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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:御用金負担者に女性名。)
江戸時代の女性トップ経営者と御用金負担者について
このQ&Aのポイント
- 江戸時代の商人24人の御用金負担額とその中の2人の女性経営者について調査しました。
- 女性が経営トップになる理由や当時の状況について教えてください。
- また、古川屋と小倉屋の業種についても知りたいです。
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お礼
や!や!や! なんと!なんと!(表現しようのない驚き) 「古川屋ゑつ」の“捜査”開始以来8日目、ついに業種は「米店」であることを確実なものにした、ということですね。 伊勢町に米を扱う店で、古川屋という屋号の店は1軒だけだったと仮定すれば…。 (まず1軒だけだったに違いないでしょう) 享和元年(1801)、「古川屋五郎兵衛米方御用達御免之届」が出ていますが、その後も古川屋は、伊勢町にあって米の商いを続けていた。 そして、文化3年(1806)「ゑつ」の名で金二千両の御用金を負担した。 さらに文化十年癸酉年十一月には、米店・古川屋八十次郎の名で御用金、金二千両?を負担した。 八十次郎の名とともに「祖母ゑツ」として「ゑつ」の名も併記してあるので、「ゑつ」は無視できない存在だった。 以上のように話がつながると思います。 Kittynote 様には、数々の資料に当たっていただいて、大変お手を煩わせました。 思いつきでなんでも質問する私にとことん付き合ってくださって、いっぱいのご教示、感謝申し上げます。