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心に焼きついた旅
- 心に焼きついた旅を振り返り、国内の印象的な場所を紹介します。
- 20代のうちに北海道から九州まで旅し、数々の思い出を作りました。
- 岩手県の釜石市は製鉄の街でありながら風情ある漁業の街で、美しい夕暮れの景色が印象に残りました。
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大学生の時(今は58才です)親友と津軽半島の北側の海岸に行きました。 我々は大阪人なので列車の中でふざけた会話をしていました。 恐らくその会話をずっと聞いていたであろう地元の若い男性が 降り際に「お元気でね」と唐突に言いました。 それまで全く絡んでいなかったのにです。 その人の純朴さに何か打たれるものがありました。 さて、目的地の海水浴場に着いたところ 夏にも関わらず「やませ」と呼ばれる冷たい季節風が吹いていました。息が白くなるほどの寒さでとても海水浴どころの話ではありません。宮沢賢治の「寒さの夏はおろおろ歩き」という一節に納得しました。 そして、その夜、海岸でキャンプをしました。 キャンプをしている私達に地元のひとが何か話し掛けてくれましたが、青森弁なので一切分かりませんでした。 しかし、朝になると、そのひとが味噌汁とごはんを持って来てくれました。 旅をしていると、ひとの人情に触れることがしばしばありますが この旅は、私の記憶の中で、あの青森の海岸を背景にひときわ 光彩を放っています。
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- twilight-exp
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旅先ではありませんが、印象残っているのは夜行列車(寝台列車)ですね。 この3月に大阪から日本海沿いに走る寝台特急と急行が廃止になり、ますます数が減っていて、この先いつまでどの線区のどの列車が残るか予断できない状況です。 国内の旅行なら、もう一度寝台列車に乗って、ゆっくりと一晩時間をかけて目的地へ向かってみたいと思います。
お礼
回答有難うございます。 私も鉄道ファンで、東京在任中はよく郷里の福井へ帰るのに新幹線を使わずにわざと寝台特急「北陸」(上野⇒金沢)を利用しました。上野発が夜11時過ぎで真夜中なので車窓を見ても漆黒の闇、寝るしかなかったわけですが、こうした優等列車が次から次へと廃止の憂き目になっているのは大変残念ですね。寝台特急「日本海」も最近は最盛期の4分の1か何かまで乗客が減ったようなので、時代の流れといえばそれまでなんですが。いずれにしても上野または大阪から札幌までの半ば観光目的の超豪華寝台特急や、スピード優先の東京発四国、山陰行きの電車寝台特急だけが残った昨今、旅情が無くなってきたのは鉄道の大きな損失と思います。
- marisuka
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足摺岬。 四国をずうっと自転車で走って、何日目かにやっと辿り着いた岬です。 でもなぁ、ひとつに絞るのは難しい。宗谷岬も美ヶ原高原も開聞岳も曽々木海岸も鳥取砂丘もよかったし…。 それに私の場合、旅先での出会いが印象に残るので、そっちのほうが旅のメインだったような。で、それも一つには絞れませんね。旅はいい。
お礼
回答有難うございます。 鳥取砂丘は行きましたがいいところでした。仰る通り旅先での出会いは印象に残りますね。心のふれあいはいい風景を見た印象より記憶に残りますね。
「隠岐」 http://okinoshima.info/ なーんにも有りません 自然と人情だけ and 日本海の新鮮な魚介類
お礼
回答有難うございます。 <なーんにも有りません 自然と人情だけ and 日本海の新鮮な魚介類 と仰るが、最高じゃないですか!!隠岐もまだ行ってませんが、是非行きたいです。
お礼
回答有難うございます。 東北の方は概してこういうタイプが多いですね。一般的によそ者に排他的だといいますが、一旦気を許すと肝胆合い照らす仲になれるのも東北人の特徴です。漁師さんなんか豊漁だったりすると「奥さん、晩に食べてけろ」と玄関先へ鰹をポン、ポーンと放り込んだりしてるのは幾度と無く見掛けましたし、晩方「飲もうよ」と一升瓶下げてよそのお宅へ上がるのは日常茶飯事です。昔を思い出します。