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1980年代の日蘭関係。
1980年代の日本とオランダの関係ってどんな感じだったのですか?オランダは戦後は旧日本軍のオランダ人捕虜問題等で反日感情が強く86年の当時のベアトリクス女王の訪日がオランダ国民やオランダ議会の反発で中止されたり89年の昭和天皇の大喪の礼の際はオランダ王族からは誰一人参加しませんでしたが、1980年代の日蘭関係って実際どんな感じだったのでしょうか?やはり険悪な感じだったのでしょうか?文化交流や経済交流等は行われてはいたみたいで日本の皇室とオランダ王室の関係も決して悪くはなかったみたいですが。
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知識は少ないのですが、他に回答が無いようなので… 1980年代だと国交回復から20年前後でしょうか。 経済文化の交流は進んでましたが、オランダ国民の対日感情はまだ改善してない時代ですね。 戦争では東南アジアを舞台に直接敵対した関係であり、 オランダは当時の自国領である東南アジアで敗北した時の恨みや被害者感情が根強く残っていると同時に、国際的にはアメリカやイギリスと共に先勝国の立場です。 戦争当事国の「勝者であるオランダ王室」と「敗者である日本皇室」の関係は80年代当時も続いていたようです。 70年代に昭和天皇の訪欧、訪蘭をオランダ王室が受け入れた事で、新たな両国関係に向けた改善は進められていた筈ですが、 まだオランダ王室が日本天皇の葬列に参加する状況ではなかったと考えられ、 当時はオランダの国情が許さなかったのだろうと言えます。 時が経ち平成の天皇(現上皇)が訪蘭した時の真摯な姿勢が報じられてから、オランダ国民の感情も少しづつ改善に向かっているようですが、 戦争被害の当事者が生存してる限り、完全に払拭するのは難しいだろうと思います。
お礼
有難う御座います。