開戦日の午後7時に放送された録音の場所はどこですか
太平洋戦争の開戦日(昭和16年12月8日)正午の開戦詔書の奉読とそれに続く東条首相の「大詔を拝し奉りて」は生放送ですか、録音の再生ですか?というご質問にお答えしようと準備しているうちに締め切られてしまいましたが、これに付随して別の疑問が生じましたのでここでお聞きします。
まず先のご質問の回答は、「首相官邸の放送室からの中継生放送」(当時の用語で言えば「實況放送」)です。これは日本放送協会の「ラジオ年鑑(昭和18年版)」の32頁に次のように明記されています。
大東亜戦争勃発と共に、實況放送も戦時下報道放送の一翼を擔って、刮目すべき活躍を為したが、就中特記すべきは八日正午から放送された中村告知課長の宣戦の大詔捧讀、東條總理大臣の「大詔を拝し奉りて」の放送を始め軍・政各當局によって相次いで行はれた國民に告ぐるの放送が首相官邸其他からの中繼によつたことと…
この正午の放送の経緯は放送史を扱った他の複数の書籍にも記述されています。首相官邸の放送室は前年の昭和15年に新設され、近衛総理大臣が7月に「大詔を拝して」という題で放送したのが初使用です。
この「詔書奉読」と「大詔を拝し奉りて」は当日の午後7時からも放送されていますが、当日の「放送番組確定表」ではこのうち「大詔を拝し奉りて」のあとだけに「(録音)」とあり、この時間帯の東條総理の放送は録音を再生したものであることが明らかです。
そこで新たに生じた疑問は、録音した場所です。回答者は、正午の東條総理の放送を当時内幸町にあった放送会館で録音し、午後7時の放送は放送会館からの放送で、中村アナウンサーの生読みの詔書奉読のあとにこの東條総理の録音を再生したのではないかと考えましたが、いかがでしょうか。首相官邸の放送室は「十二畳の部屋とそれに隣りあった三畳の機械室」だったそうですから、ここではないだろうと考えますが…。
お礼
ありがとうございました