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平和

平和とは? 「平和」、こそが、「人権」にとっても、不可欠な要件、、、 ・・・「(現に)人権を侵害している勢力」が、「平和」を騙っても、ですが。

質問者が選んだベストアンサー

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  • yuniko99
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回答No.11

私は「平和とは人権が守られていること」と定義しています。 人権が守られてない平和はありません。 日本でも人権が侵害されているなら平和とは呼べないと思います。 政治家は平和だと言いたいでしょうけど 今の日本の現状が平和と呼べるか? 甚だ疑わしいところです。 逆に人権が守られているのに平和じゃない、という事があるでしょうか?? 戦争をしてれば まず人権は侵害されてるでしょうけどねえ

kurinal
質問者

お礼

yuniko99様、ご回答ありがとうございます。 達見ですね。私など、まだまだ甘ちゃんです。 (人権を侵害しないように、不断の努力を要する)

その他の回答 (11)

  • ks5518
  • ベストアンサー率27% (469/1678)
回答No.12

「平和」⇒『平和でない』 平和を裏返せば、平和ではないと言うことになるが、平和ではないのであれば何らかの脅威が存在している状態なのでしょう。これには、様々な状態があるとは思いますが。 要するに、『平和でない』のであれば、人間の持つ『宗教、思想』が間違っているということになる。 もともと、仏教は仏が人間の救済を目的に説いた教えであって、人間がそこに立ち返れば平和になることを説いている。 だから『平和』を実現したければ、間違った宗教や思想を改めるしかないのです。 戦争や飢餓や悪天候や疫病などは、人々の思想の乱れより起こるとは、経典に書いてあるところです。何千年も前に。 『人権、人権』騒ぐ前に、自らの思想信条を見直すことが先決です。 ※しかし、何百年同じことを言えば、人間は気が付くのだろうか!? 勉強ができるから利口だ馬鹿だということではないのだよ。 こんな表面的な問いかけをしていないで、もっと根本的な議論をするのが『哲学』のカテゴリーではないのだろうか。

kurinal
質問者

お礼

ks5518様、ご回答ありがとうございます。 >「要するに、『平和でない』のであれば、人間の持つ『宗教、思想』が間違っているということになる。」 「人間の持つ『宗教、思想』」とは??? >「もともと、仏教は仏が人間の救済を目的に説いた教えであって、人間がそこに立ち返れば平和になることを説いている。」 ほほう。仏教なんですか。 >「だから『平和』を実現したければ、間違った宗教や思想を改めるしかないのです。」 ・・・イスラム国ですか?。 >「戦争や飢餓や悪天候や疫病などは、人々の思想の乱れより起こるとは、経典に書いてあるところです。何千年も前に。」 何千年も前、では、イスラムやキリストより前、ですね。 >「『人権、人権』騒ぐ前に、自らの思想信条を見直すことが先決です。」 「人権を侵害しないように、心掛けたいものですね」 >「※しかし、何百年同じことを言えば、人間は気が付くのだろうか!? 勉強ができるから利口だ馬鹿だということではないのだよ。 こんな表面的な問いかけをしていないで、もっと根本的な議論をするのが『哲学』のカテゴリーではないのだろうか。」 ・・・どうぞ。期待しております。

noname#214841
noname#214841
回答No.10

いつもお世話になつてをります。以前から、人権教のkurinalさんのおつしやる「人権」の内容について考へてゐます。このサイトでは、単なる個人的な好き嫌ひを正当化するために「正義」「愛」「平和」などを持ちだすことが多いやうに見受けられます。kurinalさんの場合はそんなことではなささうです。「人権を侵害しないでね」との常套句が冗談なのか、本気なのか、判断しかねます。 私は(このたびの件以外でも類似した問題の多くで)回答番号2のhekiyuさんの見解に賛同する者です。といつても、あれほど明確に断言する自信はありませんので、方向性が同じといつたところでせうか。

kurinal
質問者

お礼

plapota様、ありがとうございます。 >「このサイトでは、単なる個人的な好き嫌ひを正当化するために「正義」「愛」「平和」などを持ちだすことが多いやうに見受けられます。kurinalさんの場合はそんなことではなささうです。」 この一文を頂けて、光栄です。 >「私は(このたびの件以外でも類似した問題の多くで)回答番号2のhekiyuさんの見解に賛同する者です。といつても、あれほど明確に断言する自信はありませんので、方向性が同じといつたところでせうか。」 ・・・私も、常々、hekiyuさんに賛同することが少なくなかったのですが、今回は、違和感を覚えております。

回答No.9

kurinalさん こんばんは。 私なりに「平和」と「人権」を考察してみようと思います。 キリスト教の「平和の」定義は、 単に争いや戦いのない状態を指すのではなく「欠けたもののない状態」を表し、不正な力によって平穏が保たれているような状態は「平和」とは呼べない。 とのこと。 では、ここの「欠けたもののない状態とは?」と言うことの私自身の認識ですが、ローマ時代の政治家で文筆家で哲学者であったキケロの書物にオラータという、あらゆる人間的享楽を得た人物をしばしば登場するそうです。 オラータは金持ちで、極めて魅力的で、優雅な男で、人当たりの良さ、良好で十分な健康を持った人間的には、何一つ欠けたものはない人物でした。 しかし、神学者アウグスティヌスは「至福の生」の中で、そんなオラータに欠けたところを見抜き、悲惨と窮乏と言ってます。 オラータの何が欠けているのか?それは不運に見舞われ、自分の持っているものを失う「恐怖」です。 アウグスティヌスは悲惨と窮乏の逆は充実として、充実は知恵であり、神学者ですから神の知恵でなければならないと「至福の生」の中で述べてます。 mokuzou 100nennさんが「幸福」について考察されてますが、私は上述のアウグスティヌスの見解に不完全な人間の欠けたものを埋めるものとして、神様、仏様のような超越的存在というのが、やはり必要なのではと考えてます。 私なりに平和を考察するにあたり、この漢字を分解して考えます。この「平(フラット)」ですが、kurinalさんも、もうお分かりになるお年と思いますが、私も、人生、山あり谷ありで、決して一生「平」の人生を歩める人はいないと思います。 生物学的には人間は遺伝よりも環境要因による人格等の形成は強いと言われてます。ここで、「人権」と絡めますが、現在の日本において格差社会が広がっています。それでも世界に目を向ければ、まだましかもしれません。しかし、格差が広がったら、人により親の養育費が足りず、十分な教育すら受けられない人も出てくるかもしれません。 人間は不条理な生き物で、富んだ家庭に生まれる人もいれば、貧しい家庭に生まれる人もいます。しかし、貧しいがために人生の山を登る力がなかったり、谷へ転げ落ちたら這い上がる力がない子供はどうするのでしょう。 現実に育児放棄(ネグレクト)する親も出てきている社会です。しかし明治や大正の社会では、貧しい家庭は育児放棄など当たり前だったかもしれません。そして、貧しい家庭の子供の就職先は兵隊であり、戦争で203高地に突撃するしかありませんでした。 「平和」という言葉の一面を考えさせられます。基本的人権は守らねばならないというのが、私の立場です。 次に「和」という言葉ですが、私は、これは日本人が得意とする、助け合いの共同体と思います。 自然が豊かな日本ですが、自然は時に、台風、地震、火山の噴火、などの人に恐怖を感じさせる側面も持ちます。しかし、そのような日本だからこそ、昔から、お互い助け合うという精神が日本で生まれてたものと思われます。 上述で、キリスト教の知見の文章を書きましたが、西洋においてキリスト教社会が築かれ、宗教的に奉仕し助け合うなどということは、日本人は西洋より昔に当たり前のこととしてやってきたのかもしれません。この「和」の精神は世界に誇るべき日本の力と思います。「和」の助け合いの精神の中では、「人権」などというのは、もはやあってないようなものと思われます。 ですからこのサイトでよく議論されますが、亜熱帯地域の日本は、やはり、同じ地域のインドを由来とする仏教のほうが受け入れやすいかもしれません。 しかし、明治時代の仏教哲学者の田辺元や西田幾多郎も、聖書は読んでいます。そして、そのような過去の良識ある偉大な有識者、また、偉大でもなくても祖国日本を思う亡くなった小さき大勢の方々が、現在の日本をt創りあげたものと思っております。 現在の日本において、いかにこのすばらしき日本という国を創りあげ、未来の子孫にバトンを渡すのか。「平和」「人権」だけでなくキーワードは沢山あり、問題は山積みと思われます。 長文になり申し訳ありません。なんか、レポートを書いている気分になってきました。 疲れて、kurinalさんとは世代は違うかもしれませんが、Mr.children の tomorrow never knowsをyou tube で聴きたい気分。 最後に聖書の聖句をひとつ。 「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる」コリント人への第1の手紙8章1節。

kurinal
質問者

お礼

amenhotep2000様、ご回答ありがとうございます。 >「キリスト教の「平和の」定義は、 単に争いや戦いのない状態を指すのではなく「欠けたもののない状態」を表し、不正な力によって平穏が保たれているような状態は「平和」とは呼べない。 とのこと。 では、ここの「欠けたもののない状態とは?」と言うことの私自身の認識ですが、ローマ時代の政治家で文筆家で哲学者であったキケロの書物にオラータという、あらゆる人間的享楽を得た人物をしばしば登場するそうです。 オラータは金持ちで、極めて魅力的で、優雅な男で、人当たりの良さ、良好で十分な健康を持った人間的には、何一つ欠けたものはない人物でした。 しかし、神学者アウグスティヌスは「至福の生」の中で、そんなオラータに欠けたところを見抜き、悲惨と窮乏と言ってます。 オラータの何が欠けているのか?それは不運に見舞われ、自分の持っているものを失う「恐怖」です。 アウグスティヌスは悲惨と窮乏の逆は充実として、充実は知恵であり、神学者ですから神の知恵でなければならないと「至福の生」の中で述べてます。」 いや、なるほど。そりゃ、キリストにとっては、さ。 「欠けたもののない状態」=オールマイティ、ですか? >「私は上述のアウグスティヌスの見解に不完全な人間の欠けたものを埋めるものとして、神様、仏様のような超越的存在というのが、やはり必要なのではと考えてます。」 「欠けたもののない状態」のために? >「私なりに平和を考察するにあたり、この漢字を分解して考えます。この「平(フラット)」ですが、kurinalさんも、もうお分かりになるお年と思いますが、私も、人生、山あり谷ありで、決して一生「平」の人生を歩める人はいないと思います。 生物学的には人間は遺伝よりも環境要因による人格等の形成は強いと言われてます。ここで、「人権」と絡めますが、現在の日本において格差社会が広がっています。それでも世界に目を向ければ、まだましかもしれません。しかし、格差が広がったら、人により親の養育費が足りず、十分な教育すら受けられない人も出てくるかもしれません。 人間は不条理な生き物で、富んだ家庭に生まれる人もいれば、貧しい家庭に生まれる人もいます。しかし、貧しいがために人生の山を登る力がなかったり、谷へ転げ落ちたら這い上がる力がない子供はどうするのでしょう。 現実に育児放棄(ネグレクト)する親も出てきている社会です。しかし明治や大正の社会では、貧しい家庭は育児放棄など当たり前だったかもしれません。そして、貧しい家庭の子供の就職先は兵隊であり、戦争で203高地に突撃するしかありませんでした。」 そうなのかなあ。。。その何年後に、「赤紙」なるものが、跋扈するようになるのでしょう。 >「次に「和」という言葉ですが、私は、これは日本人が得意とする、助け合いの共同体と思います。 自然が豊かな日本ですが、自然は時に、台風、地震、火山の噴火、などの人に恐怖を感じさせる側面も持ちます。しかし、そのような日本だからこそ、昔から、お互い助け合うという精神が日本で生まれてたものと思われます。 上述で、キリスト教の知見の文章を書きましたが、西洋においてキリスト教社会が築かれ、宗教的に奉仕し助け合うなどということは、日本人は西洋より昔に当たり前のこととしてやってきたのかもしれません。この「和」の精神は世界に誇るべき日本の力と思います。「和」の助け合いの精神の中では、「人権」などというのは、もはやあってないようなものと思われます。 ですからこのサイトでよく議論されますが、亜熱帯地域の日本は、やはり、同じ地域のインドを由来とする仏教のほうが受け入れやすいかもしれません。 しかし、明治時代の仏教哲学者の田辺元や西田幾多郎も、聖書は読んでいます。そして、そのような過去の良識ある偉大な有識者、また、偉大でもなくても祖国日本を思う亡くなった小さき大勢の方々が、現在の日本をt創りあげたものと思っております。」 「聖書を読む」なら、私風情でも、してますよ。 >「現在の日本において、いかにこのすばらしき日本という国を創りあげ、未来の子孫にバトンを渡すのか。「平和」「人権」だけでなくキーワードは沢山あり、問題は山積みと思われます。」 「 「平和」「人権」だけでなく」・・・ >「最後に聖書の聖句をひとつ。 「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる」コリント人への第1の手紙8章1節。」

回答No.8

平和は幸福の重要な構成要素であります。 しかし、平和であれば幸福であるという「十分条件」ではありません。 したがって、幸福を追求し、実現するために一時的に「平和を捨てる」という選択肢もあることを良くご理解ください。 「平和だったら、自由が無くても良いだろう」などと考えるトンデモない人がいますが、そのような人は終身刑で刑務所暮らしをすれば「平和な一生」を送れることになります。

kurinal
質問者

お礼

Mokuzo100nenn様、ありがとうございます。 >「平和は幸福の重要な構成要素であります。 しかし、平和であれば幸福であるという「十分条件」ではありません。 したがって、幸福を追求し、実現するために一時的に「平和を捨てる」という選択肢もあることを良くご理解ください。」 んー、質問は、平和を人権的に、捉えようとするものでした。 (勿論、「幸福追求権」というのもあるが、「他者の人権を侵害してまで可能、というものではありえない」) >「「平和だったら、自由が無くても良いだろう」などと考えるトンデモない人がいますが、そのような人は終身刑で刑務所暮らしをすれば「平和な一生」を送れることになります。」 いやいやいや、「刑務所暮らし」が「平和な一生」とは、まさに「自由が無くても良いだろう」ですか? (そもそも「刑務所暮らし」を不要とするような、「罪の無い社会」が?望ましい??)

回答No.7

いつまでも私への揶揄ばかり。 本当に忌々しい。

kurinal
質問者

お礼

・・・「ネット上の無責任な言論」なんて。

回答No.6

あととにかく不思議なのが 私と韓国を結び付けようとしているやつがいるのが 本当にわけがわからない。 そいつらの脳内で韓国人ということになっているのだろうか。 だとしたら病院へいって脳の検査でもしてください。

kurinal
質問者

お礼

韓国における仏教、ですか。

回答No.5

私を攻撃してきた屑ばかりなのに。

kurinal
質問者

お礼

少なくとも、小生は、そういうつもりでは、ありませんでしたが。。。

回答No.4

一応、日本仏教を肯定しておこう、と思って 日本の話をすれば、旧日本軍の蛮行とか無能さとかをいってくるやつがいて、 かといって日本に批判的な言動をすると今度は、韓国だとか中国だとかアメリカが核兵器を使ったとかあてつけにいってきて、とにかく私を揶揄できればなんでもいい屑しかいないのだなと思う。 ナショナリズムはよくわからない。よくみんなナショナリズムで盛り上がれると思う。 私はアイデンティティで悩む傾向があるけれど、ナショナリズムがなかなかアイデンティティにならない。 なぜそんなに国家とか民族に夢中になれるのだろう。 どこかの県の選挙で、勝ったとき、アイデンティティーの勝利とかいったみたいで、 うらやましいようなうらやましくないような。 あと、仏教といえばそういえば 某初期仏教の関係者まで私に粘着しているようです。 本当にゴータマ・ブッダ直伝の初期仏教なら私なんか相手にしなくてもいいはずなのに。 自分で考えればいいのに。 このあたり思想が自力といえば自力なのだが、私は曹洞宗からも攻撃されている。 外道でいいけれどあえて仏教の文脈でいえば基本的に独覚なんだと思う。 縁覚でもいいけど、別に十二支縁起というわけでもないからね。 どうして私に憎悪されたり恨まれたりしてまで、私に関わろうとするのかわからない。

kurinal
質問者

お礼

kazamidori365様、ご回答ありがとうございます。 >「一応、日本仏教を肯定しておこう、と思って 日本の話をすれば、旧日本軍の蛮行とか無能さとかをいってくるやつがいて、 かといって日本に批判的な言動をすると今度は、韓国だとか中国だとかアメリカが核兵器を使ったとかあてつけにいってきて、とにかく私を揶揄できればなんでもいい屑しかいないのだなと思う。」 なるほど。 >「ナショナリズムはよくわからない。よくみんなナショナリズムで盛り上がれると思う。 私はアイデンティティで悩む傾向があるけれど、ナショナリズムがなかなかアイデンティティにならない。 なぜそんなに国家とか民族に夢中になれるのだろう。 どこかの県の選挙で、勝ったとき、アイデンティティーの勝利とかいったみたいで、 うらやましいようなうらやましくないような。」 ほほう。「現在のドイツに不満があるわけではないが、何か肝心なモノが足りないような気がする」とか? >「あと、仏教といえばそういえば 某初期仏教の関係者まで私に粘着しているようです。 本当にゴータマ・ブッダ直伝の初期仏教なら私なんか相手にしなくてもいいはずなのに。」 いえいえ、先生 >「外道でいいけれどあえて仏教の文脈でいえば基本的に独覚なんだと思う。 縁覚でもいいけど、別に十二支縁起というわけでもないからね。」 正しく理解出来るか、自信がありません。 >「どうして私に憎悪されたり恨まれたりしてまで、私に関わろうとするのかわからない。」 ・・・だから、「アナタ方には、「信教の自由(限界アリ)」があります」と言って、かわしましょうよ。

回答No.3

生きる上で、物質循環による新陳代謝&増殖が必須である。 その循環の範囲では、通常の淘汰(エントロピー増大)で はなく協調&互助が働き、平和や保障が可能になる。

kurinal
質問者

お礼

psytex様、ご回答ありがとうございます。 >「生きる上で、物質循環による新陳代謝&増殖が必須である。」 なるほど。 >「その循環の範囲では、通常の淘汰(エントロピー増大)で はなく協調&互助が働き、平和や保障が可能になる。」 いやいや、それは、どうでしょう。 「家族」単位で見れば、そうでしょうか?

  • hekiyu
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回答No.2

人権などという概念が、日本人を生きにくくして いるのです。 例えば生活保護です。 これは人権だ、権利だ。だから、俺には請求する権利がある。 請求する権利があるのに、この額は何だ? 少ないじゃないか。 バカにしているのか。 俺は、権利を持っているんだぞ。 そこには謙虚さはありません。 過労死するほど働いて、税金を納めている人々に 対する感謝の気持ちもありません。 権利なのだから、感謝などあるはずがありません。 かくて、社会は荒廃していきます。 これがキリスト教文化圏ならよいのです。 神に対する感謝もあり、謙虚さも残されます。 しかし、そんな神のいない日本では、人間関係が ギスギスし、争いが増えるだけです。 権利なんだから、提訴出来るし、声高な抗議活動も 当たり前になります。 このようにして、平和が崩れていくのです。

kurinal
質問者

お礼

hekiyu様、ご回答ありがとうございます。 >「人権などという概念が、日本人を生きにくくして いるのです。」 「グローバル・スタンダード」ですか。 >「例えば生活保護です。 これは人権だ、権利だ。だから、俺には請求する権利がある。 請求する権利があるのに、この額は何だ? 少ないじゃないか。 バカにしているのか。 俺は、権利を持っているんだぞ。 そこには謙虚さはありません。 過労死するほど働いて、税金を納めている人々に 対する感謝の気持ちもありません。 権利なのだから、感謝などあるはずがありません。 かくて、社会は荒廃していきます。」 ・・生活保護の受給者が、その「最低限」を争ったことは、あるとしても、 単純に「もっと寄越せ」ということでは、ないと思いますし、 仮にそうなら、裁判になっても詮無いことでしょう。 >「 これがキリスト教文化圏ならよいのです。 神に対する感謝もあり、謙虚さも残されます。 しかし、そんな神のいない日本では、人間関係が ギスギスし、争いが増えるだけです。 権利なんだから、提訴出来るし、声高な抗議活動も 当たり前になります。 このようにして、平和が崩れていくのです。」 それでは、、、 前提として、「国民一人当たり、年300万円が無条件に支給される」 とすれば、どうですか? 提訴なんて要りません。声高な抗議活動も不要です。 「生活保護」?って、なんですか?

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