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クレタ人のパラドックスと言語
「すべてのクレタ人は嘘つきだ」とクレタ人のエピメニデスが云った、と云うのは古くからパラドックスになると云われてきましたが、余程特殊な状態(クレタ人はエピメニデスだけであって、しかも、上の一言だけしか云わなかった)を除いてはパラドックスになりません。 これが間違ったのは「すべてのクレタ人は嘘つきだ」が嘘であるとは、「すべてのクレタ人は嘘つきでない」からだとする、否定を作る日本語の構造に依拠するものかと思っておりましたが、クレタ人のパラドックスは日本発ではありません。それで、外国語(例えば英語)ではどのように述べられ、どの様にパラドックスになると思われ来たのか知りたく思います。 序でに、英語のwill,shallは(shallは最近使われないそうですが、will,shallは私共の習った英語では最も重要な問題でありましたが、一人称の時には....二人称のときには...と教えられかたでしたが、これは結果さえあえばいいと云う安易な教え方)本当は宗教に関係したものとおもいますが、ドイツ語ではwerden,sollenがありますが、フランス等ではどうなっていますか?御教えください。
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- trytobe
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