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確実に実在したと言える天皇は?
神武天皇は、架空の天皇だ。~代までの天皇は、架空だ。と、言われますが、確実に実在したと言える天皇は、どの天皇からなのでしょうか。
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はっきりとは謎ですが、第10代の崇神(すじん)天皇からではと云われています。神武も崇神も共にハツクニシラススメラミコトで生存年数や即位年数が、この頃より、常識的な年数になります。
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- nozomi500
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「不確実の理由」というのはなにについても難しい(旧石器人が「いた」証明は旧石器を見つければいいけれど、「いない」証明はどうする・・)ものです。署名された木簡がのこっているとか、そういう物証がなければ、理系の人間は納得しませんね。 記紀(に限らず)にしか登場していない場合は(リアルタイムで書かれたもので、複数の裏付けがあるもの以外の記録は、記録者・編集者の意図と思ったほうがいい)、眉唾で考えるほうが正しい。(マルコポーロの「ジパング」は記紀より新しいけれど、どこに黄金の国がある!) 確実なのはどこからか、といわれると、私も調べたことがないですが、そもそも「天皇」がどういう存在か、という定義にかかわりますね。聖徳太子以前は、支配地域として他の豪族とたいしてちがわない力しか持っていなかったのではないでしょうか。
1.崇神天皇は「確実に実在した」という命題。 これは記紀を内在的に批判することによって得られる結論です。すなわち、まさかイザナギ・イザナミは実在していないだろう。だとしたら、人代の天皇も最初のほうは怪しいのでないだろうか。そこで、記紀の記述を詳細に検討することにより、名前、在位年、事跡の記述量などの観点から、崇神天皇が大和朝廷の始祖であろう、という結論に至るわけです。。 しかし、崇神以降が実在したからといって、それ以降の記紀の記述が全て真実であるわけではないように、崇神以前の記述も寿命や事跡に虚飾を交えながらも何らかの真実を反映している可能性は否定できません。実際、崇神天皇も「人の子」である以上、親父がいたはずであり、それを開化天皇と呼ぶか否かは、現在のところ、趣味の問題でしょう。 そもそも、欠史八代説は、戦前の皇国史観に対する反動として喧伝された面があり、言葉遊び的なテクスト分析以上に考古学的な確証を得ているわけではありません。その仮説としてのエレガントさはともかく、むしろ記紀のここの記述について、ほぼ真実なのか、いかなる虚飾が施された真実なのか、いかなる真実を反映した虚偽なのか、いかなる事情で作られた虚偽なのか、といったことを実証的に検証することが重要だと思われます。 2.応神天皇は「確実に実在した」という命題。 それに対し、これは記紀の外在的な批判により得られる結論です。すなわち、『宋書』によれば当時の日本には「倭の五王」による中央権力が存在したことになる、そして、記紀によれば当時の日本には、応神・仁徳という天皇が存在した。だとすると、応神・仁徳あたりの天皇が「倭の五王」として実在した蓋然性は高い。さらに、それを支持するその他の考古学的な状況証拠も多い。ということです。 したがって、この説は、前記、崇神天皇始祖説とはことなり新史料の発見によりそれ以前の天皇にさかのぼる余地を残しています。 3.仲哀天皇は「確実に実在」していないという命題。 ここら辺になると「天皇」の定義の問題になるでしょう。神功皇后は天皇か?中天皇は天皇か?践祚が天皇の必要条件?・・・など手におえません。
- happy_people
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どのくらいの資料があると「実在した」と納得するものなのでしょう? 「自分が見たものしか信じない」とするなら(私の場合)「昭和天皇から」です。
- kaneiba
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一般に「欠史八代」と言われ、二代のスイゼイ天皇から九代の 開化天皇までは存在しなかったと言われています。 また、14代の仲哀天皇も存在に疑問が残ります。 さてnozomi500さんの回答は正しいと思います。満点です。 しかし、ロマンを求めるなら初代の神武天皇と十五代の応神天皇も (十代の崇神天皇も)日本を建国した天皇がいたと思いたい。 回答になっていませんが..。
- nozomi500
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「仁徳天皇」から前は不確実でしょう。大阪にある「仁徳陵」も、何の物証もなく、「ここ」ときめたもののようです。それ以後は・・・
補足
nozomi500さんが「仁徳天皇」から前は不確実とされる理由を教えてください。 単に、(そんな理由では、ないですよね)「記紀に登場するから」というだけなら、神武もそうですし・・・。
お礼
崇神と応神は、実在性がかなり高いのですね。崇神と応神。語呂合わせのようですが神がつく天皇には何か意味がありそうに思われます。と、すると神武、神功にも意味深な感じが・・・。