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勉強法
ある人は、何年かかけて中学英語にしぼって音読・英作・文法・聞く・話す等をたんねんに行い、 またある人は、何年かかけて英検準1取得を目指し、難度の高い英文等をレベル段階に応じて扱います。 はたして、どちらが早く日常会話をそつなくこなせるようになるでしょうか? やはり、簡単な英語を繰り返す方が良いのでしょうか? もしそうだとしてら、仕事上の利点を除き、英語学習としてTOEICや英検で上位レベルを目指す意義はなんでしょうか?
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- sknuuu
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>>どちらが早く日常会話をそつなくこなせるようになるでしょうか? こういう質問は「~ということをすれば日常会話がそつなくできるようになる」という答えがどこかにあるという裏返しのように読めます たしかに、日常会話をこなせるようになるようになるためには何らかの要素は必要です (気になるのは、"日常会話"の定義はなにかということですが・・・) そしてまたこういう質問は、「簡単な英語を繰り返す」という方法と「難しい英文をとにかくこなす」という二極の勉強方法があるのだという暗示を感じます あるんでしょうかね、こういう二者択一をせまられるような、お互い交わることができないような二つの勉強方法って 中学英語とはいいますが、"そんなに"簡単ですかね よく中学英語をマスターすれば会話なんか簡単にできると言われますね では、なぜ"そんな"簡単な中学英語を多くの日本人がマスターできないんですか? 英検準1級を目指す人は、中学英語のような簡単な英語はマスターせずに、別の道を歩まなければいけないのでしょうか TOEICなどのテストの点数というのは、"その人のその時点のレベル"を表すものです ですから、基本的に、その後に同様のテストを受けても全く同じ点数がとれるはずです そしてその点数は、第三者からの評価にも使われます 「この点数をとっているから、これぐらいは話せるだろう」と でもよく聞くのは、「TOEIC満点とっても話せない」「TOEICはずっと前に〇〇〇点とったけど、今受けたら何点かわからない」という話 おかしいではないですか つまり、いい点数をとっても全く身についていない、会話すらもできない人がたくさんいるということ 戻りますが、いろいろ矛盾が見えますね 中学英語を卒業しているはずの高度な英語を勉強している人が結果して話せない 簡単なはずの中学をマスターすれば話せるはずが、結果してそな気配はない 原因はいろいろあるでしょうが、簡単に言うと、多くのひとはやるべきことをやってないんですよ 「いっぱい聞いて、いっぱい話して、いっぱい読んで、いっぱい書く」 "中学英語のマスター"とは書きましたが、マスターってのは"文法を理解している"ということだけで使ってますよね 文法は確かに大事です 誰かに外国語を教える場合には、理屈として伝えるために必ず必要になります でも言葉というのは文法だけで話しているわけではありません というか、文法なんて"その形になりさえすればいい"ものであって、文法という理屈が発話を支配するようなものではありません 日常会話を"そつなく"こなすためにはどれぐらいの量をこなさなきゃいけないんでしょうね 学習参考書1冊こなせばいいんですか? いや10冊? そういう量ではなくて、質の異なるものの量をこなす必要があるのでは? paperback 1冊読めますか? いや、30pぐらいの短編でもいいです てっとり早く回答すれば、「実用的範囲でできるだけ多くの英語をinputし、自分のものとしてoutputする機会をできるだけ増やす」という感じでしょうか とにかく、これだという回答を出せるはずのない質問なのであいまいな回答にしときます ま、こういう質問につながるとうことは、質問の方はご自分が日本語をどうやって習得したかをすっかり忘れているのだと思います これはほとんどのネイティヴにいえることですが どれだけの時間とどれだけの勉強をして今日に至ったかを思い出せば、言葉の習得というのはそんなに簡単なものではないといううのが"すぐ"わかるはずです
お礼
たくさんのご意見ありがとうございます。 前者は、中学レベルで会話が出来るまでやりとおす、つまり、 「いっぱい聞いて、いっぱい話して、いっぱい読んで、いっぱい書く」 語彙等を制限したうえで「実用的範囲でできるだけ多くの英語をinputし、自分のものとしてoutputする機会をできるだけ増やす」 を意味しました。 後者は、英検準1を受かることを目指すと言う意味でしたが、説明不足ですいません。 ネット上には両者がいるのをみかけたもので伺いました。 どうもいろいろありがとうございました。参考にさせていただきます。