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いたことがあるような懐かしい感覚のする場所
- 実際には行ったこともない場所なのに、いたことがあるような懐かしい感覚のする場所があります。
- その場所の風景や雰囲気を6歳の頃から記憶しており、実際に訪れた際にも感覚が一致しました。
- このような記憶はなぜ生まれるのでしょうか?精神的な要素やオカルト的なものではなく、不思議な感覚です。
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質問者が選んだベストアンサー
#6です。補足とお礼です。 >>お父さまの記憶が息子さま方へ、、、と思えてしまいますね。 これ僕の言葉不足でしたので、二つ足します。「子供」は娘だったことと、「父」は僕の父だったことです。 僕は生まれが他の所ですが、娘たちが会ったことの無い、祖父母、曽祖父母、そのまた上の人々の生まれ故郷の景色なのです。しかも買った時日本の景色とは知らなかったそうです。 で、たった四行のまずい話から、色々なことを読み取ってくださった質問者さんに心からお礼を申し上げます。
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- 雪中庵(@psytex)
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無(=不確定性無限)の潜在としての認識可能性を 時系列化する=自我仮説(記憶=過去)において、 相補的(相補的不確定性)に空間仮説(予測=未来) は対発生しています。 原理的に、宇宙膨張=物体収縮=プランク定数h (相補的不確定性)の収束として、それぞれの時点 において異なる原理において独立しており、それを 過去の自分として感情移入する事で、自我仮説は 成り立っているとすれば、そのプロセスに多少の 不確定的なブレがあって、既視感や予知夢などが 生じる可能性もあり得るのかも知れません。 ただし不確定的なので、確実な予知ではなく後から 考えるとそう思った、ていう程度の。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
#3です。追加です。 僕は在米ですが、末の子がまだ五つか六つの時に上の子と二人で、僕に誕生日のプレゼントをくれました。今もその枠に入れた小さな写真は、うしろの壁にかかっています。 それまでに子供達は日本に行っていません。しかしその風景は父の生まれ故郷から見た、海に日が落ちる写真でした。「これどうして?」と聞くと「いい写真だったから」だそうです。 世の中には、不思議なことってあるもんですね。
- kia1and2
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日本初めて来て、少し旅行をした際に長崎に。別に観光スポットでもない普通の家が並んでいる街角で、あれッ、ここ知ってる、それで、あの角を曲がったらすぐに小さなお店があって、その店の右側の上から2段目の棚にポッキーのお菓子があるよ、って亭主に言ったら、「まさかー」。それで、次ぎの角をまがったらすぐにお店が。ここや、ここや、で店に入ったら、そこにポッキーが並べられていました。 こんなことってあるんですね。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
>「科学的にこうですね、分析的にこうですねと言う、くだらない回答はぶっ飛ばせ。 君が今幸せな事実だけが全てだ。 錯覚で片付けないで、幸せがどこからもたらされたか、理解しようと思えばわかるだろう。 人間社会の伝統で、そのもたらされた幸せに神を見て、君の人生は今後さらに充実するだろう。 君が神をどの様に、見るかは私には語る余地もない。 君自身が語る言葉だ。 幸あれ。」 ・・・人権を侵害しないように、心掛けたいものですね。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
6歳の頃から今も変わらずに「そこにいる自分の姿と周りの空気、雰囲気」が記憶にあります。これはなんなのでしょうか? 心理学で言うデジャビュ「既視感」(フランス語の déjà vu「もう見た」から)ですね。あちこちでありますよ。下記等をご覧下さい。 http://eow.alc.co.jp/search?q=deja+vu https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A2%E8%A6%96%E6%84%9F
- 畑 茂夫(@Flareon)
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私は神の神秘を探求する超人だ。 そうさな、 君は6歳くらいに自らの人生の理想を思い浮かべた。 そして25歳で、理想の通りの人生を送っていると、実感した。 そのようにして、幼少のころの憧れが実現したんだよ。 その接点が6歳においてみたかった景色だ。 こうした事は、君の人生がおおむね成功で、自らの望むままだと言う事を表している。 おめでとう。 科学的にこうですね、分析的にこうですねと言う、くだらない回答はぶっ飛ばせ。 君が今幸せな事実だけが全てだ。 錯覚で片付けないで、幸せがどこからもたらされたか、理解しようと思えばわかるだろう。 人間社会の伝統で、そのもたらされた幸せに神を見て、君の人生は今後さらに充実するだろう。 君が神をどの様に、見るかは私には語る余地もない。 君自身が語る言葉だ。 幸あれ。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
こんばんは。 「理由」が判ると、途端に氷解する。 そういう事柄でしょうか。 (あれ、違うか、) ♪「渚のバルコニーで待ってて、・・・・・・・」
お礼
ありがとうございます。 思わず感動してしまったのでお返事させていただきます。 お父さまの記憶が息子さま方へ、、、と思えてしまいますね。悲しい話でもないのになぜか涙が出てきました。 「いい写真だから。」わかります。なぜだかわからないけど、「いい」「馴染みきったもの」という感覚を覚えるんです。帰ってきた、とも感じました。 あぁ、ここに帰って来るんだったんだなと思いました。その景色を見た時、その場にいた時、ほっとしたんです。ここが本当の居場所だったんだと。 なんだかロマンチックに浸ってしまってるような書き方になってしまいましたが、回答者さんの息子さまのお話を聞いて、「ただの勘違い・現実逃避なのではと恥じずに、今まで通り大切な記憶・居場所として心の支えにしておこう」と思えました。 不思議なことはあるのですね。 ありがとうございました。