ぐでスカイツリーだ!~ あのイルミネはどうなのか?江戸紫じゃねえな、途中の親水公園も水銀灯でしょか、下町冬には一寸冷い⁈ 辻行灯か朱塗の木灯籠、春日燈篭と云いますか、たそや行燈とかにして欲し。買うと高いが近所の稲荷さんで只貰いで修理しウチの庭に置き、乙なもんです。爺さんも商人なので敷地に小稲荷さん祠、溶岩軽石で築山にしてたけど、今思うと富士山哉アレ 🗻 http://www.hi-ho.ne.jp/t-kitagawa/page030.html 元八幡 の砂町富士。都内3番の高さ10m.~頁右下に都内富士塚一覧クリック。序で中川中洲で、 🕸山本周五郎「深川安楽亭」の映画『いのち.ぼうにふろう」小林正樹📽 http://kininaru-theater.blogspot.jp/2015/01/blog-post_48.html 岡崎宏三のモノクロ映像は見事。治外の島の吹き溜り、荒くれ,と云うより与太者集団新劇か、仲代達矢ですので。栗原さん酒井さんは可愛らし。~ ではどうぞ火の用心。節介,せっかち江戸っ子気質、黙ってらんねぇ悪しからず
お礼
marc さん、こんばんは。 >◉洲崎パラダイス」一時は東京一の岡場所だそうで、 洲崎は今でいう江東区東陽ですね、ただ昨今その地名を耳にする事は殆ど無い、私だって洲崎を知ったのは随分と後の事、阿佐田哲也氏著 『 ドサ健ばくち地獄 』 を読んでからです。 >辰巳芸者なぞ揚げられない人夫は此方か、 辰巳芸者は 「 江戸の粋 」 、元々芳町・新橋そして玉の井などと比べれば遥かに格上ですが、柴田錬三郎氏著 『 御家人斬九郎 』 で、若村麻由美が演じるのが辰巳芸者ですね、そりゃもうきっぷがいい。 >🚎 清澄通り北上で,門前仲町、深川八幡とお不動さん縁日で、お経あげながら骨董物色為れてる大亀様に出逢えますかも…であえ出え~。 両国 ~ 門仲 ~ 月島 を直線で結ぶ 清澄通り は、最も色濃く江戸を感じさせる通りの一つでしょう。 それにしても下町は道が分かり易くて楽ですねぇ、南北を縦断するのが外側から明治通り・四ツ目通り・三ツ目通りそして清澄通り、後は東西を横断する通り名を覚えればいいだけです。 さてこれでもかと下町の地名を出して頂き、ありがとうございます、今時これだけの地名を挙げられる人はそうはいないでしょう、さすがは下町生まれの marc お兄いさん、感心しました。 回答ありがとうございます。
- kamejrou
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こんにちはisoken さん 寒くて体が動かない、冬のゴキブリのようなものです まだ開いておりましたのでお邪魔しましたが まず、お詫びを 我ながら誤字の多さは目にあまる 意欲が涌かないは湧かない 半面は反面 斗酒飲も辞さずに至っては何を言ってるのか分からない 別にisoken さんの質問と言うことで気が弛んでいる訳でもないのですが 推敲することなく回答してしまう 「固いことを言うな」と聞こえてきそうですが一応お詫びまで 東京の魔力について少し話してみたいのですが おそらくはisoken さんは江戸から続く我々を魅了してやまない 粋と風情の東京の町を質問されてるのだと思うのですが 承知のうえで言わせていただけば どうも日本人と言うのはお上りさんてきDNA が刷り込まれている 鎌倉、室町は京都がそうであった、文化政治の中心でありましたし 今はそれが東京に代わったと言うことでしょうか? 私のことを又言うようで申しわけないのですが 北海道にだって学校がない訳ではない 私が浪人のあいだも東京に居続けたことはisoken さんはご存知だ 私のような田舎者には東京には離れ難い魅力があるのですね それは魔力と言っていい これはisoken さんのような江戸っ子に分かってもらうのは難しいかも知れない ただ不思議なことに憑き物がおちたように故郷が恋しくなるのですね 鮭に似ておりますアハハハハ 「和歌山ブルース」を教えてくれたのはisoken さん❓ 私、ずっと考えてた Sqさんなのかな?isoken さんかな? こう言う唄を私に教えてくれる人は限られておりますからね 「和歌山ブルース」はいけない❗もう胸にこたえて 「私にならわかる」❓またそう言うことを言う❗アハハハハ 戦前のヤクザと戦後のヤクザの違いを言われた 行き着いた結論が 「人生劇場 飛車角」と「仁義なき戦い」の違いであろう さすがにisoken さんと言わざるを得ない、仰るとうりでしょう 見事な比較で分かり易い ただこの比較もこの二つの傑作を観ていなければ出来ないのです 侠客と言うのはおそらく番随院長兵衛が始まりでしょう それ以前にも「男気」「傾き者」はある訳ですが いわゆる強きを挫き弱きを助ける、これが戦前にまではある 敗戦は仰るように喰うためにはと言うアプレゲール、 秩序なり権威と言う価値観を無視する人間を生み出した これが私は戦後のヤクザであろうと思っております、もう任侠と言う言葉はない 精々が田岡、稲川と言う頃までなのでしょうか? 先日、私はsqさんと話していたおり、 「東京アンダーナイト」、山本信太郎さんの著書ですが 私はこの本のことは承知していたのですが思い出すこともなく忘れておりましたが Sqさんに教えていただいた 目の前にあるのですが今だに目を通せずにおりますが当時の「ラテンクオータ」、 これがどのようなものであったか? 力道山の話しもあるでしょうしワクワクしてるのですがまだなのです その時に図書館で目に留まったのが「いびつな絆 関東連合の真実」なのですが Isoken さんは六本木のクラブでの集団撲殺事件を覚えておられるかと思うが 愚連隊とも言えぬ暴走族なのでしょうが実に始末が悪い 渋谷が拠点らしいのですがisoken さんも情けなかろうとアハハハハ 矛盾するようですが 私の頃は新宿はむしろ安心、安全な町でした それなりに秩序が保たれておりましたからね何か揉め事があれば守をしてる組員がくる 最近は秩序もヘッタクレもあったものでない さて、「仁義なき戦い 広島死闘編」の話しで終わりにしましょうか? まあisoken さんとは何度もしてる 仰るように千葉真一の大友勝利がまあ素晴らしい❗ あれこそが先程も言った戦後のアプレでしょう 他の共演者がかすんで見えるほどです あの役は千葉真一と言う役者には大きなターニングポイントになった 私はそう思いますね Isoken さんには説明は無用ですから楽でいいのですが例えば「日本の首領」、 迫田?あの凄味は大友勝利の演技があってこそでしょうし ただあの時代は実に複雑で Wiki などをたまに眺めても嘘がある 欣也さんの山上が広島の闇市で山守の若い衆に痛めつけられるなどある訳がない 山守は呉ですし、広島は山守が岡の跡目をとってからでしょう そもそもがisoken さんあの「広島死闘編」には無理がある 山上と広能が時間的に合わない 笠原さんも随分乱暴ですが仕方なかったのでしょうねえ さて最後に 今年はアメ横に蟹はどうか?と思うのですが マグロは去年isoken さんに教えていただいたから行きもしませんでしたが 蟹はどうなんだろう? ご存知でしたら
お礼
kamejrou さん、こんばんは。 >戦前のヤクザと戦後のヤクザの違いを言われた 何故そんな事を書いたかといいますと、あの日ペンキを塗り塗り韓国の朴槿恵大統領の事を考えていたんです、憐れなものだな~と。 犯した罪はそれとして、当然彼女の世話になった人間もいるはずです、それに親分の 「 いざ鎌倉 」に側近は身を挺して庇うのが本筋でしょう、 ところが誰も彼も我が身可愛さにぺらぺらと喋りまくり、そこには義理も情もへったくれもなくて少なくとも私の美学には合わない、風土が違う・民度が違うと言われればそれまでですが、やっぱりあの国の人と日本人とは相当に違うなぁ・・と、それがヤクザの義理人情に行き着きましてね・・。 >いわゆる強きを挫き弱きを助ける、これが戦前にまではある >敗戦は仰るように喰うためにはと言うアプレゲール、 >秩序なり権威と言う価値観を無視する人間を生み出した アプレゲールと聞いて、私が真っ先に思い浮かべるのが、 kamejrou さんも御存じでしょう、三声会の三木恢です。 >先日、私はsqさんと話していたおり、 >「東京アンダーナイト」、山本信太郎さんの著書ですが その本に関しては、私も以前 sq さんから教えて頂いた事があります、もっともまだ読んではおりませんが・・。 さて赤坂周辺には 『 コパカバーナ 』 『 ミカド 』 ・・と、似たテイストのナイトクラブ・レストランシアターはありましたが、やはりこの 『 ニューラテンクォーター 』 は別格、ホテルニュージャパンもそうですが、ニューラテンクォーターに至っては 「 伝説の・・ 」 と申し上げていいでしょう。 何せ力道山刺殺事件、 それに「 修羅の群れ 」 で描かれた東声会町井会長と当時の稲川会大幹部井上喜人とのやりとり、加えて 「 赤坂の天皇 」 こと浜本政吉さんが通い詰めた事もそうです。 考えられる限りの魑魅魍魎が集う場所でありまして、仰る通りでワクワクする気持ちを抑え切れない、ところで赤坂にはいまだ 「 ハマ・エンタープライズ 」 のビルがあるようですね、その2Fが住吉会総本部との事。 >その時に図書館で目に留まったのが「いびつな絆 関東連合の真実」なのですがIsoken さんは六本木のクラブでの集団撲殺事件を覚えておられるかと思うが愚連隊とも言えぬ暴走族なのでしょうが実に始末が悪い >渋谷が拠点らしいのですがisoken さんも情けなかろうとアハハハハ 関東連合の母体の一つ、ブラック・エンペラーという暴走族は私の頃にもありましたが、当時は単にやんちゃなガキの集団に過ぎませんでした、半グレの世界も随分様変わりしたようです。 尚裏社会の事情通に話を聞きますと、関東連合なるものはほぼ壊滅状態にあるそうです、トップが逮捕を恐れて逃げ回っているようでは、組織として機能しないのは当然でしょう。 そもそも香港の犯罪組織 ( 三合会 ) 型の集団みたいですね、つまり表の顔として殆どの人間が正業を持ち、或る時は裏社会の顔で接しまた都合が悪いと堅気の振りをする、もっともやくざの構成員と認定されれば初犯からほぼ執行猶予が付きませんし、下手すれば堅気の5割増しの実刑ですからねぇ、グレーゾーンに身を置き続けたという事です。 メディアがセンセーショナルに書き立てましたが、勿論ヤクザに対抗出来る組織力など欠片も無かった、ただその一部が住吉幸平一家の加藤連合辺りに流れているのは確からしい、その殆どはパシリらしいですね。 >私の頃は新宿はむしろ安心、安全な町でした >それなりに秩序が保たれておりましたからね何か揉め事があれば守をしてる組員がくる最近は秩序もヘッタクレもあったものでない その点は本当にその通り、御存じのように元々歌舞伎町は金筋博徒 小金井一家 の縄張りですが、その実態はと言えば我が国唯一のオープン・テリトリー、百花繚乱のヤクザ激戦区であると同時に彼等が共存共栄する金城湯池でもある。 そもそもここで何かが起こると一番困るのがヤクザ自身、依って危ない街を売り物にするその一方で、警察権力が及ばない外国人犯罪など他の脅威を排除して来たのが他ならぬヤクザです。 ところが暴対法よりこちら、ヤクザが身動き取れなくなると台頭して来た勢力が2つある、それがチャイナ・マフィアと半グレ集団、無秩序な繁華街ほど怖い物はありませんね。 >Isoken さんには説明は無用ですから楽でいいのですが例えば「日本の首領」、迫田?あの凄味は大友勝利の演技があってこそでしょうし もうですね・・全く同じです、千葉真一 1番のはまり役を 大友勝利 とするならば、2番目は 迫田常吉 役以外にない、仮にもう一つ挙げるとすれば 『 日本の仁義 』での若頭役ですが。 >山守は呉ですし、広島は山守が岡の跡目をとってからでしょう 仰る通りで山村はキャバレーこそ広島に持っておりましたが、広島への橋頭保・人脈が無かった、依って一度は捨てた美能幸三を拾い返して岡組への接近を図る、それが 『 代理戦争 』 以降に描かれた顛末です。 >笠原さんも随分乱暴ですが仕方なかったのでしょうねえ 何の根拠も無い推測ですが、 『 仁義なき戦い 』 の脚本を書き下ろすに当たって、笠原さんの頭の中には2人の広島ヤクザがあったのではなかろうかと思います、一人は 「 悪魔のキューピー 」 こと大西政寛、そしてもう一人が山上光治・・、2人とも広島ヤクザの典型ですからねぇ。 大西に関しては初作で登場させました、そして満を持した次回作で山上にスポットライトを当てた、『 広島死闘篇 』 の主役は明らかに山中 ( 山上 ) ですよね、あそこでの広能は刺身のツマでしかありません。 ところで私が考える 『 仁義なき戦い 』 シリーズのもう一つの凄さは、全5作が甲乙付け難いレベルにある事です、その点はハリウッド映画にもないんじゃないでしょうか、もっとも惚れた弱み・あばたもえくぼと言われればそれまでですが・・。 >今年はアメ横に蟹はどうか?と思うのですが >マグロは去年isoken さんに教えていただいたから行きもしませんでしたが >蟹はどうなんだろう? >ご存知でしたら あれからもう1年経ちますか、嫌になるほど早いですねぇ。 さて結論から申し上げますが、マグロにしろ蟹にしろアメ横の廉価品は、福袋の中身とお思いになった方がいいかも知れません。 当然ながら極端な廉価品 = 冷凍品 と思われますが、冷凍して2年以上が経過した食品は、冷凍食品と明示して販売しなければならないルールがあるにも関わらず、明確な罰則規定が無いものだから特にアメ横は管理が杜撰でありまして、冷凍して以降2~10年程度の幅があるようです。 もっとも味に関してはさほど影響がないそうでして、私がどうするかと聞かれましたら、解凍後の色の点でマグロには手を出しませんが、蟹に関しては別段気にしないでしょう。 回答ありがとうございました。
- からあげ ミームン(@marc2bolanti)
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今晩は。~未だ変貌を止めぬ此の魔都の魅力の源泉は、 将門~鹿島神宮から印旛:手賀沼までも、香取の海”と呼ばれた葦原の 荒野に打ち込まれた,要石、~川筋定まらぬ,坂東太郎の為せる業、荒ぶ 水流、如何に平定するかが古よりの治水=治世の源か。~暴れ川の鬼怒、利根、荒川。昭和になっても安定せず、、赤坂溜池は最近でも水が出るなぁ、、 ~俯瞰で江戸古地図を見ますと東京湾の埋立て地、太田道灌堀の頃からは、 🌀お江戸の地政は渦巻きだ!螺旋の力が今も生き、古く新しく変貌する力の源。 明治初期に来日の,モース博士の大森貝塚や、山王,日枝神社、湯島,上野のお山、其処が岬の突端で、風水パワスポですね、坂も魅力の都市ですわ ●中心に〈空無=ゼロ記号を抱える都市〉と評価したのはフランス構造主義時代のロランバルトですが、其れは皇居となった明治以降の話、 Parisの様な放射状じゃなく、銀河の様に発展する渦、車懸かりの化け物都市なのでした。登城の階梯もそう哉?その風水の流れを造るのが螺旋であり掘割で。埋めちゃダメェ~! 徳川は大阪埋めたから薩長に埋められた。都市の力削がれます 水面遠いと銀座の柳と幽霊も可哀想。~ せめてザギンの首都高、半端な半地下は掘割に戻したい!~ 津波で真っ先に殺られる ~外堀通りは勢い有るな、環状線は今一だな、メトロは大江戸線以外は非環状なので発展してるわいな~。日本橋の高架は逆に、♪地下に~ちかにぃ~♪ 🏯其の隣、徳川三代の命により、雄誉霊巌上人らが干拓したのが霊岸島。 茅場町~ 八丁堀,と南下して、築地に行ってみますと,本願寺、不思議な本堂です。礼拝堂か、印度バラモン建築に先祖帰りか⁈ 隣の聖路加教会が別院らしい⁈、其のホスピタル付属短大には4年間通いました、学園祭。~此処の看護学生、良かったです(^^;。六本木で遊びながらも、地方出身者多く結構純真、下心も洗われた(^^;,~ 建物が大正期の大理石と重厚な木製の扉や手摺りでしたよ ~さてでは私故郷の川向う墨東に向かい、散策続けたい、鬼平所縁のも… からっ風の虎ちゃんにも、下町案内したいぜ、そいでもって“置いてけ堀”にす、~ 落語でそう云う地名も在る界隈です、間に合えば又後日にでも。
お礼
marc 兄さん、こんばんは。 >今晩は。~未だ変貌を止めぬ此の魔都の魅力の源泉は、 >将門~鹿島神宮から印旛:手賀沼までも、香取の海”と呼ばれた葦原の >荒野に打ち込まれた,要石、~川筋定まらぬ,坂東太郎の為せる業、荒ぶ 水流、如何に平定するかが古よりの治水=治世の源か。~暴れ川の鬼怒、利根、荒川。昭和になっても安定せず、、赤坂溜池は最近でも水が出るなぁ、、 >~俯瞰で江戸古地図を見ますと東京湾の埋立て地、太田道灌堀の頃からは、 要するに 江戸 ⇒ 東京 ってのは、人の手が加わってこその大都会、家康の関東移封とその後の天下奪取いう歴史的経緯が無ければ、今の姿があるかどうかすら分からない、そこが我が国有数の立地条件に恵まれた 「 天然の大都会 = 大阪 」 との最大の違いでしょう。 >徳川は大阪埋めたから薩長に埋められた。都市の力削がれます >水面遠いと銀座の柳と幽霊も可哀想。~ せめてザギンの首都高、半端な半地下は掘割に戻したい!~ 津波で真っ先に殺られる 明治維新は革命といって差し支えないでしょう、それなりに血も流れている、つまり ロべスピエール が ルイ16世 / マリー・アントワネット 他多くの王族・貴族・政敵を断頭台に送ったのと同じく、血塗られた政権交代であったとしても、何等可笑しくはなかったという事です。 さはさりながら旧政権の象徴であった慶喜公を始めとして、犠牲は最小限に止まった、旧政権の少なくない能吏の多くをテクノクラートとして起用もしている。 ところでザギン・・、それも西銀座デパートの上を通過する首都高は一体どうなっているのか、首都高評論家の私にもよく分かりません。 >🏯其の隣、徳川三代の命により、雄誉霊巌上人らが干拓したのが霊岸島。 茅場町~ 八丁堀,と南下して、築地に行ってみますと,本願寺、不思議な本堂です。礼拝堂か、印度バラモン建築に先祖帰りか⁈ 霊岸島って中央区新川ですよね、何かあるかと言えば取り立てて何も無い、私のイメージだと箱崎ターミナルに近い事だけ、但し嫌いじゃないですよ、気取った感じがなくて・・。 さてもう1つ御回答頂いておりますから、後はそちらで。 回答ありがとうございました。
皆さんが語らない「東京の魔力」を少し。 東京に棲む魔物とは、その魅力ゆえの一極集中と地価高騰。 1970年代の終わりころのこのこ上京してきた我々ポスト団塊世代が、まず 驚嘆したのが「東京の地価はなんて高いんだ」という事実。当時の彼女の実家が 昭和女子大の近くにあって、こいつはすげー金持ちの娘なんだろうと思いました。 1970年代後半、住宅公団は、竜ケ崎ニュータウンだとか恐ろしく遠い郊外の 住宅団地の開発を進めていました。 「せっかく花の都大東京に勇んで出てきたのに家が買えるのは茨城県かよ。」 そう思うと悲しかったものです。さらには1985年頃には45m2の物置にしかならない ような2DKのマンションすら手がとどかない価格になっていました。 地価高騰は、我々の前の世代である団塊の世代の給与の大半をローンで吸い上げ、松戸や流山や佐倉の郊外の一戸建てにしばりつけました。 そしてバブル崩壊以降一挙に値をさげて気が付けば価格は買値の半分以下に。 マイホームのために働いて注ぎ込んだカネはすべて海の藻屑ならぬバブルに溶けて 消えました。 カジノ法案のずっとまえに、東京には不動産市場という立派なカジノがあったことに 誰も気が付いていません。 魔物の凄いところは、おそろしいえこひいきをすることです。現在の40代、 いわゆる団塊ジュニアとよばれる世代は、半値以下になった東京の不動産を 1%台の安いローン金利を底値で手に入れています。 地価の高騰と下落に翻弄されて嫌気がさして自宅を処分し地方に戻ってみても、 地方には昔ほどの活気はなく、介護施医療施設も質量ともに東京にはまるで 及びません。 さて、東京にはそれ以外にもさまざまな魔物が棲んでいます。 東京で地価高騰の次に恐ろしかったのがぼったくりの店。1977年の昔でさえ 座っただけで頼んでもいないフルーツやブランデーの瓶が並び、作ったばかりのクレジットカードでサインをさせられ近所の交番に駆け込んだら、笑って相手にされず。 新宿でぼったくりに合い、上野のサウナに泊まって気が付けば隣に見知らぬオッサンが裸で添い寝して股間に手を伸ばしてくる。新橋のスナックでは隣の男が熱い目線を投げかけ膝を撫でてくる。その後幾度か危機を乗り越えて現在に至っています。 性別の判明しない人たちならわかるけど、普通の外見ですから、こちらが酩酊していたらめんどくさくなってそのまま魔界にひきづりこまれていたかもしれません。酔って断るのが面倒で寝てしまったという気のいい女友達のかつての言い訳がわかったような気がしました。
お礼
ex さん、こんばんは。 >東京に棲む魔物とは、その魅力ゆえの一極集中と地価高騰。 >1970年代の終わりころのこのこ上京してきた我々ポスト団塊世代が、まず驚嘆したのが「東京の地価はなんて高いんだ」という事実。 銀座周辺の地価は明らかにバブルの様相を呈しておりますね、但しその昔のバブル期との明確な違いは東京一極集中の度合いが更に増した事、その東京に於いてすら銀座周辺・港区の繁華街・湾岸エリアにほぼ限定されている事、所謂郊外はさほどでもない、恐らく住宅地や地方都市にまで手を伸ばす資金力が今の日本にはないのでしょう。 他方三菱地所が売り出した表参道のマンションが、競争率100倍で即日完売だとか・・、最低価格1億数千万円にも関わらずです、いや~あるところにはあるんですねぇ。 >当時の彼女の実家が昭和女子大の近くにあって、こいつはすげー金持ちの娘なんだろうと思いました。 渋谷までチャリンコで買い物に行けちゃいます、いいとこですねぇ。 随分昔ですが谷隼人・松岡きっこ夫妻が、犬の散歩をしている姿を見掛けた事がある、きっとあの辺りに家があるんじゃないですか。 それにしてもこの世の中は不公平に出来ているもの、おぎゃ~~と生まれ付いたのが東京の土地持ちの金満家庭であれば、どんなボンクラであろうと余程の事が無い限り安寧な生活が保証されます。 現在日本人の生涯賃金の平均は、一頃よりもぐっと下がって2億5千万円?、大企業の役員経験者にしたところでどうだろういいとこ数億円でしょうか、事務次官や局長クラスにまで上り詰めたキャリア官僚の超エリートが、仁義なき天下りを繰り返して精々7~8億円程度。 ところが親から1000坪の地所を相続したバカボンが、その世田谷区の土地を捨て値で叩き売っても20億円也、さしたる税金対策をしなくても手元にはざっと10億円超の現ナマが残る計算となる、汗水垂らして働くのが馬鹿馬鹿しくなっちゃいますねぇ。 >1970年代後半、住宅公団は、竜ケ崎ニュータウンだとか恐ろしく遠い郊外の住宅団地の開発を進めていました。 例のチバリー・ヒルズはどうなったんでしょうか、随分とすったもんだしていたようですが。 >魔物の凄いところは、おそろしいえこひいきをすることです。現在の40代、いわゆる団塊ジュニアとよばれる世代は、半値以下になった東京の不動産を1%台の安いローン金利を底値で手に入れています。 ずっと5%台周辺で推移していた住宅ローンが、仰る通りで1%台が常識の昨今、そこに不動産価格の上下という投機的素が加味されますから、今や住まいの選定は一生の運命を決する一大イベントと言っても差し支えないでしょう、ババを引いたらそれこそどえらい事になってしまいます。 >新宿でぼったくりに合い、上野のサウナに泊まって気が付けば隣に見知らぬオッサンが裸で添い寝して股間に手を伸ばしてくる。新橋のスナックでは隣の男が熱い目線を投げかけ膝を撫でてくる。その後幾度か危機を乗り越えて現在に至っています。 私も接待で六本木のフィリピンクラブに行き、季節外れの大雪に見舞われて、上野のサウナで一晩過ごした事がありますが、サウナってのはそれこそ雑多な客で構成されておりますよね、昔は全身にもんちゃんをかましたその筋の人が普通にいました、モーホーもそりゃいたでしょう、犯罪者だって恐らく大勢いたと思います。 >酔って断るのが面倒で寝てしまったという気のいい女友達のかつての言い訳がわかったような気がしました。 物臭もそこまで行けば相当の豪傑ですねぇ、いや天使と言い換えていいのかも知れない。 回答ありがとうございました。
- 雷 むぐちょ(@raimugurin)
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こんばんは 『 鬼平犯科帳 』 す、すみません見たことないです 東京と東京周辺には特注家具取り付け工事に何度も行ってまーす 江戸の時代には江戸に魅力は感じますけどぉ トキオ・・んー トウキョウ・・ んー ごめんなさい 現代東京、何度行っても なんの魅力も感じません 寅さん時代で終わってます。 魔力、黒政治家の巣窟のイメージが強くて・・。
お礼
raimugurin さん、こんばんは。 >『 鬼平犯科帳 』 >す、すみません見たことないです あらまっ、虎ちゃんも機会を作って是非見て下さい、粋でいなせ・・男の情とはこうあるべきというのが良く分かる、勉強になりますよ。 >現代東京、何度行っても >なんの魅力も感じません >寅さん時代で終わってます。 >魔力、黒政治家の巣窟のイメージが強くて・・。 そういう方は、無論おられるでしょう。 ただですね、この東京だって再開発の波から取り残された地域はあります、それこそ葛飾柴又なんて寅さんの時代とさほど変わらない、あそこは江戸川と中川そして京成線に囲まれた狭隘な住宅街ですから、恐らく今後もそう変わる事が無いと思います。 回答ありがとうございました。
- ithi
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isoken さん、こんばんは。 鬼平最終回が終わりましたね。次はだれがやるんでしょうかね? この時代劇はどちらかといえば、うちの父のお気に入りで先代の松本白鴎から見ていました。それ以外にも、例えば江戸の庶民的文化と情緒並びにグルメの要素をもふんだんに取り入れた、原作者 池波正太郎さんの細密描写・・、 その点にも唸らざるを得ない。 これで一番組できるんですから、相当、手の込んだ料理ですよね。私も江戸の古地図に凝ったことがありましたが、原点はこの時代劇です。 子供のころからの不思議なことといえば、江戸の昼間の日常と夜の盗賊の登場シーンなんか見ると本当に別世界だったんですね。
お礼
ithi さん、こんばんは。 >鬼平最終回が終わりましたね。次はだれがやるんでしょうかね? これだけ吉右衛門さんのイメージが強いと、暫くは誰もやれないんじゃないでしょうか、自身の役者人生を考えると鬼平を演じる事が恐らくマイナスにしかならない、仮にオファーがあっても受けられませんよね。 >これで一番組できるんですから、相当、手の込んだ料理ですよね。私も江戸の古地図に凝ったことがありましたが、原点はこの時代劇です。 逆に池波グルメから 『 鬼平犯科帳 』 に辿り着いた方も少なくないんじゃないでしょうか、食に関する池波正太郎さんの影響力はそれほど凄い、著作も少なくありませんし・・。 >子供のころからの不思議なことといえば、江戸の昼間の日常と夜の盗賊の登場シーンなんか見ると本当に別世界だったんですね。 江戸期を通じ、東西町奉行所の与力・同心をひっくるめた人数がたったの300名前後、火付盗賊改が精々50名程度、岡っ引きやその他諸々はいるとしても、その程度の人数で江戸の治安がそれなりに保たれていた事の方が驚異である気がします。 回答ありがとうございました。
- oya_zico
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最近は、東京よりも九州にはまっているoya_zicoです。 isokenさん、こんばんは。 東京の魔力(魅力)とは、私たち田舎者に対する東京ブランドのチカラでしょうか? 千葉県にある施設に、東京という名を冠するものが多いことは非常に有名ですが、 更に、以前、同じエピソードを話していたとしたら申し訳ございません。 学生のとき、東京の友人に会いに行き、新宿アルタ前で待ち合わせしたのですが、田舎者だけに30分以上前に到着も、一人で喫茶店に入るだけの度胸も無い。 すると、パンチパーマのオジサンが、私に、 『スタジオマルイ』のものだけど、モデルに興味ありますか?今からちょっと一緒に付き合っていただけませんか?』 と、声をかけてきた。 『マルイブランド』 そのヤクザ風の男は、マルイ(丸井)というブランド名を出せば、田舎者を簡単に騙せると思ったのでしょうが、私は、マルイすら知らない超田舎者、そんなブランド名の効果も無く、『済みません。今、友達と待ち合わせ中なので』と、普通に対応、騙されることは無かったのですが、 もし、関東に詳しい田舎の学生ならば、マルイブランドに騙されて、歌舞伎町あたりに連れて行かれて、オジサンに貞操を奪われていたかもしれませんね。 ただ、私は、東京では色々勉強させて頂いてます。 珈琲にお茶、それから観劇、田舎者には眩しすぎる場所ですね。
お礼
zico さん、こんばんは。 >最近は、東京よりも九州にはまっているoya_zicoです。 九州いいですねぇ、今更ながら行きたいところが山ほどあります、例の7つ星トレインにも乗ってみたいし・・。 >千葉県にある施設に、東京という名を冠するものが多いことは非常に有名ですが、 浦安や川崎辺りが東京を名乗るのにさして違和感はありませんが、 「 えっ ! 」という場所もある、 「 もっと、地元に誇りを持たんかい! 」 ・・と。 もっとも バンコク の タニヤ や フィリピン の マビニ で、札幌とか原宿とかっていう飲み屋の看板を見る事を思えば、どうでもいいのかも知れませんが・・。 >すると、パンチパーマのオジサンが、私に、 >『スタジオマルイ』のものだけど、モデルに興味ありますか?今からちょっと一緒に付き合っていただけませんか?』 さすがの新宿だって、そこまで怪し気な人物は少ないでしょうねぇ、誰も引っ掛からないと思います。 ただモーホーやゲイって、我々が考える以上に生息しておりますから、紅顔の美少年だった若き日の zico さんが、『 薔薇族 』 の紙面を飾っていた可能性は否定出来ませんが・・。 >『マルイブランド』 >そのヤクザ風の男は、マルイ(丸井)というブランド名を出せば、田舎者を簡単に騙せると思ったのでしょうが、私は、マルイすら知らない超田舎者、そんなブランド名の効果も無く、『済みません。今、友達と待ち合わせ中なので』と、普通に対応、騙されることは無かったのですが、 考えように依っては、 「 丸井 」 自体が怪しい蟻地獄商法じゃないですか、右も左も分からない学生さんにクレジットという魔力を知らしめましてね・・、あれで苦しんだ友人を何人か知ってますよ。 >ただ、私は、東京では色々勉強させて頂いてます。 >珈琲にお茶、それから観劇、田舎者には眩しすぎる場所ですね。 文化の世界的発信地の一つですから、それこそなんでもある、その気になればこんな楽しい場所は他にはないでしょう、それが世界に冠たる大東京です。
- kamejrou
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こんにちはisoken さん 何やら随分とお久し振りでしたが元気でおられた? 私はまあ可もなし不可もなしなのですが 最近はあまりここでの回答意欲と言うものが涌かない年齢でしょうかね? >江戸の魅力・東京の魔力 鬼平の魅力と言うことですがNo 3の方へのお礼の中で言っておられる あれが全てでしょうし、あれに尽きる❗ ただ、仰ることご尤では私がシャシャリ出ることもない Isoken さんの話しに沿うかたちで私も少し話してみましょう 実は前編・後編と録画はしてあるのですがまだ観ておりません まあそのうちにと思っております 私も寂しいとは思いますが半面、もういいのかな?と思いもするのです スペシャル版は何作か作られているようですが私は観ていないのも多い 鬼平フアンと言うことではisoken さん同様、私も人後に落ちないのですが 衰えた鬼平を観るのは切なく又辛くもある 私は晩年のオウドリーの映画も殆ど観ておりません同じ理由で私は観るのが辛かった フアン心理とはこう言うものなのでしょう 余人に代えがたいと言うことでは渥美清さんの「フーテンの寅」、 これは仰るとうりで「フーテンの寅」はこれから先誰も演ることが出来ない Isoken さん、吉右衛門さんの鬼平もそれに近いものがあると言われるが、 おそらく鬼平の役は吉右衛門さんで終わりでしょう私はそう思う 私は歴代の鬼平を観て知っております 先代の幸四郎さん、なるほど池波さんがイメージしただけのことはある ただそれでも吉右衛門さんの鬼平のほうが男の色気と粋と言うことでは優ってる まあ私の極、個人的な想いではありますが 丹波哲郎、中村錦之助さんなどは私から見れば粋と色気と言うものが足りない それともう一つ代えがたいと思うのが吉右衛門さんの鬼平への想いです Isoken さんご存知のように吉右衛門さんは白鴎の鬼平で倅辰蔵の役で出ておりますね? 池波さんは吉右衛門さんの鬼平を楽しみにもしておられ希望もされていた 吉右衛門さんは固辞され続けた、曰く「私はまだ鬼平の演れる役者ではありません」、 一人の役者が一つの役にこれほどかけた時間の重みこそが代えがたいのです ついでに言いますが 池波さんご自身もこの「鬼平犯科帳」には随分と時間をかけておりますね 池波さんが語っておられる ご存知のように池波さんの師は長谷川伸さんです 「自分は長谷川伸の門を叩いたときから構想は持っていた、 ただ当時自分はそれを書けるだけの筆力がなかった」、 この二人のためた時間のぶんだけ素晴らしいドラマになったと言える これはisoken さんも異存はないはず もう一つ脇道に逸れてみたいのですが 今、時代ものと言えば歴史小説と時代小説に大別されるかと思いますが 私はまあ歴史小説と言うことについてはisoken さんとは度々話しております 司馬遼太郎さんが今の方々には分かり易いのでしょう ただ時代小説については過去にも沢山の作家がおられるが 時代小説としてのジャンルを確立させさと言うことでは池波さんの功績はまことに大きい 一方において、時代小説と言うことでは藤沢周平がおりますが どうしてもこの二人につきあたるハードとソフトの違いはあるのですが これから時代小説を書こうとする人はこの二人の壁はまことに高い 山本一力と言う作家がおります、直木賞受賞作が「あかね雲」、 当時、私はミーハーですからどんなものかな? 藤沢周平の世界で私は以降彼の本は読んでおりませんが難しいでしょうね Zico さんでしたが高田郁さんの「銀二貫」、面白いとどなたかに言われた 読んでみた❗ なるほど彼女の世界がある私は感心したのです上手なものなのです 池波さんの作品に江東区の描写が多いことは言われるとうりでしょう 池波さんの出自が浅草であれば愛着があるのは当然です 昔の聖天❓まあいわゆる江戸の下町の匂いを色濃く残していたと言える 粋と人情を大事にしたそれと義理でしょうか❓ 私の思う昭和なのですが、何処かに置いてきたろうか? さすがに長くなりすぎでしょうし 鬼平の私の好きな台詞を 大滝の五郎蔵、平蔵の情けにかかる 「長谷川さま・・・」 「五郎蔵、それを口にだしてはあじないあじない」 五郎蔵俯き嗚咽して声もない 私はねえisoken さん日本人とは本来こう言う民族だ❗そう思う 話して飽きませんし、夜が明けるアハハハハ 少し取り巻いた人間の話しをして終わりにしましょう 佐島忠助、 非番ともなれば朝から長屋で斗酒飲も辞さずと言う大酒呑みが役宅では一滴も口にせず 平蔵が 「佐島、おぬしは苦労人よのお」、これは「昔の男」 小房の粂八の蟹江敬三さん、いい役者さんでしたねえ思い出すのは「血頭の丹兵衛」、 平蔵が 「粂八、おれがもとにくるか?嫌ならその面二度とおれに見せるな」、 去っていく平蔵、しばし思案の粂八が追いかけて 「長谷川さまあ❗❗」 相模の彦十とおまさも語りたいのですがここいらで どうも支離滅裂な回答になりました
お礼
kamejrou さん、こんばんは。 先週の日曜日家内が観劇で外出しましてね、 鬼の居ぬ間にという事で早朝からペンキ塗りを始めたんです、刷毛とローラー片手に庭のウッドデッキや、ワンコを追い出して犬小屋 その他諸々にです。 あれって一旦やり出すと止まらないんです、ところがお昼に一服している時に kamejrou さんの質問を目にしましてね、夜回答させてもらおうと思っておりましたら、〆てしまわれ間に合いませんでした。 ところで 「 和歌山ブルース 」 がお気に召されたとか・・、実は絶対に kamejrou さんがお好きになる歌だという自信はあった、私には分かりますから。 ・・とまあここまでにして、以下本題。 >鬼平フアンと言うことではisoken さん同様、私も人後に落ちないのですが 衰えた鬼平を観るのは切なく又辛くもある これは eroero さんへのお礼でも触れましたが、まあ潮時だったのかなぁと。 >先代の幸四郎さん、なるほど池波さんがイメージしただけのことはある ただそれでも吉右衛門さんの鬼平のほうが男の色気と粋と言うことでは優ってる 本当に仰る通りで、演技が上手いとかそういう次元ではなくて、吉右衛門さんには男の色気・粋・艶そして自然な権高さがある、それってただ場数を踏んだからと言って醸し出せるものじゃありませんね、私が痺れるのはその辺りです。 >ご存知のように池波さんの師は長谷川伸さんです 私にとって長谷川伸さんとは、股旅物の大家というイメージが強い、記憶に誤りが無ければ子供の頃、 「 長谷川伸シリーズ 」 だか 「 長谷川伸劇場 」 だったかありまして、テレビで見ていた気がします。 >今、時代ものと言えば歴史小説と時代小説に大別されるかと思いますが 歴史の骨子を中心に書かれる作家と枝葉に重きを置く作家がおられますね、吉川英治さん・海音寺潮五郎さんそして司馬遼太郎さんが仮に前者とすれば、後者の代表格が池波正太郎さんや藤沢周平さんという事になりましょうか。 >鬼平の私の好きな台詞を >大滝の五郎蔵、平蔵の情けにかかる >「長谷川さま・・・」 >「五郎蔵、それを口にだしてはあじないあじない」 >五郎蔵俯き嗚咽して声もない >私はねえisoken さん日本人とは本来こう言う民族だ❗そう思う いつぞや質問に出しておられました、私も回答させて頂いたはずですが、これぞ言外の情ですねぇ、この点は他民族には恐らく分からない。 ましてや落ちた犬は叩けとばかりに寄って集ってなぶり者にし、加えて世話になった親分の窮地に際し、側近ですら我が身可愛さにべらべらと喋りまくるどこぞの国民に至っては尚の事そうでしょう。 さて以下お得意の余談ですが、ペンキを塗り塗り任侠道を考えていたんです、戦前のやくざと戦後派は一体何処が違うのだろうと・・。 行き着いた答えが映画にありました、それが 『 人生劇場 飛車角 』 そして 『 仁義なき戦い 広島死闘篇 』。 一宿一飯の恩義の為に、おとよの制止を振り切って殴り込みに行く飛車角、その背景には男を売る稼業という意識があったんでしょう、まあやくざですから法はともかく人の道に外れちゃ喰って行けなくなると・・。 その点 大友勝利 はドライですよねぇ、仁義もへったくれも無い、仁義を諭す実父の会長に向かって吐いたセリフが、戦後派やくざの特徴を如実に表している気がします。 「 おやっさん、ワシらはよ~、美味い物食べて・ハクいスケ抱く為にやくざやっとるんじゃないの、それも銭が無ければできゃせんので、銭の為に体張ろういうんがどこが悪いの?」 それにしてもあの時の千葉真一さんは最高です、欣也さんよりずっと良かった、生涯最高の演技といってもいいんじゃないでしょうか。 回答ありがとうございました。
- 戦艦みかさ(@mikasa1905)
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イソケンさんこんにちは! 鬼平犯科帳はどんな話かまったくわからないのですが、最近時代小説を読んだりして江戸が好きになり、時々ストリートビュ・・・もとい、タイムトラベルしております。 「みをつくし料理帖」の主な舞台は九段下俎橋の近くの料理屋の周辺で、神田明神や不忍池、浅草寺など今でも昔と変わらずそこにあるものが小説で描かれているのが、江戸の魅力ですね。ドラマや漫画でヒットした「JIN-仁-」も湯島のあたりが舞台、以前湯島の取引先へ行くときに、早めに行って上野駅から散策しました。幕末の彰義隊の上野戦争では、上野は山として描かれてるけど、実際はちょっと高いかなという程度。江戸の城下町を見下ろす丘のシーンもよくありましたけど、昔は結構凸凹していたのでしょうか。 湿地だった江戸を家康が開発して以来、江戸は何度も大火で消失しては復興し、関東大震災を経て近代都市として生まれ変わり、太平洋戦争で焦土と化してまた復興。何度も不死鳥のように蘇る江戸東京には多くのドラマがあります。もちろん私が住む土地にもドラマはあるんでしょうけどやっぱ情報量が違う!時間があったらまた古地図を片手に散策したいですね。
お礼
mikasa さん、こんばんは。 >鬼平犯科帳はどんな話かまったくわからないのですが、最近時代小説を読んだりして江戸が好きになり、時々ストリートビュ・・・もとい、タイムトラベルしております。 池波作品には 『 剣客商売 』 や 『 仕事人シリーズ 』 もある、BSで結構放映しているようですから、是非一度・・。 >ドラマや漫画でヒットした「JIN-仁-」も湯島のあたりが舞台、以前湯島の取引先へ行くときに、早めに行って上野駅から散策しました。 恐らく上野で下車して不忍池を右手に見ながら、池之端の交差点を左折して行かれたんでしょうが、その先に春日通りっていうのが横切ってまして、その緩やかな坂を登り切った右側に、東大の赤門が聳えております。 また湯島方面に向かわずに上野広小路を南下直進すると、その左手が秋葉原その先は神田、更には日本橋・京橋そして遥か先には銀座三越が見えて来る、歩いたって大した距離じゃありませんよ、一度お嬢ちゃんとトライされたら如何でしょう。 >湿地だった江戸を家康が開発して以来、江戸は何度も大火で消失しては復興し、関東大震災を経て近代都市として生まれ変わり、太平洋戦争で焦土と化してまた復興。何度も不死鳥のように蘇る江戸東京には多くのドラマがあります。もちろん私が住む土地にもドラマはあるんでしょうけどやっぱ情報量が違う!時間があったらまた古地図を片手に散策したいですね。 江戸の大火は木造建築に依存した民族の宿命でこれはもうしょうがない、関東大震災も人治が及ばないフォース・マジュールの類、ただ10万人に及ぶ非戦闘員の尊い命を奪った東京大空襲は許せませんねぇ、それが戦争だと言ってしまえばそれまでですが・・。 回答ありがとうございました。
- eroero4649
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鬼平、ちらっと見ました。哀しくなってしまいましたね。吉右衛門さんが老いて動きもセリフもメリハリがなくなってしまうのはある程度仕方がありません。田中泯さんはさすが現役のダンサーだけあって70代であの姿勢を維持しているのはすごいですね。 でも、一番哀しかったのは、あまりの映像のヘタクソさでした。殺陣っていうのがまったくわかっていない撮り方で、お前ら勝新太郎の映画や五社英雄作品を見ることから始めろと思いましたね。時代劇がなくなるっていうのは、撮影手法・技術も失われるってことなんだなあと思いました。 さて、東京の魔力ですか。生まれも育ちも東京(の外れ)なので魔力といわれてもピンときませんが、そういえばこんな話が。 私は30代になってからライブハウスデビューしたのです。音楽をやっている子と出会ったのがその頃にいた職場からですからね。で、いろんな子と出会って都内だけでも10ヵ所以上のライブハウスに足を運びました。下北沢だけでも3ヵ所は行ったかな。だから場所を間違えて別のライブハウスに行ってしまったこともあります・笑。 そういったライブハウスでは毎日、タイバンと呼ばれる4つくらいのバンドが共同でライブを行っています。その中でトリを務めるバンドとその前に出てくるくらいのバンドは結構本気でメジャーデビューを目指しているバンドです。 都内のライブハウスが大小合わせていくつあるか全くわかりませんが、そこで毎日本気でメジャーを目指しているバンドのライブが行われている。メジャーを目指すバンドが都内にいったいいくつあって、そのうちメジャーになれるバンドがいくつあるだろうかと思うと東大合格より狭き門ではないかと思うほどです。 メジャーデビューを目指すバンドの目標はまずは渋谷公会堂ですが、その先には日比谷野音、武道館なんてさらにその先で、東京ドームなんて雲をつかむような向こうです。まさに東京の魔力ですよね。
お礼
eroero さん、こんばんは。 >鬼平、ちらっと見ました。哀しくなってしまいましたね。吉右衛門さんが老いて動きもセリフもメリハリがなくなってしまうのはある程度仕方がありません。 最終2話をまだ見ておりませんが、確かにここ何作かの吉右衛門さんの衰えは尋常ではありませんでした、ところが観る側としてはまだやれるだろうと勝手に期待しちゃうんですねぇ、だって当作は本格派時代劇最後の牙城といって差し支えない作品ですから。 しかもです、あの男の色気そして自然な権高さは誰にでも出せるってものじゃない、ただまあ残念ですが潮時という事なんでしょう。 >私は30代になってからライブハウスデビューしたのです。音楽をやっている子と出会ったのがその頃にいた職場からですからね。で、いろんな子と出会って都内だけでも10ヵ所以上のライブハウスに足を運びました。下北沢だけでも3ヵ所は行ったかな。だから場所を間違えて別のライブハウスに行ってしまったこともあります・笑。 私が10代の頃は、ライブハウスの草創期といった趣の時代でした、新宿には 「 ルイード 」 そして渋谷には 「 屋根裏 」 ・・伝説のライブハウスが幾つもありました。 そんな中で、私が好きだったのが原宿の 「 クロコダイル 」 、もっとも箱が小さくてレストラン・シアター・・そんな感じではありましたが。 不遇時代の 桑名正博 がよく出演しておりましてね、大阪で伝説的存在であった彼も東京で認知されるのに結構時間が掛かったんですが、当時高校生だった私は 『 哀愁トゥナイト 』 を聞いて一発で痺れちゃった、こいつは絶対メジャーになるなぁ・・と、そんな矢先麻薬で逮捕されちゃいまして、 『 セクシャルバイオレット NO1 』 で大ブレークするまで更に2年ほど要した、全く馬鹿な話です。 私は売れない頃のタレントを結構見て来てますよ、例えば物まねの コロッケ ・・、九州 ( かな ? ) から上京して来た彼が名前を売ったのが池袋ロサ会館にあった 「 青春の館 」 っていうショーパブ、私はデートでよく行ってたんですが、テレビのオーディション番組に出た時には既に知る人ぞ知る存在でしたねぇ。 下北の話もちょっとだけ、下北沢が若者の街と呼ばれて久しいのですが、私が遊んでた頃北口にまだ戦後の闇市みたいなトタン張りのマーケットがあったんです、それこそ危ない感じの・・。 それと大笑いですが、あんなところにキャッチ・バーもあった、小田急OXを右手に見たその先の右側、飲み屋街の一角にです。 南口改札を出て茶沢通り方面に下って行った坂の途中には、小池栄子の実家のパチンコ屋があった、確か 「 ゴールデン 」 っていったかな、懐かしいですねぇ。 すみません、下北談議になっちゃいまして、その辺りの話が出来る人って、滅多にいないもんですから・・。 回答ありがとうございました。
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お礼
LOLIPON さん、おはようございます。 随分と御無沙汰ですね、 mikasa さんへの回答で時々御一緒しますが・・。 >以前は、毎回テレビ放送を録画していたものですが、 >最近はレンタルに頼っております。 我が家はですね、朝テレビ欄を眺めて 『鬼平 』 の放映がある時はちょっとした事件なんです、早速録画予約し夫婦して夜を楽しみにしましてね・・。 >吉右衛門さんの鬼平は、 >僕にとっても「理想の上司」であり、憧れでもありました。 配下に見せる優しさと盗っ人共に叩き付けるドスの効いた啖呵、そりゃもうカッコいい、あの人のセリフ回しは惚れ惚れしますねぇ。 >元々、時代劇が好きで、いろいろ見ていましたが、 >古臭さや説教臭さ、いい加減さの目立つ他の作品に比べ、 >「鬼平犯科帳」の完成度は他の追随を許さないものでした。 >スタッフの意気込みが感じられて、いつも圧倒されます。 それなんですよ、密偵の面々にしたところで 相模の彦十 ・ 小房の粂八 ・ 大滝の五郎蔵 に おまさ 他、皆個性が滲み出ておりまして、恐らく時代考証にしても随分気を使っているのでしょう、かつてあった連続時代劇とは本気度が違っていたように感じます。 少しばかり前、衛星放送で 二代目吉右衛門版 『 鬼平犯科帳 』 を、その草創期の作品からずっと流しておりましたが、あれを見ますとねぇ、作品自体の進歩が手に取るように分かります、無論映像の進歩・吉右衛門さんの演技の広がりも込みですが・・。 >江戸の街並み、人々の暮らし、食や色の文化などが、 >隅々までしっかりと描かれていて、その上で、人の心を >グッと掴んでくる語り口に、何度男泣きをしたことか…。 その点はやはり 池波正太郎 さんの功績でしょうねぇ、それはもう詳に入った描写でありまして・・。 無論そこを忠実に映像に反映した、スタッフの努力も称賛されねばなりません。 >切絵図で想像する程度で…、江戸の名残も、今の東京も、 >未だにろくに知らなくて、僕にとっての江戸は >ファンタジーでしかないのですが、池波作品を読むと、 >途端にリアルな世界が立ち上がってくるのが不思議です。 江戸の昔なんて東京生まれの私にだって分からない、ただですね、浅草・日本橋・本所に駒形なんていう・・、 『 鬼平 』 に頻繁に登場してくる地を散策するのが好きなんです。 一口に江戸といってもそれなりに広い、但し私がイメージするディープな江戸は意外と狭いエリア、先ずは隅田川をその背骨とお考え頂きその両岸に目を向けるんです、その先に見えて来るのが現在の台東区・墨田区・中央区に江東区の一部・・、時間を掛ければ歩いてだって回れちゃう。 若き日の平蔵が暴れ回っていた本所周辺にしても、本所松坂町の旧吉良邸 ( 今は公園になってます ) 、その直ぐ目と鼻の先には回向院なんてのもありましてね、 もしまだであれば LOLI さんには是非一度お越し頂きたいものです。 >清濁併せ呑むこの人間観、これに尽きると思います…。 池波さんは、自らが持つ人間観を 長谷川平蔵 に投影させたんじゃなかろうかと思いますよ、若き日の 「 本所の銕 」 が長じて 「 鬼平 」 となる、人間の幅とは真面目一方・遊ぶ一方でも駄目、まさに清濁併せ呑むという点に於いて・・。 それにしても絵文字が無い LOLI さんの文章は、初めて見た気がします、驚きましたねぇ。 回答ありがとうございました。