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武藤貴也議員の法律的な考えの根拠は事実妄想どっち
- 武藤貴也議員の法律的な考えには、日本国憲法の三大原理を破壊し、日本の精神的荒廃をもたらしているという主張があります。
- 彼は基本的人権は制限されるべきであり、滅私奉公という日本精神が根底にあると主張しています。
- また、彼は安保法案を批判し、戦後教育が利己的な考えを生み出していると指摘しています。しかし、彼の見解には問題や疑問点も存在します。
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>国家や地域を守るためには基本的人権は、例え『生存権』であっても制限されるものだというのがいわば『常識』であった」. そもそも、生存権という概念がない時代の話であって、生存権があったように吹聴するのが間違いなんだけどねw >「その根底には『滅私奉公』という『日本精神』があったことは言うまでも無い」 滅私奉公は、あくまでも貴族および武士階級のモラルだね >7月31日には、安保法案を批判する学生団体の「だって戦争に行きたくないじゃん」という主張を「自分中心、極端な利己的考え」とし、これを「戦後教育のせい」と批判している。が、これは、法律の専門家からすれば、真面な発言なのか、否か? マトモと評するのことの可否?価値観次第の話だしねぇ そもそも、戦後教育以前に、戦争に行きたくないと思うものだと思うが 哲学でいう本性論でいえば、好んで戦争に行きたい人間よりも、戦争に行きたくない人間の方が多いと思うが >抱える問題性とは、何か? 当人が当人の価値観・思想を大前提にして、それを他人に強制すること >戦争に行くたくないと、利己的なのか? その事由による。社会を支える上で、戦争ではない場所での公共善を実現するならば、それは利己的ではない、と出来るので >利己的は罪なのか、否か? 罪の意味次第だが、利己性を罪にしたら社会は成立しない。人間の行為は基本は利己なのでw >生存権の根底には滅私奉公が存在しそれが、戦後教育で失われたのは事実なのか?否か? 生存権の根底は、単なる自己保存権です。そこには集団との関係性などは念頭にはありません。 仮に現憲法が生存権を公共の福祉の制約下においていれば、まだ滅私奉公の余地はあるが、生存権は、有限な社会資源の制限によってのみ制限されているだけなので >日本人的価値観。」というもの。かつての日本は法治主義ではなく「徳治主義」であったと指摘し、日本的価値観として「勤勉」「正直」「誠実」「勇気」「謙虚」「滅私奉公」といった徳が「古来からある」とした。 朱子学ですね。ただし、それは武士階級の慣習法であって、一般大衆がそれを慣習化した形跡はありません >そして現行憲法が掲げる「基本的人権の尊重」が、このような日本的精神を破壊した「主犯」と主張。戦前には国家や地域、家族の中では人権が制限されて当たり前と考えられていたのは事実なのか?否か? 日本的精神論の是非は知りませんが、そもそも特権階級の慣習法は明治維新で崩壊しています。「武士道」という精神が隆盛したのは、単なるセンチメンタリズムと言えそうですし、明治政府にとっては、都合良いモラルでもあったでしょうw 後段について法的回答はできません >滅私奉公て、ある組織の自分よりも身分が上の人間に対しての絶対精神的な奴隷服従、考え思考に対する反論をしない盲信、思考停止をする事を言うのではないか? 忠義についても、その正当性を疑わず盲従することを是としていますので、見解は適確だと思います。まぁ、儒学ではなく朱子学で問題にすればの話ですが >日本はこれまでの歴史の中で徳治主義だった時代は、本当にあるのか?否か? 朱子学をベースにした価値観にすぎない「徳治主義」という概念は、朱子学の知識をベースにしないと評論できませんので、回答不能 >日本的と精神とは? 「勤勉」「正直」「誠実」「勇気」「謙虚」「滅私奉公」なのかはじめ知ったが、武藤貴也は根拠があっているのか、 彼なりの歴史観が根拠だと思いますよ。 >それとも、単なる持論もしくは、空想の類いなのか? 法的理論であれば、特権階級の慣習法をベースにしている話であって、それを特権階級以外にも援用しようというのは、それを当事者が是認する限りにおいてのみ許容される話でしょう 個人的には持論としてアリだと思いますが、とっても「ステレオタイプ」な持論という見解ですね つまり、まぁ、「似たような主張をさして勉強もせずに援(盗)用しているなぁ」
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- hekiyu
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"法律の専門家からすれば、真面な発言なのか、否か? 武藤貴也議員の見解が抱える問題性とは、何か?" ↑ 今の憲法は米国人が六日で、しかも英語で作成した ものです。 だから、欧米の価値観に基づいて構成されている憲法です。 つまり、権利中心の個人主義です。 欧米はこれでもよいのです。 欧米にはキリスト教という道徳の軸があるからです。 しかし、そんなモノのない日本で、権利中心の個人主義を 導入したら、我欲の為に権利を濫用する、ということに なりかねません。 クレーマー、モンスターペアレント、総会屋などがその 例です。 生活保護もそうですね。 権利だとしたため、汗水流し、時には過労死するほど働いて 税金を納めている人に対する感謝の気持ちなどカケラも ありません。 あるのは、少ない、もっとよこせ、という不満だけです。 ”戦争に行くたくないと、利己的なのか? 利己的は罪なのか、否か?” ↑ 利己的ですが、人間はそもそも利己的なのです。 しかし、利己的な人間をそのまま認めたら、我欲だけ になってしまいます。 人間は本来利己的だからです。 建前などで修正するぐらいでちょうど良いのです。 だから、国家の為になら仕方がない、という 程度の建前が良いのです。 その建前すら否定したら、人間の本能のままの 社会になってしまいます。 ”生存権の根底には滅私奉公が存在し それが、戦後教育で失われたのは 事実なのか?否か?” ↑ 国家あってこその人間だ、という考えなら 生存権の根底には滅私奉公がある、という ことになるでしょう。 戦後はそれが逆になりました。 国家は、個人の権利を保護するために存在する、 というのが現在の憲法の建前です。 ”戦前には国家や地域、家族の中では人権が制限されて当たり前と考えられていたのは 事実なのか?否か?” ↑ 人権よりも国家などの方が大切だ、という思想でしょう。 前述したように、それが戦後は逆転したわけです。 ”滅私奉公て、ある組織の自分よりも身分が上の人間に対しての 絶対精神的な奴隷服従、考え思考に対する反論をしない 盲信、思考停止をする事を言うのではないか?” ↑ ちょっと違いますね。 公の利益を個人よりも優先する、ということです。 吉田松陰の師匠である玉木文之進が、講義中 松陰が 顔をかいたので 死ぬほど殴ったという逸話があります。 学問は国家の為にやるのに、顔をかくのは私事である。 私事を国事に優先させるとは何事か、という わけです。 ”日本はこれまでの歴史の中で徳治主義だった時代は、 本当にあるのか?否か?” ↑ 徳治主義てのは法治主義に対する概念です。 これを徹底すると易姓革命の国になります。 中韓がそれです。 そういう意味では、日本に徳地主義はなかった と言えるでしょう。 江戸時代などでも、相当厳格な判例主義を採って いたことが実証されています。 ”日本的と精神とは? 「勤勉」「正直」「誠実」「勇気」「謙虚」「滅私奉公」なのか はじめ知ったが、武藤貴也は根拠があっているのか、 それとも、単なる持論もしくは、空想の類いなのか?” ↑ 滅私奉公はともかく、他のモノは日本的精神と言って よいのではないですか。 勤勉は、江戸時代に醸成されたと言われています。 欧米では労働は神が与えた罰ですが、日本では美徳です。 正直であるのは、戦国時代に来日したイエズス会の ザビエルも指摘していました。 誠実ですが、これは中国人も認めています。 中国のTVから。 「日本人は誠実だな」 「そうだな」 「そうだ、そうだ」 「お前等、そんなに日本人を誉めるなら、日本人の ように誠実になったらどうだ」 「バカいうな。中国で誠実に振る舞ったら身ぐるみはがされて しまうわ」 「そうだな」 「そうだ、そうだ」 勇気は武士道に基づくものでしょう。 中国人に言わせると、日本人は死ぬのを何とも思って いないそうで不気味だそうです。 謙虚は疑いない事実でしょう。 滅私奉公は、武士道に基づく考え方だと思います。 武士は戦闘のプロです。 滅私奉公でないと武士としての職責を果たせないでしょう。 幕末、高杉晋作は上海で奴隷化されている中国人を目にし 日本もこうなるとの危機感を持ちました。 それが明治維新に繋がります。 その後は、何としても列強の植民地にされまい、とする 歴史でした。 滅私奉公はそういう時代を背景に、殊更強調した考え方です。
詐欺の件で既に検察が動き出してるんじゃね。(´・ω・`)未成年の男を議院宿舎で買春したとか恐ろしい。まだまだ余罪が出てくるかも。