長刀無用論というより少年時代に長刀で戦って負けたものを見て、また長刀でケガをするものをたびたび見たので無用と言ったという事のようです。
甲陽軍鑑によれば
信玄は父信虎の時代(12歳)のころ、野村源左衛門という剛のものが長刀をとって18歳の清水清二郎という討たれてしまったと言う事を見て以来、長刀はよろしくないとして自分の代では長刀無用の申し付けをしていたそうです。
しかし武田家の領土も信州の一部まで手に入ったことでもあり家中の人も増えたので今後はどうだろうと4人の家老に計ったところ、飯富兵部少輔が言う事には
武器にはそれぞれ使いやすい間合いがあり、距離により適当な武器は近距離の小脇差しから遠距離の弓鉄砲まで決まっています。
そうはいいながら、短い武器で勝ちを得たものは短い武器を、長い武器で間合いの長い戦いで勝ったものは長い武器、高いところの敵を鎌槍で引っ掛け落として勝利したものは鎌槍をよいなどと言い、それ以外のものは使いにくいなどと言うものです。また深く考えずに真似して薮などで鎌槍を用いてつき損なったものは鑵槍はダメというでしょう。馬も馬上で細々勝負するものは小回りの効く小さい馬がよいともいうが過去の戦訓でも大きな馬で敵を乗り倒すこともあり、様々なケースが考えられます。という事で武田家では「諸道具人々のすき次第」と仰せ付けられる事がよいでしょう。
と言った意味の事を信玄に申し上げたのでなるほどということになり
「諸道具各面々すきすきに仕る者なり」となったということです。
参考URLは近代デジタルライブラリーの甲陽軍鑑ページです。
コマ番号53で第15がひらけますよ。
お礼
完璧な回答です。お礼を言います。