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1899年の日本から英国までの旅程について
- 1899年の日本から英国までの旅程を調査しています。当時の一般的なルートや所要日数について知りたいです。
- 当時の日本から英国への旅程は、アメリカ経由が一般的でした。太平洋を横断してアメリカを経由し、ニューヨークから英国に向かうルートがよく利用されていました。
- 一方、インド洋経由はあまり一般的ではありませんでした。中国ー日本ーアメリカ航路が頻繁に利用されており、特にアメリカでは汽車が使用されることが多かったです。具体的な日数については文献による差がありますが、おおよそ何週間かかったと考えられます。
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下記の1899年(明治32.5.29印刷/同6.1発行)の書籍情報を単純加算した 例に過ぎませんが、 太平洋航路→北米鉄道→大西洋航路の場合 ・横浜─<航路12日>─バンクーバー ・バンクーバー─<鉄路6日1時間>─ニューヨーク ・ニューヨーク─<航路8日>─リバプール 「12日+6日1時間+8日=26日1時間」 〇『両洋交通論:一名対西伯利亜鉄道策/佐藤宏著/外交時報社/1899』 「附錄 世界交通」 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991562/65 <66/87>(90頁) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991562/66 第一、太平洋航路 加奈多太平洋鐵道會社/船籍・英國/香港─晩香坡<※バンクーバー>/ ○發着日数・往航十二日(※89頁参照、横濱より北米に到るの發着日數) <68/87>(95頁) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991562/68 第二、北米鐵道 第一、加奈多太平洋鐵道 ○晩香坡<※バンクーバー>~モントリアル<※モントリオール>/六日一時間 ○モントリアル<※モントリオール>~新香克<※ニューヨーク>/ 「帝國急行列車」十二時間四十分 <70/87>(99頁) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991562/70 第三、太西洋航路 ○合衆國新約克<※ニューヨーク>─英國リヴアプール/八日 なお、上記書籍情報の歐亞航路(スエズ経由)のうち、 横浜・倫敦<※ロンドン>航路中、日数明記の例は下記のとおり 往航には「四十八日乃至五十四日」または「六十一日」の様子です。 第四、歐亞航路 第二、歐洲より横濱に到るの航路 <74/87>(106頁) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991562/74 ○海峡及東洋汽船會社(彼阿會社)/隔金曜日毎/倫敦─横濱/ 來航四十五日、往航四十八日乃至五十四日 ○日本郵船會社(俗稱丸線)/二週間毎/倫敦─横濱/ 來航四十六日、往航六十一日 因みに、1900年の夏目漱石の英国留学渡航時(1900年9月8日-10月28日)の スエズ運河経由の実例(途中観光等も含む)は [横浜→神戸→長崎→呉淞→上海→香港→シンガポール→ペナン→コロンボ→ Aden→紅海→スエズ→Port Said→地中海→Naples→Genoa→(後略)] 以下の日記のとおりです。 〇『漱石全集.第16巻/夏目漱石著/漱石全集刊行会/昭和3』 「日記 ─明治三十三年九月八日より十二月十八日まで─」 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1193051/7 <7~13/211>(5~16頁) 以上 少しでも疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^
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- Kittynote
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No.6です、再度失礼致しますm(_"_)m 早速訂正(><) 下記部分の加算を漏らしてしまいました。 ○モントリアル<※モントリオール>~新香克<※ニューヨーク>/ 「帝國急行列車」十二時間四十分 よって、 <誤> 太平洋航路→北米鉄道→大西洋航路の場合 ・横浜─<航路12日>─バンクーバー ・バンクーバー─<鉄路6日1時間>─ニューヨーク ・ニューヨーク─<航路8日>─リバプール 「12日+6日1時間+8日=26日1時間」 <正> 太平洋航路→北米鉄道→大西洋航路の場合 ・横浜─<航路12日>─バンクーバー ・バンクーバー─<鉄路6日1時間>─モントリオール ・モントリオール─<鉄路12時間40分>─ニューヨーク ・ニューヨーク─<航路8日>─リバプール 「12日+6日1時間+12時間40分+8日=26日13時間40分」 以上 お騒がせしました、誠に申しわけありません。
- ithi
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aki567 さん、すいませんでした。 ポーツマス条約で有名な外相小村寿太郎のポーツマス行きの記事に横浜→シアトル間12日の記事がありましたので、 480時間ではなく288時間でした。うまくいけば4週間足らずですね。 小村寿太郎 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%9E%E3%82%B9%E6%9D%A1%E7%B4%84
- ithi
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aki567さん、こんにちは。 日本→米国→イギリス周りは以下の通りです。 北太平洋航路 約480時間 大陸横断鉄道 約84時間 大西洋航路 約140時間乃至150時間 インド回り航路はとても一般的ではなく、アメリカ周りの航路が早くて、一般的だったようです。ただシベリア鉄道が完全開通すると、こちらのほうが日数が早くなるようです。 インド回りの航路で外遊したのは明治末期皇族であった梨本宮伊都子です。1909年1月13日から出発し、途中でスエズ運河を通過し、3月4日にフランスのパリについています。おそらく、リバプールに行くのだったら、もう数日かかっていたでしょう。 詳細は下記のURLを参照ください。 北太平洋航路 http://www.city.yokohama.lg.jp/naka/sighthist/monohaji/monohaji-3.html 大西洋航路 ブルーリボン賞 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%9C%E3%83%B3%E8%B3%9E_(%E8%88%B9%E8%88%B6) 大陸横断鉄道 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%99%B8%E6%A8%AA%E6%96%AD%E9%89%84%E9%81%93#.E9.96.8B.E9.80.9A シベリア鉄道 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E9%89%84%E9%81%93#1890_-_1891.E5.B9.B4 スエズ運河 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A8%E3%82%BA%E9%81%8B%E6%B2%B3 梨本宮伊都子の日記 http://www.amazon.co.jp/%E6%A2%A8%E6%9C%AC%E5%AE%AE%E4%BC%8A%E9%83%BD%E5%AD%90%E5%A6%83%E3%81%AE%E6%97%A5%E8%A8%98%E2%80%95%E7%9A%87%E6%97%8F%E5%A6%83%E3%81%AE%E8%A6%8B%E3%81%9F%E6%98%8E%E6%B2%BB%E3%83%BB%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E3%83%BB%E6%98%AD%E5%92%8C-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B0%8F%E7%94%B0%E9%83%A8-%E9%9B%84%E6%AC%A1/dp/4094083251/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1448683984&sr=8-1&keywords=%E6%A2%A8%E6%9C%AC%E5%AE%AE%E4%BC%8A%E9%83%BD%E5%AD%90
- dogs_cats
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過去の回答で、日本から欧州までの定期船は、明治29年、日本郵船が開いたのが最初のようです。スエズ運河経由で約50日という記録があります。 ただし、アメリカ経由だと、約30日だったそうです。 http://okwave.jp/qa/q6584498.html 明治初期の岩倉使節団がアメリカに渡航時にはサンフランシスコまで22日のようで、その後オークランドからワシントンまで鉄道で移動したようです。 同様な経路で行けば30日でイギリスまで行けそうですね。 岩倉使節団 http://www.japanusencounters.net/iwakuramission.html
- FEX2053
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所要時間的には、南航路で約1か月かかったのに対し、 太平洋横断が8~10日程度、大陸横断が数日、大西洋が 1週間程度なので、乗り継ぎを考えても3週間じゃ無理、 約1か月弱程度と考えていいかと思いますので、所要日数 ではあまり変わりません。でも、問題は便数と設備です。 大西洋航路は、当時の花形で便数も多く、タイタニックの 例をみるまでも無く、当時最高の設備を持った船が頻繁に 運行していましたし、大陸横断鉄道も複数の会社が競争して おり、便数が多かったんです。更に西海岸~中国(上海や 香港)も乗客の多い花形航路で、便数が多かったんですね。 一方、南回りは、上海や香港まではともかく、それから先、 シンガポール、ボンベイ(コロンボ)~スエズとつなぐ船の 便が少なく、二線級の客船が多かったんです。 なので、中国~英国は、↓の例のように、積極的にアメリカ (カナダ)回りが宣伝されていたんですね。 http://www5f.biglobe.ne.jp/~travel-100years/travelguide_056.htm なお、日露戦争の後には、シベリア鉄道がヨーロッパ直行の 最速ルートとして登場します。それでも10~12日ほどかかった みたいですが・・・。
- ueda11
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ジュール・ベルヌの八十日間世界一周(1872)によると ロンドン(スエズ経由)→横浜 42日 横浜(アメリカ経由)→ロンドン 38日 ですね。(72年だとおかしな部分もあるそうですが)
お礼
大変貴重なご回答ありがとうございました。非常に参考になりました。