※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:数学で構造そのもの、モデルそのものを考えるとは)
数学で構造そのもの、モデルそのものを考えるとは
このQ&Aのポイント
論理学などの文脈で、自然数N、実数Rの構造は一階述語論理では特徴付けれないことがある。
同型でないモデルが複数ある理由は、形式体系における相対性に起因している。
モデルを扱うことは厳密な議論ができるはずであり、形式体系と同じレベルの厳密さを持つ。
過去に似たような質問をしていると思います。御容赦ください。
論理学などの文脈で、
自然数N、実数Rの構造は一階述語論理では特徴付けれない
書かれているのをモデル論側からの視点としてよくみるのですが、このモデル、構造というものをどうやって直接議論して扱うのでしょうか(つまり完全に間違い、勘違いと思うのですが、形式体系で扱うことができないのがモデル、構造と思ってしまっているのです、なのでどうやって厳密に扱うのがわからないのです)。
というより言語上で特徴付けれないのになぜ、同型でないモデルが複数あるとわかるのでしょうか?
これは絶対的に、形式体系では自然数の構造が決まらないということではなく、
形式体系における相対性、つまりある形式言語上では特徴付けられる(一意に決まる)が、ある言語上では一意に決まらないということを言っているのでしょうか。
モデルというものを扱うことは、なにか心の中の自然数そのもの、実数そのもの、集合そのもの全体を参照する必要のあることに感じ、怪しいものと見えてしまいます。
実際にはそうではなく、形式体系と同じレベルの厳密さをもってモデルについても議論ができるはずだとは思うのですが、その具体的方法がわからず、ずっと勘違いをこじらせてしまっています(つまりモデルを使った議論は心の中の対象に訴えるような哲学的で怪しいものといった誤解がとけません...)。
この方面に明るい方、お暇でしたらご教授お願いします。助けてください。
お礼
回答ありがとうございます。遅くなってしまってすみません。 「一階論理」だけでは表現できないということなのですね。 ということは例えば、集合論などを使えば、自然数全体の集合Nとそれに「無限大のようなもの」を加えた集合は区別できるということでしょうか。 しかし、ZFCは基本的には一階述語論理で記述されますよね、これは一階論理で記述されているということではないのでしょうか。 もしお時間等に余裕あればさらに教えていただきたく思います。 教えていただいた資料、参考にしたいと思います、ありがとうございました。回答非常に助かりました。