>社会事情とか人々の生活
社会事情はWebのほうがわかるでしょう。ラーメンが60円とか電話は町内で一件ぐらいしか持って無い。緊急連絡先にはそのご近所の電話を登録。何かあるとおばさんが飛んできた。中にはタバコ屋の公衆電話を連絡先にするとかの人もいた。殆どは電報が伝達手段だった。車もTVもそんな感じ。
レコードのシングルは330円アルバムは1500円で当時の物価からすれば今の2万円ぐらい。だからレコードは買ったら擦り切れるまで聞く。つまりヒット曲の寿命は1年ぐらいあり、一曲ヒットすれば10年食えるといわれた。
道路のほとんどは未舗装、世田谷あたりでも車が土煙を上げてた。下水道の普及率も地域で違います。地方では電気も通ってないというのはかなりあった。
つまり関東と信州、青森、北海道などの地区とは全く生活が違ったということですね。三丁目の夕日は都会の昭和。地方の昭和は明治並。たぶん住んでいた土地によってその時代のイメージはかなり違ったと思います。都会では2階建ての家が多かったけど、少し離れると平屋がメインで空は広かった。屋根に上ればなんでも見えた。
お店は夜6時で閉店が普通。商店街は夜はシーンと。飲み屋しか開いてなく子供は居なかった。肉は肉屋、魚は魚屋、野菜は八百屋、雑貨は雑貨つまりスーパーなんか無いのでそれぞれに買い物かごを持って買い物。魚も肉も商品は新聞紙でくるむのでいわゆるエコ。ビニールなんてものがまだ少なかったから。卵は養鶏場がそこらにありそこに買いに行く、つまりニワトリ直産。これ関東圏話し。
こうなると夜は家族で過ごすしかないけど、実はお父さんは殆ど夜中しか帰ってこない。昭和のサラリーマンはサービス残業は当たり前。というか会社が家みたいなもの。仕事大好き。というか仕事をすればするだけ儲かったし、売り上げも伸びた。作れば作るだけ売れた。アイデアを出せば出すだけ見返りはあった。仕事が好きになるのも当然。週休は1日が主流。お母さんは一日中家事。それだけ家事は大変。地方だとお風呂の薪割りは1970年代まであった。湯沸かし器もないから冬は大変。ガスが来てたのも都会だけ。プロパンはあったけど薪ストーブでお湯を沸かすというのも普通だった。
つまり不便だから自分たちで工夫して暮らす。その工夫に一日を費やし、自分が生きるために一日はあった。なんのために仕事をしているのかわからない現代とは違い、自分の作業イコール生きるための作業だったわけですね。金でなんでも買える時代ではなかったから。わかりやすい。
と、いろいろあるけど当時の映画とか見るのが一番では?当時はTVじゃなくて映画が主流。一駅に一つ映画館があった。若大将シリーズや社長シリーズ。あとは小津安二郎の映画などみると良く分かりますよ。
今の日本とあまり変化なくなったのは1978年ごろから。それまでは多かれ少なかれ上記の生活。