- ベストアンサー
洞窟で生活していた原始人の理由と時期について
- 洞窟で生活していた原始人の理由とは?山岳地帯での生活のメリットや危険から身を守るためなどが考えられます。
- 洞窟で生活するための要件は?洞窟の形状や周囲の環境に適した場所を選ぶ必要があります。
- 洞窟での生活の時期については、考古学的な発見から約20万年前から始まったと言われています。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
>大昔は、マンモスを狩り、洞窟で火を焚き、生活している原始人(?)がいたと思っています。 お考えのような人達もいたということです。 >大きな疑問として、洞窟で生活していたのかです。 生活をしていたと思われる痕跡が残っている洞窟がある、ということです。 >洞窟なんて、どこにあったのか?現代、見渡すところに洞窟なんてありません。 >日本という小さい視点は良くない。世界規模で考えないとダメですね。 山に洞窟なんてあるのか?掘った? その気で探せばそこそこの数はあります。 下記のサイトに日本で見つかっている一覧があります。 日本の洞窟・岩陰遺跡 www.doukutu.co.jp/sc7-8.html >生活していたとしたら、なぜ洞窟で生活を? 生活の痕跡が残っている洞窟は防空壕のように狭いものではありません。 セッセと掘っていた訳ではありません。 大きなものには高速道路のトンネル程度の巾も高さもあるところがあります。 少なくても立って自由に歩ける程度の空間はありました。 奥行きが浅いものは岩陰遺跡、深いものを洞窟遺跡と呼んでいます。 理由は沢山ありますが、自分で作らなくても風雨を防ぐことができます。 中で火を焚けば暖が取れますから寒い季節でも生きて行けます。 このような洞窟の地面は乾いていますので注意して下さい。 じくじく湿った洞窟では生活していません。 せいぜい一時しのぎでしょう。 >なぜわざわざ山で生活を? ジャングル地帯でない限り、平地よりも山の方が食料は豊富です。 山すなわち斜面の方が日照が得られますから樹木が繁茂します。 山にはなにもないと思うのは現代の都会人の感覚です。 現在でも観光地へ行けば山菜料理や山菜のお土産がありますが、あれが日常の食品でした。 現在でも山芋もクズも山で採られています。 クズは葛の根からつくられたものです。 現在はドングリは食べませんが古代人にとっては貴重な食料でした。 ドングリと言いましても大小さまざまあります。 椎の実のように小さなものから橡の実のような大きなものまであります。 橡の実を使った橡餅などはいまでも観光客に珍重されます。 クルミや栗も沢山食べられていました。 三内丸山遺跡でも周辺に栗林があったとされています。 ヤマブドウ、グミなど今でも食べられる木の実は沢山知られています。 これ等の実を求めて鳥や獣が集まりますから、これを捕獲して食べました。 広い平地を必要とするようになったのは田畑が食料調達の主要な手段となった以降のことです。 貝塚の話が沢山ありますので海産物に頼っていたよう錯覚を起こしますが、海産物は副食といいますか海産物だけではカロリーが足りません。 骨や貝殻は残りますが、木の実草の実はすぐ腐り痕跡が残り難いのであまり話題にならないでけです。 貝塚の近くには必ず山がありますので注意して下さい。 マンモスだけを追いかけまわしていた訳ではありません。 >その時期(何年前)なども教えてくださると助かります。 遺跡によって千差万別です。 竪穴式住居と言われますように平坦地に自力で住居を作って暮らして居た人と共存していた時代が長くありますので、いつまでと線引きはできません。 およそ6000年位前までは使われていたであろうと考えられています。 エジプトなど古代文明が早くから発達したところと南米大陸にように遅くまで使われていたところとでは相当に違います。
その他の回答 (1)
- trytobe
- ベストアンサー率36% (3457/9591)
壁画がある世界遺産とかは、狩猟で食料を調達していた人間が、寝る間に背後から襲われることがないよう、前だけを攻撃すれば撃退できる寝床を「住居」とできる洞窟が雨避けにも温度変化や風避けにも便利だった、 というだけです。 2万年前、というくらいの桁での時代の暮らしで、そこから家族単位ではなく集落単位で身を守るとか食料を育成する「農業」を見出すなどして、やっと平地で城壁(土壁と濠レベル)をつくっての城郭都市が機能するようになったのが紀元前6千年とかいうレベルでしょうか。