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モンゴル軍の言葉の壁

モンゴル軍は落とした敵の地の人間を兵に加えて用いていたと聞きました。 しかし、いきなり言葉の異なる国の軍隊に入れられても言葉なんてそんなにすぐに分かるものではないので、モンゴル軍はこの言葉の問題をどのように解決していたのでしょう?

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  • eroero4649
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回答No.2

太平洋戦争で敗北した日本は、軍を解体させられました。日本本土には、アメリカ軍が駐留しました。しかし朝鮮戦争が始まるとアメリカ軍だけで日本本土を守るのは無理があるので、日本人を兵として採用して国防の一端を担わせました。それが警察予備隊、現在の自衛隊です。 ご存じのとおり、自衛隊は兵士から司令官までが日本人で、まあ一応は独立軍としてアメリカ軍と対等っていう名目にはなってますけど、アメリカ軍の出先機関として外国で任務を負えるようにするするとかどうとか今国会でやってますし、一応は日本の船を守るためという名目ではるばるソマリアまで行ったり、全然関係ないはずのイスラエルのゴラン高原なんかにも行ってるわけです。 それと同じでございまして、現地人による部隊を作るわけです。隊長クラスも現地人です。んで、司令官は占領軍であるモンゴル軍の司令官が命令を下すんですね。現地人でモンゴル軍の言葉が分かる者が現地軍の隊長に任命されたり、通訳がつけられたのではないかなと思います。 まあだいたい占領された地域の兵隊の仕事はシンプルで、「最前線で戦わされる」です。これはもう古今東西どこでもそうです。後ろに置いておくとどさくさ紛れに逃げることがあるので、逃げられないように一番前に置くのです。 例えば、ローマを目指したハンニバルのカルタゴ軍には、ガリア(今のフランス)人なども反ローマ軍勢として多く混じっていました。しかし彼らは寄せ集めの連中だから、精兵のローマ軍には敵うはずがありません。 だから、有名なカンナエの戦いでは、そんなガリア人などの寄せ集めの部隊を正面に置いて、その両脇と背後をカルタゴ軍の兵士で固めて、まあなんというか簡単には逃げられないようにしていたのです。

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noname#224207
noname#224207
回答No.3

モンゴル軍の構成にヒントがあります。 支配地の民族軍を率いる総司令官がフビライの一族の子弟でした。 蒙古人はこの子弟の補佐官だけでした。 補佐官連中の中に必ず現地語を理解できる人間がいました。 徐々に勢力を拡大していきましたから順次このような人間が現れます。 これを通訳としたり現地人部隊の司令官としたりしていました。 この司令官の中に蒙古人の娘と結婚する人間もいました。 現在も東欧諸国にハンという名の付く一族がいますが、これは成吉思汗などの汗の名残りです。 攻略の度に前線司令部で大枠の作戦を指示して後は味方部族の司令官に一任していました。 当時は白兵戦ですから見分けがつくように蒙古軍特有の服装をさせていました。 つまり、一兵卒までも蒙古人が把握していた訳ではありませんので言葉をいちいち勉強する必要はありませんでした。 使う言語も、いずれも陸続きですから、日本人がいきなり英語を勉強するのとは本質的に違います。 現在でもロシア語をマスターすれば旧ソ連圏であった東欧や中央アジアの言葉の概略は分かります 現在のヨーロッパの言語もラテン語(古代ローマ語)が基本となっています。 後の元が帝国を維持できたのは、無理やり蒙古の文化を強要せずに、現地の文化をそのまま容認していたことが大きな原因です。 ローマをはじめとして長く帝国を維持できた国家は常にこのように異文化に寛容でした。 占領地に自国文化を強要する偏狭な国家は長持ちしません。

  • SPS700
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回答No.1

いきなり言葉の異なる国の軍隊に入れられても言葉なんてそんなにすぐに分かるものではないので、モンゴル軍はこの言葉の問題をどのように解決していたのでしょう?  簡単です。「射ろ」、「進め」、「殺せ」ぐらいの三語、が分かれば、後は自衛本能、食欲、睡魔などが片付けてくれます。試験に落ちたら殺すと言えば三語ぐらい覚えます。