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クレタ人のパラドックスと言語
「すべてのクレタ人は嘘つきだ」とクレタ人のエピメニデスが云った、と云うのは古くからパラドックスになると云われてきましたが、余程特殊な状態(クレタ人はエピメニデスだけであって、しかも、上の一言だけしか云わなかった)を除いてはパラドックスになりません。 これが間違ったのは「すべてのクレタ人は嘘つきだ」が嘘であるとは、「すべてのクレタ人は嘘つきでない」からだとする、否定を作る日本語の構造に依拠するものかと思っておりましたが、クレタ人のパラドックスは日本発ではありません。それで、外国語(例えば英語)ではどのように述べられ、どの様にパラドックスになると思われ来たのか知りたく思います。 序でに、英語のwill,shallは(shallは最近使われないそうですが、will,shallは私共の習った英語では最も重要な問題でありましたが、一人称の時には....二人称のときには...と教えられかたでしたが、これは結果さえあえばいいと云う安易な教え方)本当は宗教に関係したものとおもいますが、ドイツ語ではwerden,sollenがありますが、フランス等ではどうなっていますか?御教えください。
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- trytobe
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ご指摘のとおり、そもそも「パラドックス」の本来の定義に当てはまらない論理的問題であるとともに、 「嘘つきのパラドックス」(liar paradox)とは異なる、「自己言及」(self-reference、自己引用)によって生じるものである、というところは、日本語以外でも認識を一にするものです。 エピメニデスのパラドックス - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%83%87%E3%82%B9%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9 Epimenides paradox - Wikipedia, the free encyclopedia https://en.wikipedia.org/wiki/Epimenides_paradox 自己言及 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E8%A8%80%E5%8F%8A Autoréférence — Wikipédia https://fr.wikipedia.org/wiki/Autor%C3%A9f%C3%A9rence クレタ人のパラドックスはパラドックスではない http://wwwmain.h.kobe-u.ac.jp/~inaba/others/cureta.html