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1950年代と60年代について

1950年代と60年代の日本の当時の社会事情とか人々の生活やらがどんな感じだったかについて調べているのですが、wikipediaなどを見ても正直よくわかりません。誰かうまく説明できる方がいらっしゃいましたらお願いしますm(_ _)m

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  • IDii24
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回答No.5

>社会事情とか人々の生活 社会事情はWebのほうがわかるでしょう。ラーメンが60円とか電話は町内で一件ぐらいしか持って無い。緊急連絡先にはそのご近所の電話を登録。何かあるとおばさんが飛んできた。中にはタバコ屋の公衆電話を連絡先にするとかの人もいた。殆どは電報が伝達手段だった。車もTVもそんな感じ。 レコードのシングルは330円アルバムは1500円で当時の物価からすれば今の2万円ぐらい。だからレコードは買ったら擦り切れるまで聞く。つまりヒット曲の寿命は1年ぐらいあり、一曲ヒットすれば10年食えるといわれた。 道路のほとんどは未舗装、世田谷あたりでも車が土煙を上げてた。下水道の普及率も地域で違います。地方では電気も通ってないというのはかなりあった。 つまり関東と信州、青森、北海道などの地区とは全く生活が違ったということですね。三丁目の夕日は都会の昭和。地方の昭和は明治並。たぶん住んでいた土地によってその時代のイメージはかなり違ったと思います。都会では2階建ての家が多かったけど、少し離れると平屋がメインで空は広かった。屋根に上ればなんでも見えた。 お店は夜6時で閉店が普通。商店街は夜はシーンと。飲み屋しか開いてなく子供は居なかった。肉は肉屋、魚は魚屋、野菜は八百屋、雑貨は雑貨つまりスーパーなんか無いのでそれぞれに買い物かごを持って買い物。魚も肉も商品は新聞紙でくるむのでいわゆるエコ。ビニールなんてものがまだ少なかったから。卵は養鶏場がそこらにありそこに買いに行く、つまりニワトリ直産。これ関東圏話し。 こうなると夜は家族で過ごすしかないけど、実はお父さんは殆ど夜中しか帰ってこない。昭和のサラリーマンはサービス残業は当たり前。というか会社が家みたいなもの。仕事大好き。というか仕事をすればするだけ儲かったし、売り上げも伸びた。作れば作るだけ売れた。アイデアを出せば出すだけ見返りはあった。仕事が好きになるのも当然。週休は1日が主流。お母さんは一日中家事。それだけ家事は大変。地方だとお風呂の薪割りは1970年代まであった。湯沸かし器もないから冬は大変。ガスが来てたのも都会だけ。プロパンはあったけど薪ストーブでお湯を沸かすというのも普通だった。 つまり不便だから自分たちで工夫して暮らす。その工夫に一日を費やし、自分が生きるために一日はあった。なんのために仕事をしているのかわからない現代とは違い、自分の作業イコール生きるための作業だったわけですね。金でなんでも買える時代ではなかったから。わかりやすい。 と、いろいろあるけど当時の映画とか見るのが一番では?当時はTVじゃなくて映画が主流。一駅に一つ映画館があった。若大将シリーズや社長シリーズ。あとは小津安二郎の映画などみると良く分かりますよ。 今の日本とあまり変化なくなったのは1978年ごろから。それまでは多かれ少なかれ上記の生活。

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その他の回答 (4)

  • ithi
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回答No.4

gene7325 さん、こんばんは。 1950年代といえば、戦後の混乱から新憲法制定によって、アメリカの占領政策から一応、解放されました。もちろん、復員ではシベリア抑留の人が帰ってきました。 1960年代といえば、新幹線や東京タワーや東京オリンピック、景気は所得倍増計画や高度経済成長時代ですから、今では考えられない好景気です。

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noname#224207
noname#224207
回答No.3

>社会事情とか人々の生活やらがどんな感じだった おそろしく難しいご質問です。 現在のように均質ではなかったために、焦点の当て方で変わります。 変化の速度が極めて早い時代でしたので跛行性も大きい時代でした。 むしろ映像でご覧になられた方がイメージし易いかと思います。 you tubeに沢山動画が投稿されています。 1960年代 1970年代などをキーワードとしてアクセスしてみて下さい。 下記の動画が比較的まとまっています。 アメリカの教材に見る1960年代初頭の日本 投稿者:Ori Mura 制作する際の難しさを冒頭で説明しています。 みんな豊かになりたかった 1960年代の日本 (2010年 投稿者:歴史と文化ちゃんネール NHKが制作した番組です。 こんなのもあります。 おそらく映像を見ても何をしているのか理解不能でしょう。 1960年代の日本の若者たち~団塊の世代の青春像~ 投稿者:S TINK 上記映像の対極として「60年安保」でアクセスして見て下さい。 09 - 60年安保闘争 - 1960 .投稿者:rosamour909 東大全共闘 安田講堂 1/2 . 抜け殻 上記の「日本の若者たち~団塊の世代の青春像~ 」も「東大全共闘 安田講堂 1/2 」も同じ世代の若者達です。 機動隊と殴り合った後で映画館へ行き任侠映画で高倉健などを楽しんでいました。 「手にはジャーナル、心にマガジン」などと言われていました。 「20歳でマルクスにかぶれなければバカ、30歳でマルクスにかぶれている奴は大バカ」 と言われた時代です。 学生時代は学園紛争の闘志で就職すれば高度成長の企業戦士でした。 40歳代以上はすべて戦争体験者です。 軍人上がりはゴロゴロいました。 飲めば軍歌、寮歌とビートルズが同居していました。 世代間で価値観が違うのは当然でした。 その差も半端ではありませんでした。 もし学校のレポートなどであれば、社会事情と一括りにせずに政治、経済と分けられたほうが纏めやすいでしょう。 生活も都市部と農村部さらに東京と地方では極度に違います。 これも分けらた方が纏め易いでしょう。

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  • hahaha86
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回答No.2

戦後焼土化し 夜やることがなくて 仕方がないから やることやって できた世代が 団塊の世代

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  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

50年代は戦後の続きといった感じで、シベリアに抑留された人などが遅れて帰国するなどまだまだ復興の時代でした。一方ビジネス特急こだまや寝台特急の設定や東京タワーの建設など新しい時代のとっかかりも始まっていました。 60年代は新幹線の開業、高速道路の開通、東京五輪の開催など、日本中が大きく変わりつつある時代で、もはや戦争中のことなど忘れられつつありました。人類初の月面到達に日本人もわき返りました。一方環境破壊も進み、当時「東京には空が無い」などと言われて今の中国のごとく大気汚染や河川汚濁が急速に進み、水俣病やイタイイタイ病など公害が問題になった時代でもあります。

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