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ドイツ語の接続法第一式とは?混乱しているあなたへの解説
- ドイツ語の接続法第一式について疑問を持っている方も多いかもしれません。接続法第一式は、間接話法の時に使われることが一般的ですが、例外的に他の場面でも使用されることがあります。
- 例えば、「Plötzlich hatte ich eine Idee: Ich könnte doch so tun, als sei ich Picasso, der gerade in seinem Atelier arbeitet.」という文では、接続法第一式が使用されています。このような表現は、自分自身の考えに対しても使われることがあります。
- ですので、ドイツ語の接続法第一式は、間接話法の時に限らず、他の場面でも使用されることがあると解釈することができます。混乱している方も安心してください。
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非常に難しい問題です。接続法の用法については、ドイツ語を母語とする人の間でも不徹底があり、また文法的にどちらも正しいというケース、人により感じ方が違うケース、書き言葉と話し言葉での相違、などがあり、すべてをここで解説するのは無理ですし、私も全部は把握していません。 まず、引用されている文ですが、日本の文法書で学んだ人は、接続法I式は間接話法に、接続法II式は非現実話法に使われるという原則が頭に入っていると思いますので、なぜwäreでなくseiなのかという疑問が起きて当然です。そして、このサイトに似たドイツのQ&Aサイトなどを見ると、どちらが正しい、正しくないというような議論が延々と続いているスレッドがいくつかあります。しかし、まずそういう個人的見解は脇に置いておいて、文法書などの信頼できる情報からいくつか要点を抜いてみます。 Ich könnte doch so tun, als sei ich Picasso, der gerade in seinem Atelier arbeitet. 「今ちょうどアトリエで仕事をしているピカソであるかのようにやってみることができるのではないか」ということですから、非現実を表しています。文法的には、ここはもちろんals wäre ich Picassoでも誤りではなく、むしろその方が標準的です。しかし、たとえば、信岡資生+藤井啓行・共著「中級ドイツ語の研究」(朝日出版社)には次のような説明があります。 第I式と第II式の区別 ・・・接続法それ自体がまったく主観的な叙述の形式であるうえ、歴史的な要因もからんで、第I式と第II式の使用についてはそれほど厳格な区別がいつもあるわけではない。単なる間接話法で第I式ですむのにわざわざ第II式が使われていることもあれば、als obなどの非現実的な内容表現の副文に第I式が使われていることもあり得るのである。しかし、あくまで原則としては、やはり現実性・可能性を持った表現に第I式、非現実の表現では第II式が使われる。(同書221ページ) また、E.ヘンチェル・H.ヴァイト共著「ハンドブック 現代ドイツ文法の解説」(同学社)に出ている非現実比較の接続法(Konjunktiv des irrealen Vergleichs)の例文は、すべて接続法第I式と第II式が併記してあります。 Er benimmt sich, als ob er allein sei / wäre. 彼はひとりであるかのようなふりをする。 Sie tat es so, als ob das ganz einfach gewesen sei / wäre. 彼女はそれがとても簡単であったかのようなふりをした。 (同書114ページ) あるいは、下のドイツの文法サイトcanooにも、非現実話法に置いて、意味は全く同じだがまれに接続法I式を使う、と書いてあります。なおこのサイトにはさらに、非常にまれながら直説法も使うとなっています。 http://www.canoo.net/services/OnlineGrammar/Wort/Verb/Modi/Komparativsatz.html 実際、この文のようなals sei、またはals ob …seiという形は時々目にします。一応文法上の説明としては、非現実の表現には原則としてII式を使うが、I式を使うのも間違いではなく、意味に違いはない、ということなのですが、先ほど「中級ドイツ語の研究」からの引用部分に「接続法それ自体がまったく主観的な叙述の形式である」という部分がくせ者で、ドイツ人の間でも、標準的な文法に則って第I式は誤りであると主張する人がいるかと思えば、第I式、第II式、そして直説法すべてにニュアンスの違いがあると言う人もいます。簡単に言うと、同じ非現実でもwäreよりもseiの方が可能性が高い、と感じる人がいるということです。おそらく、そういう人に言わせれば、「Ich könnte doch so tun, als sei ich Picasso」という文章の場合、「まるでピカソのように自分がやってみることができるのではないか」という確信の強さを表している、ということのなるのかもしれません。下のQ&Aサイトでは、「Er sieht so aus, als sei er ein Professor.」という文と「Er sieht so aus, als wäre er ein Professor.」はどちらが正しいのかという質問に対して、seiは絶対に間違いであるとして譲らない人と、seiの方は実際に教授である可能性が高く、wäreの方はその可能性が低い、と主張する人に割れており、延々と議論をしています。 http://forum.wordreference.com/threads/als-sei-vs-als-w%C3%A4re.2956871/ ドイツ語のこういう文法問題に関する議論を観察していると、文法学者の定義するところと、一般の人が個人々々で感じるところに少しずれがある場合があります。中にはseiの方が美しく感じる、などという人もいます。しかし、いずれにしてもals wäreの代わりにals seiとする書き方は、ドイツ語の書物にもよくあるので、どちらもあり得るということは覚えていてよいでしょう。seiとwäre(さらに直説法とも)のニュアンスの違いによる使い分けというのは、必ずしもすべての人に共通の認識ではなさそうなので、われわれ外国人が話すときは、ごく標準的な用法のみでよいと思います。 もう一つの御質問、 >Ich dachte, ...の後に接続法第一式が続いている文を見かけたこともあります。 >自分自身の考えに対しても、接続法第一式を使うことがある、という解釈で良いでしょうか…? に関してですが、これも「中級ドイツ語の研究」の中に次のような説明があります。 広義の間接話法 要するに間接話法とは、「・・・と言った」という場合に限らず、口に出して言わなくとも心の中で思っていること、意見・思想・判断・報告・感覚などを表す動詞や名詞の内容も含めて考えられる。 (同書219ページ) このことを考えれば、ich dachteのあとに接続法I式が用いられる場合もあるかもしれません。ただし、間接話法に使う接続法第I式は、第II式に比べて文体的により高尚な用法とされ、おもに文章語で用いられます。文学作品や新聞の記事、あるいはテレビやラジオのニュースでは第I式を使いますが、口語では第II式が一般的です。 Er sagte, er sei müde.(文章語) Er sagte, er wäre müde.(日常語) これも、文法上の説明は今の通りなのですが、ドイツ人の中には、この場合もやはり意味の違いを感じるという人と、意味の違いはない、と言う人がいます。しかしこれらはあまりあてになりませんので、文法書の説明に従うのが一番かと思います。それに、ドイツ人の中にも接続法の明らかな誤用をする人が多く、問題になっています。Zeitというドイツの新聞の記事に、「Sie erzählte, sie habe dazu keine Lust gehabt, und wäre daraufhin ins Kino gegangen.」という文例が出ていて、この場合のwäreは誤りなのにもかかわらず、多くの人がこういう使い方をしているのはなぜか、という論説がありました(daraufhin=あとで、とあるので、実際に映画館へ行ったことは明らかで、wäreではおかしい)。 http://www.zeit.de/2003/03/L-Konjunktiv かなりややこしい問題なので、このぐらいにしておきます。