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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:こんな考えは、異常でしょうか?)

刑の執行を待つ死刑囚かガンで余命宣告をされたガン患者のような考え方とは?

このQ&Aのポイント
  • 私自身、刑の執行を待つ死刑囚かガンで余命宣告をされたガン患者のようだと思うことがよくある。死刑囚もガン患者も余命が少ないとわかっているが、どれだけ生きるかは、はっきりとはわからない。私のように70歳が目の前にあり家族親戚を見ると80~90才と生きる家系でもないとなると私は、300日~1500日、良くて3600日でこの世から消え去ることになる。そんなことをよく考えてしまい、何もする気がしないで、つまらない余命を過ごしているが自死する気は全く無い。
  • 報道によると高齢者に麻薬を使用するものが多いらしい。死刑囚やガン患者の身であれば麻薬でも使って気分良く余命を生きてみたいという気が分からないでもない。神経科で向神経薬をもらおうかなとも思うが、鬱でもない。(数十年前鬱で苦労し克服したので判る) 皆さんは、私のこの思いを全く理解ができませんでしょうか?私の考えが異常かどうかを見てください。
  • 家族持ち、普通に亭主しています。子、孫もいます。男です。金には困っていません。60才ぐらいまでに思いつくしたいことはしました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ponyo7
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回答No.1

ベクトルが死に向かっています。 これでは投げやりになっても仕方ありませんね。 >60才ぐらいまでに思いつくしたいことはしました。 井の中の蛙大海を知らずということわざもあります。 まだまだ気づいていない多くの事があるはずです。 それでもすべてやりつくしたというのならボランティアでも何でもよいですから、今度は世に還元してはどうですか?

その他の回答 (7)

回答No.8

「思いつくしたいことはしました」ならば、また探せばいい。 どんなに時間が短くとも、その範囲で楽しめる事はあるはず。 人の生きる目的である「人生を通算した精神的充足量の最大化」 において、他人との比較は無意味だ。 自分に与えられた可能性を尽くすだけだ。

回答No.7

>皆さんは、私のこの思いを全く理解ができませんでしょうか? >私の考えが異常かどうかを見てください。 よく理解できます。 考え方が異常ということはないと思います。 しかし、健康と、経済力と、子孫に恵まれて、自由な時間もたっぷりあるのに、この恵まれた境遇に対する感謝の気持ちをあまりお持ちではないようで、そこが気になります。 快食、快眠、快便。 この三つが実現できておれば、人間は幸せを感じることができます。 この世に生を受けた奇跡に感謝し、今まで生きながらえた幸運に感謝し、自分の幸せを周囲に分けることを念頭において日々を過ごすことをお勧めします。

回答No.6

日本の犯罪傾向として、高齢者が多いようです。 成熟している反面、希望が少ないとか、成長の可能性が低い経済でもあります。 もともと人生後半は個性化ともいわれます。 人生、快だけとか苦だけとかいうのは少ないかと。 よく検討しているのが、仏教です。 毎日新しいことはあります。 知らないことは多いかと思います。 社会に依存症にならず、すごすのがいいかと思います。

  • kohichiro
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回答No.5

>こんな考えは、異常でしょうか? >そんなことをよく考えてしまい 考えそのものはへいぼんつーか、普通でしょうね。でも、私を含めて、他に義務的に考えることが一杯あって、そういうことをしょっちゅう考える暇がない、というのが普通なのだと思います。いつもいつもそんなことが頭に浮かぶのは、やはり普通ではないと思いますが。 私の父も祖父も84で死にましたから、私もあと十余年、と考えることは、日に一度くらいありますね。いやもっと少ないかな。いろいろ家事をしたり趣味のことをしたり、このように書き込みをしたりしていると、(楽しいので)そういうことは日中は忘れてしまいます。本当ですよ。 死のことを考えて就寝るときは、このまま眠るように死ねたら、と思うことはありますがね。 最近、私の幼馴染がガンで死にましたが、50からわずらってと聞いた記憶はありますがあっさりしたもので、何度か会って話しこんだときもそういう話はまったく出ませんでした。「あ、これは」と思ったことは、しょっちゅう夫婦で海外旅行などをしていましたから、死に急いでいたのか、と思いましたね。訃報を聞いたときはひどく驚きました。 >60才ぐらいまでに思いつくしたいことはしました。 いや、欲がないかたですね。私は贅沢というか、まだまだし足りないことが残っていますので、TVを見る余裕もないほどです。

noname#221368
noname#221368
回答No.4

 「死に向かって生きているのが人間だ」とか「人間は死ぬために生まれてきた」のだから、「死を覚悟できれば、人生の意味が明らかになるのは必定」みたいな意見があり、けっこう感動的に語られたりするケースもありますが、「明日死ぬと思って生きるのは、不健康だ」と、自分は思っています。  というのは大概の人は、「自分は明日死ぬ」なんて思っちゃいないからです。「明日も生きているのは当然だ」と思って生活してるはずです。そして「人は訳もなく生きてて良いのだ」が、自分の意見です。なので、つまらない余命をいくら過ごそうが、自殺する必然なんか、ありはしない。  ・・・それでたぶん、「何もする気がしない」という点だと思うんですよ。確かに歳食うと、昔ほど熱狂できるものはなくなります。でもそれはきっと、経験値の上昇です。  若い頃はひどくくだらない物にさえ、「訳もなく熱狂出来た」はずですが、色々わかってくると、そうではないですよね(^^;)。例えば若い時には、ちょっとした女の色気にも盛大に食いついたはずですが(←俺を誘ってる!、とか(^^;))、歳食えば食うほど「我を忘れて人生を実感できる瞬間」、「俺はこれのために生まれて来たんだぁ~!」という境地(?)には、体力低下もあり、なかなか至れないと思います。  それが老いの余裕じゃないですか?。状況からすると、あなたはそれが出来そうだ。  最後に。あなたより10~15歳若い、若輩者の意見でした(^^;)。

noname#214634
noname#214634
回答No.3

超がつくほど普通だと思います。 大体の人間は似たようなことを考えてますよ。 麻薬を思いつかない善良な人でも、なにか面白おかしいことに身をゆだねたい (その結果が寿命を削ることであっても)と思ってると思います。 体が動くなら仕事でもしたらいいですよ。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.2

皆さんは、私のこの思いを全く理解ができませんでしょうか?    ↑ 理解できますよ。 多くの人は、そう考えているんじゃないでしょうか。 ただ、普段は忘れている、いや忘れたふりをしている、 考えないようにしているだけです。 ワタシも、普段は何も考えていませんが、 人の死に出会うと、そういう思いがワッと湧いてきます。 とても虚しくなります。 私の考えが異常かどうかを見てください。     ↑ 異常じゃありません。 考え深いだけです。 ちなみに、ワタシの今の心境を紹介しておきます。 人間90歳を過ぎて死ぬと、恐怖も苦痛も無く 死ねるそうです。 百歳を超えると、こんなにも長生きできた、と 感謝の心に溢れて死ぬ人が多いという話しです。 ソースはNHKのドキュメントです。 近年、老人の心境を実証的に研究する、という ことが行われるようになり、そういう事が 解ってきたんですと。 寝たきり老人になっても、実に豊かな精神生活の 中にいる。 これには調査した学者も驚いたとのことです。 だから、健康に注意して、できるだけ長生きしてやろう と思っています。