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江戸前寿司とはどういう寿司ですか?

ネタの種類を言うのでしょうか? それとも元江戸地方で食べる寿司の事を言うのでしょうか?

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回答No.4

こんにちは。 「すし」には「寿司」、「鮨」、「鮓」などの字をあてますが、本来は「酸し」(すし)でした。 保存食であり、旨みを出すために自然発酵させたものでした。 江戸の鮨も初期の頃は「熟(な)れずし」でした。 現在、琵琶湖周辺で名物の「鮒(ふな)ずし」同様に、塩漬けにした魚介類を飯の上に乗せて、重しをして長時間かけて発酵させたものでした。 この「鮒ずし」は、非常に臭いがきつく、鼻にツンとくる。そう「腐った臭い」がしますが、食べると、これはまた「絶品の味」がします。 しかし、江戸っ子の「せっかち」な性格と共に、文化年間頃からは、酢飯(すめし)の上にアナゴ、イカ、エビなどの煮付けを乗せて食べるようになりました。 ちなみに、コハダ、アジなどの生魚を乗せるようになったのは幕末の頃、さらにマグロを食べるようになったのは明治に入ってからです。 まあ、このように江戸湾で獲れた魚を中心にしたため「江戸前すし」と呼ばれた。と言う説と、酢飯の上に魚を載せて食べ始めたのが江戸独自で画期的だったから、という二つの説があります。 しかも、当初の頃はマグロのいわゆる「大トロ」や「中トロ」、「トロ」の部分は煮付けても味が染みないため、ゴミ箱に捨てられて「赤味」の部分だけしか食べませんでした。モッタイナイ。 「トロ」が食べられるようになったのは、明治の終わり頃~大正の初め頃からと言われています。 (よもやま話) 1.天正年間、織田信長と徳川家康が同盟を結び、その祝いとして、信長は家康を安土屋敷に招き、酒宴の席をもうけた。 この時、接待役(料理の調達や献立なども含め)を命じられたのが明智光秀でした。 光秀は琵琶湖周辺の名産であった「鮒ずし」を膳に盛り付けて出しました。 しかし、先にも述べましたが「鮒ずし」は腐ったような臭いがしたため、信長は怒り、 「このような腐ったものを出すのか!」 と家康の目の前で、光秀を罵倒し、光秀を足蹴りにした。 2.現代では「食い倒れ」と言うと「大阪」を指しますが、江戸時代は、 「江戸の食い倒れ、上方の着倒れ」 と、江戸の人口も多かったので、必然的に食文化も盛んになりました。 着物は京友禅などが盛んで、豪華の生地は上方(下りもの)に限る。と言われていました。 上方から江戸へ持ち込まれる物を「下りもの」と呼んでいました。 これは、朝廷が京都にあり、江戸は一地方にしか過ぎなかったからです。 3.江戸時代の江戸の「すし」は今のように一口サイズの上品なものではなく、「いなりずし」をさらに一回り大きくしたくらいのサイズであったため、2~3個を食べれば十分腹は満たされました。 4.江戸での「すし」は、もっぱら、屋台専門(TVなどに出てくる二八ソバの屋台を思い描いて下さい)で、庶民御用達専門。高級料亭と呼ばれたところでは、「すし」は邪道とされて一切食べることはできませんでした。

BMAWCIPVHT
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noname#221733
noname#221733
回答No.5

元々は、江戸時代に江戸で食べていた寿司ですね。 当然ですが、江戸湾で獲れた魚を使っています。 昔は結構いろんな魚が、豊富に獲れたみたいですよ。 元々は・・・ですよ。 現在は江戸前と言っても、ほとんどはよそで獲れた魚を使っているので。 これ、テレビで言ってました。

BMAWCIPVHT
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noname#237141
noname#237141
回答No.3

江戸湾(東京湾)説が一番有力ですよね。 そこで獲れた近海物の魚を適当に酢で〆て小ぶりに握った飯の 上に乗せて食べていた、当時のファストフードだったようですね。 マグロのトロは捨てていたようだし、魚といえばコハダとか雑魚類中心だった ようです。漁の合間に食べる、小腹がすいてちょっと道すがら屋台でつまんで 帰るとか、まあ荒っぽい食べ方といえば荒っぽい。 その流れで魚種が増え、現代の江戸前握り寿司になっているんでしょう。 それに比較して関西を中心に広まった押し寿司、棒寿司文化もありますね。 単に生魚を握ったような簡単なものじゃなく、色とりどりの野菜や 魚を入れた手間のかかった押し寿司は高度な文化度、芸術度を表していると思います。 京都の鯖寿司など押し寿司文化の最高峰だと思います、と関西の自慢を 入れてみました。

BMAWCIPVHT
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  • tpg0
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回答No.2

こんにちは。 私が20代前半の若い頃に都内の江戸前寿司店でハマチを握って欲しいと頼んだら、大将(店主)から「てやんでぃ!こちとら江戸前でぃ!白身が食いたかったらタイかシラメ(ヒラメのこと)だね!」と叱られたことがあります。 江戸前寿司は「東京湾の近郊で獲れた寿司ネタを握るのが基本」で鰤(ブリ)の幼魚をイナダとは言っても西日本方面のようにハマチとは言わないそうですので、私は大将から西日本方面から来た客だと思われたようです。

BMAWCIPVHT
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回答No.1

江戸前は文字通り江戸の前、 江戸湾(東京湾)で漁獲した魚介類を使用したお寿司の事です。 私が聞いたのはこれも江戸時代の科学者でコピーライターでも有った、平賀源内先生のコピーだそうです。 昔は相当の種類がとれたみたいですよ。

BMAWCIPVHT
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