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有志連合
「国連の決議が必要不可欠だ」と言っていたのは、昔ですか。 昔は「国連の決議・・・」によって、(厳密に?)正当化されていたものが、 現在では?「国際世論」みたいなものに拠っているように思われます。 昔、江戸時代の初期に「武断政治」から「文治主義」へ、というのがありましたが、 その逆に移行しようとしていますか? (「戦争は、人権の大敵である」というジレンマを、どうすればいいでしょうか) ・・・宜しくお願い致します。
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湾岸戦争の時は、米国は国連の決議を取り付ける ことに成功しました。 しかし、イラク戦争の時は、大義名分がお粗末 だったので、国連の決議を取り付けることが 出来ず、米国を中心とした有志国連合によって 戦争をやりました。 あれからだと思います。 国連の決議が軽くなったのは。 ”江戸時代の初期に「武断政治」から「文治主義」へ、というのがありましたが、 その逆に移行しようとしていますか?” ↑ その典型が生類憐れみの令でした。 また、そのお陰で、武士が官僚化して、武士でなくなり 後の倒幕に繋がった訳です。 人間、平和になればなったで、ろくなコトをしでかさない ということです。 ”「戦争は、人権の大敵である」というジレンマを、どうすればいいでしょうか” ↑ 原始以来、人は常に競い合い、凌ぎ合い、いのちを賭けて戦ってきました。 その闘争本能と生存本能のせめぎあいの中で、人は知能を磨き 力を養い、心と体を鍛え、 一面で道徳律を築き上げたのです。 戦争は人権を侵害するモノである一方、人権の基になっている訳です。 ○戦争は、国民に数多の困難を与えながらも、それを乗り越えて戦い抜く ことで、国民を崇高な存在にできる。 平和は、商人気質を旺盛にするが、卑しい利己心、怯儒や臆病の風を はびこらせ、国民の心意を低劣にする。 (カント)
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- 雪中庵(@psytex)
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一見すると、キリスト教圏とイスラム教圏の対立に思えるが、 その根底にあるのは、石油を牛耳るOPEC(=イスラム教圏) とアメリカを始めとした石油メジャー(=キリスト教圏)の 争いであって、拝金主義の産物である。 この「拝金主義」に先進国の軍需産業の利権が乗っかった結果、 武力によるゴリ押しが優先されるのだ。 既に世界全体が一個の生命であり、一国だけの繁栄という事が 成り立たなくなりつつある現状を、市民の意識、経営者の見識、 政治家のビジョンにおいて理解された時、(それまで社会が 破滅しなければ)武力や強制によらず内発的に平和は訪れる。
お礼
psytex様、ご回答ありがとうございます。 >「拝金主義の産物である。 この「拝金主義」に先進国の軍需産業の利権が乗っかった結果、 武力によるゴリ押しが優先されるのだ。」 Ano.2様の言及された「イラク戦争」では、さらに、 歴史的なロマン?が、あったんでしょうか・・・ >「既に世界全体が一個の生命であり、一国だけの繁栄という事が 成り立たなくなりつつある現状を、市民の意識、経営者の見識、 政治家のビジョンにおいて理解された時、(それまで社会が 破滅しなければ)武力や強制によらず内発的に平和は訪れる。」 ある「大国」の人権状況は・・・「IS」ほどに非難されるものではないのかもしれないですけど
- WhatisLOVE
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う~ん。国連の常任理事国の決定は、事実上崩壊しています。もはや機能していません。 特にロシアや中国が何か侵略じみた事をしても国連としては否決されて動けませんし、他の国もそれぞれ諸国に利権があるので、それに不利な状況になるなら否決することになり、国連は機能しません。 結果、それぞれ東西の陣営はNATOなど軍事組織を整え、それぞれの利権を守る為、あるいは被害にあっている人々の人権を守る為に行動するという大義名分の下、軍事行動に移ります。 一応軍事以外でも制裁は行うのですが、大した効果が無いのが実情です。 中世の武断から文治へはちょっと意味合いが違う気がします。 要は文民統制で、軍部が政治を運営す事を嫌うという動きです。 結果として明治には軍部が政治の実権を握り、大戦へと向かいます。 案外やっぱり戦争をする方が国家としては成長できるということかもしれません。 戦争はお互いの利権の奪い合いとすれば、欲しい物を手に入れたいと考えるのは人間と国家の本能というものです。それによって他人の人権を傷つけることになったとしても。 本当の平和が来る時は、人が何も欲しがらないようになったときかもしれません。
お礼
whatisLOVE様、ご回答ありがとうございます。 >「要は文民統制」 最近、軍から民へ、というところもありますね。 >「案外やっぱり戦争をする方が国家としては成長できるということかもしれません。」 (国際法においては)「人間」が中心ではない、ということですか。 >「本当の平和が来る時は、人が何も欲しがらないようになったときかもしれません。」 ・・・「それが来るのを待て、」というのは、結構、これまでにも見たような。
お礼
hekiyu様、ご回答ありがとうございます。 >「イラク戦争の時は、大義名分がお粗末 だったので、国連の決議を取り付けることが 出来ず、米国を中心とした有志国連合によって 戦争をやりました。 あれからだと思います。国連の決議が軽くなったのは。」 そうですね。9・11のアフガニスタンの時には、まだ、すったもんだしていたと思います。 >「その典型が生類憐れみの令でした。 また、そのお陰で、武士が官僚化して、武士でなくなり 後の倒幕に繋がった訳です。 人間、平和になればなったで、ろくなコトをしでかさない ということです。」 そうでしょうか 江戸時代は、文治のほうが長いでしょうから むしろ、「平和」ということでは、人口の問題が気になります。 ・・・そして、 (さる新聞) 「当時の(経済的)不況を脱するためには、ヒトラーを必要とした」 ・・・「経済のためにヒトラーを要した」って、書いてるんですね。 >「原始以来、人は常に競い合い、凌ぎ合い、いのちを賭けて戦ってきました。 その闘争本能と生存本能のせめぎあいの中で、人は知能を磨き 力を養い、心と体を鍛え、 一面で道徳律を築き上げたのです。 戦争は人権を侵害するモノである一方、人権の基になっている訳です。」 「自由」ということを、重んじる理由ではあると思います。 (一方で、人権を侵害するような自由までは、認めれない) >「○戦争は、国民に数多の困難を与えながらも、それを乗り越えて戦い抜く ことで、国民を崇高な存在にできる。 平和は、商人気質を旺盛にするが、卑しい利己心、怯儒や臆病の風を はびこらせ、国民の心意を低劣にする。 (カント)」 「国民!」と一括りにするような、お話は、閉口ですが