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アホvs哲学者
- 愚か者にとっては屁でもないのですが、哲学者たちは異を唱えています。
- 痴愚に囚われ、過ちを犯し、幻想を抱き、無知の闇に沈んでいることこそが、悲惨そのものであると主張しています。
- アホと哲学者、どちらが幸福なのかについての論争が繰り広げられています。
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何も考えないアホは幸せですね。
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- Nakay702
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またまた楽しい「お礼コメント」をありがとうございました。 >オペラなどもギリシャ古典劇からつくられたものですが、モーツァルト『フィガロ』『魔笛』などはおもしろいのですけれど、ギリシャ悲劇そのものを題材にしたものには、なじめません。 ⇒確かに『フィガロ』『魔笛』や『理髪師』は面白いですね。ただ、本場のヨーロッパで見るとしんどいことがあって、それは終ってからの拍手の長さです! アリアのアンコールあり、カーテンコールあり、スタンドオーべーションあり…で、(評価しないわけではありませんが)いいかげん疲れます。 ギリシャものでは、悲劇でなく喜劇はいかがでしょうか。例えば、アリストパネスの『女の平和』などは、相変わらず戦争の多い現代でも十分通用する時事的な側面も具えているし、ちょっとみだらで楽しいオペラに仕立てられるのではないでしょうか。スペインにはオペレッタに似た歌劇「サルスエラ」がありますが、少なくともこれにはぴったりの題材になると思っています。 >笑はない者がアホだ、といふのは徳島県人みたいです。 ⇒「」阿波踊りでしたか。「同じアホなら笑わにゃそんそん」ですね。あれは素晴らしい民謡ですね! >「プラトンに登場するアルキビアデスが引いている諺では、真実が語られるのは酒と子供の口によってである、とされております。」(第36章92ページ) ⇒アルキビアデスというと、あの寝返りが得意な政治家ですね。哲人の教えを受けたにしては、すごい変わり身(松下村塾の門を叩いた面々などとはえらい違い)ですね。ただ、当時は、いわばそれが必要悪で、俊敏に立ち回らなければ生きていけなかった、ということかも知れませんね。「支配者が正義の何たるかを決める」(トラシュマコス)時代だったわけですからね。 「補足コメント」もありがとうございました。 >エラスムスの引用したアルキビアデスの話がすぐには探せなかつたのですが、やつと見つかりました。 >「酒が(これに子供がつかなくてもよしついてもよし)正直なもの」 >(プラトン『饗宴』217 久保勉訳 岩波文庫 140ページ) ⇒酒は、催眠術と同じで、前頭葉(大脳の新しい皮質部分)の働きを抑えて、余計な画策をしなくさせるそうですからね。古今東西の文学作品で、登場人物が「偽らざる心情」を吐露する場面ではよく酒が関わりますね。 驚いたことに、「シンポジウム」と言えば極めて真剣な場面を思い浮かべますが、語源のギリシャ語symposionは「一緒に酒(ぶどう酒)を飲むこと」だそうで。これも、「本音で話し合える」ということなんでしょうか…!? どうも、お邪魔しました。
お礼
いつも広範な視野にもとづいた内容をありがたうございます。哲学は、そして人生はかうあるべきだと思ひます。 >本場のヨーロッパで見るとしんどいことがあって、それは終ってからの拍手の長さです! 私は日本から出たことがありません。一度本場のオペラを見たいとは思つてゐます。もちろん『フィガロ』です。扉を開いたやうな序曲、幕開けの愉快な二重唱、初めから引き込まれてしまひます。 >アリストパネスの『女の平和』などは、相変わらず戦争の多い現代でも十分通用する時事的な側面も具えているし、ちょっとみだらで楽しいオペラに仕立てられるのではないでしょうか。 アリストパネスでは『蛙』『蜂』が好きです。『女の平和』などのペロポンネソス戦争を題材にした喜劇も、御指摘のとほり臨場感があります。私の場合は知識不足で、笑ふまでに手間がかかります。パロディのネタ元がわからず、註を参照しなければなりませんが、註にも記載されてゐないものは、自分で探さなければなりません。エラスムスのアルキビアデスの引用と同じです。 >酒は、催眠術と同じで、前頭葉(大脳の新しい皮質部分)の働きを抑えて、余計な画策をしなくさせる 酒の中には真実がある、といふのが、ギリシャローマでは諺になつてゐたやうです。今もワインを飲みながら書いてゐます。シンポジウムは「共に飲む」ですから、訳せば「飲み会」でせうか。「飲む」といへば「酒」なのは、東西共通のやうです。 >歌劇「サルスエラ」 サルスエラといふのは初見です。これから調べてみます。
粘着してくるやつはいまだにいます。 ある程度、傾向があるようです。 たぶんその教えてgooの人物は私がよく言及する人物とは別だと思います。 すると、 曹洞宗の学者、曹洞宗の禅僧、そしてその教えてgooで質問した人物 これで少なくても私は曹洞宗の関係者三人から揶揄されていることになります。 べつにもともと曹洞宗については反発もなにもないのですが 曹洞宗の学者が粘着質で、何を書いても、書かなくても嫌みを書いてくるので異常なんですよ。 どこで揶揄されているかというと曹洞宗の学者とか禅僧のブログです。 記事を更新するたびに私への嫌みになっているのです。 okwaveを見て、なぜか私の書き込みを材料に批判の記事を書くのが日課になってしまっているのでしょう。 それはどう考えても異常だと思うのですが。
お礼
>私がよく言及する人物とは別だと思います。 それなら、よろしいのですけれど。 >どこで揶揄されているかというと曹洞宗の学者とか禅僧のブログです。 どのブログなのですか。 我が家は、浄土真宗なのですが、それさへも詳しくありません。ましてや曹洞宗のことなど意味不明です。道元『正法眼蔵』を部分的に読んだ程度です。 >それはどう考えても異常だと思うのですが。 私とアホ仲間になれるかもしれません。 御回答ありがたうございました。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10007/12518)
「お礼コメント」をありがとうございました。 いつも、楽しくてしかもためになるご質問やコメントをしてくださり、心の癒しをいただいてます。 >御指摘のとほり、エラスムスの著作はよく売れて、人気者だつたやうです。一般には人文主義者とかいはれてゐるやうです。 ⇒ルネサンス人、特に初期のルネサンス人は、古代ギリシャに思いを馳せて、「過ぎし日々はなべてよかりき」が合言葉だったとか。神に生かされるのでなく、自分で生きることを模索したんでしょうね。それも「よき生」を生きることを:「一瞬が永遠なのである」(ピコ・デラ・ミランドール)。 >今日のアホの方が、ちょっとだけアホでなくなったんだよね 私の場合は、常にアホです。 ⇒もしかしたら、それこそが「常に哲学している」証拠かも知れませんね。 白居易「対酒」は詠って、謡って、謳ってます。 蝸牛角上争何事 石火光中寄此身 隋富隋貧且歓楽 不開口笑是痴人 >>司教をやんわり批判しているようなくだり >回答番号4のコメントにも書いたのですが、Nakay702さんの読み方が正しいと思ひます。周囲が大げさに取り上げすぎです。笑つてすませるやうな文章にほかなりません。 ⇒そうかも知れませんね。あるいは、「ほとんど一体のことを対比し過ぎている」かも知れませんね。いや、しゃしゃり出てしまいました。すみません。 遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそ動(ゆる)がるれ (『和漢朗詠集』、今様の部) 以上、気まぐれお遊びの第三弾をお送りいたします。
お礼
アホ質問への重ねての御回答、ありがたうございます。 >自分で生きることを模索したんでしょうね。 さうあるべき、と存じます。オペラなどもギリシャ古典劇からつくられたものですが、モーツァルト『フィガロ』『魔笛』などはおもしろいのですけれど、ギリシャ悲劇そのものを題材にしたものには、なじめません。以前、リヒャルト・シュトラウス『エレクトラ』がわからない、とクラシック音楽専門家のTさんに言ふと、あの音楽は難解なので、plapotaには向かない、とおつしやつてゐました。納得しました。かはりに『ばらの騎士』をすすめられ、楽しく聴きました。 >白居易「対酒」 人それぞれ自分なりに、といふところに共感を覚えます。笑はない者がアホだ、といふのは徳島県人みたいです。酒と漢詩のとりあはせといへば、ねこさんの李白ですが、最近投稿をやめてしまひました。寂しく感じてゐます。 「プラトンに登場するアルキビアデスが引いている諺では、真実が語られるのは酒と子供の口によってである、とされております。」 (第36章92ページ) >気まぐれお遊びの第三弾をお送りいたします。 Nakay702さんらしい御回答に感謝してをります。
補足
エラスムスの引用したアルキビアデスの話がすぐには探せなかつたのですが、やつと見つかりました。 「酒が(これに子供がつかなくてもよしついてもよし)正直なもの」 (プラトン『饗宴』217 久保勉訳 岩波文庫 140ページ)
- ways
- ベストアンサー率31% (79/253)
アホにはアホの幸せがあり、哲学者には哲学者の幸せがあります。哲学者のそれは、あらゆる人が理解できる幸せで、アホのそれは、アホにしか分からない価値観ですが、でもアホも満たされることがあるんです。決して、共感しあえない、共有できない幸せの価値観です。哲学者はどちらかというと、建設的なことを好み、アホは幸せ壊しをします。創造と破壊なので、お互いに「あいつは間違っている」と言い合うことになります。会えば、考えの違いで、いつも喧嘩になります。それで、アホは哲学者に合わせてやり返す機会をうかがったりします。幸せ壊し屋さんは、嘘をつくし、物も盗みます。
お礼
waysさんから回答をいただくのは、美術カテゴリでの質問以来でせうか。 >アホにはアホの幸せがあり、哲学者には哲学者の幸せがあります。 御指摘のとほりと存じます。人それぞれです。 >哲学者のそれは、あらゆる人が理解できる幸せで、アホのそれは、アホにしか分からない価値観です このあたりの御意見がわかりかねるのですが、わたしの場合は哲学者の主張のほうが理解が困難です。以前も、ジョン・スチュアート・ミル『功利主義論』に登場する「満足した豚」と「不満足なソクラテス」の対比について、私としては、どう見ても「満足した豚」が素敵です。ミルの頭はをかしいのではないかと感じます。 >アホは幸せ壊しをします。 はい、自己チューなので、他人はどうでもよいことです。 >幸せ壊し屋さんは、嘘をつくし、物も盗みます。 はい、言ひたい放題で、パクリ専門です。 今後とも、御指導よろしくお願ひいたします。
私に粘着してくるやつがいるので、気持ち悪いとか言っても、 平気で付きまとってくる人の精神構造がどうなっているのだろうと思っていたのですが アホだということでしょうか。
お礼
粘着者がまだゐるのですか。以前、曹洞宗関連の人について記載なさつてゐましたが、以下の質問者とは無関係なのですか。「私はだれでせう。」といふ画像が添付されてゐて、ずつと気になつてゐます。 https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8948043.html
補足をいただきましたので。私はどちらかというと、本を読まないほうなんですが、彼はもっと読まなさそうなので、そこが気に入っています。たとえば 「本を読む者は、その本がもつ毒と一緒に読みこんでいる。」というのを思いついたので、ここから話をすすめますが 私が回答しているほとんどの内容は、ゴミと化した古い原稿やネットから拾ってきた物を私の言葉で調理してから回答しています。ようは解毒の法を持っているからゴマカシが利くのですが、彼の場合はより強力な解毒、いや、彼自身の毒を以て、情報の毒を消しているのではないかと考えているところです。頼もしい人だと思いますし、いづれはハイデガーを超えると信じています。また逆に、読書家のなかには、解毒の法を持たずに、あるいは読書を続けることによって、解毒の法を失ってしまう読書家が増えているのかもしれません。むしろそれは国家にとって憂うべき事態です。ここは日本なのですから。 私は読書家ではないので、ハイデガーは晃洋書房の哲学書概説シリーズXI本体1300円というのを1冊読んだだけで回答していますし、ニーチェに至っては角川文庫若き人々への言葉 本体476円というケチな本を1冊読んだだけで回答しています。Plapotaさんのいわれる受け売りというのは、それは私の比ではありませんよ、私は90パーセントよそ様の原稿を使っていますから。だから私はエセ研究家であり、ネット学者なんですよ、おはずかしい話ですよね。それでも退会させられることもなく受け入れてもらえるOKWave は、多様性の中に新しい日本の価値を生み出している、すばらしいサイトであると思います。ところで、土屋賢二さんは面白そうな人ですね、こんど書店へ行くときの楽しみが増えました。
お礼
追加回答ありがたうございます。 >本を読む者は、その本がもつ毒と一緒に読みこんでいる。 名言ですね。 毒があるからこそ、おもしろいのではありませんか。私の場合は、解説書はあまり読みません。ニーチェなら『ツァラトゥストラ』『この人を見よ』は読みますが、解説したものは、ニーチェの思想といふよりも、解説者の見解を読むことになるので、なるべく遠ざけます。 >頼もしい人だと思いますし、いづれはハイデガーを超えると信じています。 私も期待してゐます。garizo-cojpさんにも。 >読書を続けることによって、解毒の法を失ってしまう読書家が増えているのかもしれません。 コントロールされてしまふのでせうか。私はすぐに流されます。 >OKWave は、多様性の中に新しい日本の価値を生み出している、すばらしいサイトであると思います。 回答番号13の方も参加なさつてゐるのですが、社長と話ができるのがおもしろいところです。 http://okwave.jp/oodakedo/1124.html
- a_hona
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楽天家でも歳を取るし、病気にもなる。気難し屋でも天啓に恵まれることがあるかもしれない。 アホでも自分を急かさずにいるならば、その道は平らかだろう。 知恵者でも、その知恵をひけらかすならば、争論は絶えない。 しかし往々にして、本当のアホは自分が賢いと思って、大手を振って大通りを歩くものだし、実に知恵ある人は自分が知らない事を知っていて、その振る舞いは謙虚なものです。 人生の帰結を比べるならば、言うまでもなく。(四角な意見で〆てすみません。アホの名利は明るいこと、賢のそれは静かであること、二つが合体すれば最高だな、などと想像しました。)
お礼
御回答ありがたうございます。a_honaさんの文章は、OKWaveでもgooでも拝見してをります。最近は、ゆにこさんとのやりとりを興味深く感じてゐます。 >二つが合体すれば最高だな 御指摘のとほりと存じます。人間といふのは、多面的で複雑なものだとおもひます。さまざまな状況に対応するためにも、多種多様な要素を身につけることが大切なのでせう。 私の場合は、アホで通すしかありません。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10007/12518)
「お礼コメント」をありがとうございました。 >エラスムスは新約聖書の校訂者として有名で、ひとむかし前のウエストコット・ホート、現代のネストレ・アラントとともに、はづせないテキストですが、『痴愚神礼讃』を読んでからは見方が変りま した。主著は『対話集』らしいのですが、少し読んだだけでやめました。 ⇒当時の大都会(ロンドン、オックスフォード、パリなど)で売られた本の1~2割がエラスムスの著作であったとか。特に、『痴愚神礼讃』は1511年の発刊以来大人気で、25年間で39版も数えたそうですね。 ルネサンス期に新しい神観・人間観・世界観・自然観が出てきましたが、代表的人物をそれぞれに1人ずつあげるとすれば、ルター・エラスムス・デカルト・ガリレイでしょうか。つまり、エラスムスは(ペトラルカらとともに)新しい人間観を提唱した第一人者ですね。この動きが、やがて近現代の啓蒙思想や産業革命へとつながっていくのでしょうね。 >>「シェーッ!」ときたものですから、教室中に大爆笑の渦が起こったのでした。 >この人は大物ですね。「場」を的確にとらへてゐます。アホと哲学との間には境界がありません。 ⇒こういう連中は、人間味があって面白いです。よく共感し合います。以前、一緒に飲みながらこんなことで共感し合いました。「われら、確かにアホだけど、だけど昨日アホだったアホと、今日アホであるアホは違うんだよね。今日のアホの方が、ちょっとだけアホでなくなったんだよね。だよね!…」。 ある時、酔っ払って渋谷駅前のハチ公にからんでました! 「お前、なんでこんなとこに立ってるんだ? 早くオウチへ帰りな。待ってたってもうオヤジさん、帰ってこないんだよ! だから、もう、帰りな。ねっ、帰りな、帰りな…。」 ところでこの男、楽しいホモ・ルーデンス(遊戯人)ですが、それでいて、よきホモ・ソシオロジクス(役割人間)として、応用能力抜群、今は大企業のお偉いさんになってます。 >エラスムスはアホの効能として、こんなことも書いてゐます。 >「公然と王侯方を罵りながらも喜んでお耳を傾けていただき、同じことばを智者たちが口にしたなら死刑になりそうなことでも、阿呆の口を衝いて出ますと、信じがたいほど喜んでいただけるのです。」(第36章93ページ) ⇒なるほど! さすが、新しい人間観、人間学の大家の慧眼ぶり、というとこですね。ご教示ありがとうございました。 だいぶ昔ですが、私も、中央公論の『世界の名著』17(渡辺一夫編)で読んだ記憶がありますが、内容はほとんど忘れました。(57話あたりの、司教をやんわり批判しているようなくだりが、かすかに記憶にある程度です。)
お礼
さきほど帰宅したばかりで、お礼が遅くなりました。追加回答をありがたうございます。 御指摘のとほり、エラスムスの著作はよく売れて、人気者だつたやうです。一般には人文主義者とかいはれてゐるやうです。 >今日のアホの方が、ちょっとだけアホでなくなったんだよね 私の場合は、常にアホです。 >早くオウチへ帰りな。待ってたってもうオヤジさん、帰ってこないんだよ! ほほゑましい風景です。私は、渋谷へは仕事で一度行つたことがあるだけです。 >よきホモ・ソシオロジクス(役割人間)として、応用能力抜群、今は大企業のお偉いさんになってます。 安心しました。やはり大物です。 >司教をやんわり批判しているようなくだり 回答番号4のコメントにも書いたのですが、Nakay702さんの読み方が正しいと思ひます。周囲が大げさに取り上げすぎです。笑つてすませるやうな文章にほかなりません。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
No.4です。 だまっていると ぜんぶ受け容れたことになるかとおそれて ひと言です。 つまり ここでは エラスムスが主題のひとつになっているようです。 一度読んで分からなかった。次の指摘を受けて二度目に読んだけれど ピンと来なかったあわれなぶらじゅろんぬですが けっきょく痴愚神を持ち出したり自分をそれに当てはめたりというのは 広い意味のユートピア論であるのではないかというひとつの見方です。 ◆ (ri_rong 氏:【Q:ロマン主義について】~~~~~~~~~~ http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5124232.html (No.7お礼欄) エラスムスが『痴愚神礼賛』の序文に、主人公モリア(Moria)の名前をトーマス・モア(More)から思い付いたと書いているんですが、モアはこの後に『ユートピア』を仕上げますよね。 (No.10お礼欄) 〔* 映画『マトリクス』の〕あらすじとしては――恵まれた暮らしにうつつを抜かす現代人の精神世界は、いかに制度に囚われ、縛られていることか。その奴隷の世界から魂を救済し、永遠の楽園へと誘うのが救世主ネオである。 (No.6お礼欄) 映画は、現象と独立した概念の世界を描いたものだと思いますが、その世界はねずみ色に荒廃し、用意された繭のなかで制度が個人を飼っている映像がありました。モーフィアスは制度の目をかいくぐって、船を操る船長の名前です (No.10お礼欄) 『ユートピア』じゃないか? と思うわけですよ。 モーフィアスは、そのかたちを提供する役柄です。言ってみれば、痴愚神であるエラスムス、あるいはモアになるのでしょう。西欧ではすでに、『マトリクス』を中世末期に考えているんです。 No.11に良い回答をもらっていますが、「二つの世界を繋いだ途端に、そこには一つの世界しか存在しえなくなる」わけです。つまり、表象(言語)と表象されるものとを、常に同一の状態に置こうとする傾向(中世的な言語感覚)があって、それに対して無警戒なんですね。 たぶん、実際に映画をご覧になると、なんだかずいぶん薄っぺらい感じがするなぁと思われる。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 異端の見方を投じることが わたしの役目だと思いますので。 つまり 重ねての回答になりますが: ★ アホ vs 哲学者 ☆ といった二項をすでに互いに相い対立すると見なした時点で はっきり言えばアウトだと思います。アポロンとディオニュソスといったようなあり得ない双対ではないのですが それでも 冗談交じりのお遊びじみているでしょうね。《無知の知》がお好みでないなら せいぜい《学識ある無知 docta ignorantia 》といった程度で禁欲したほうがよいのと違いますか?
お礼
以前の哲学カテゴリでもエラスムスが登場してゐたのですね。もう6年前ですか。映画「マトリクス」は『不思議の国のアリス』との関連で注目はするのですが、『痴愚神礼讃』とのつながりは初見です。やはりヨーロッパ文化の流れは絶大です。 >二項をすでに互いに相い対立すると見なした時点で はっきり言えばアウト さうですね。回答者のみなさんも、多くがそのやうな御意見です。私はただのアホですけれど。 御回答ありがたうございました。
自分のすばらしい考えを他の人にも知ってもらいたい これには無理があると思います。 すばらしい考えのすばらしさが、どこがすばらしいのかが相手にはわかってないから。 まだすばらしさに気が付かないアホならいい すばらしい考えを理解できない場合喧嘩腰な会話になってしまうのかもしれない。 喧嘩腰になった場合 相手にすばらしい考えを理解させることは非常に大変なことと思います。 だったら始めからすばらしい考えを知ってもらいたいとさえ思わない方が良いのかも。
お礼
追加のご回答をありがたうございます。 >これには無理があると思います。 御指摘のとほりと存じます。自分の幸福が相手にも幸福であるとは限りません。 禁欲的な智慧の利点を極めた人がゐれば、それをアホの私に説くよりも、現金、有価証券、貴金属の類を私に譲渡して、理論の正しさを実証してくれるほうが、双方の幸福に寄与します。もちろん、喧嘩にはなりません。 >始めからすばらしい考えを知ってもらいたいとさえ思わない方が良いのかも。 さうですね。おつしやるとほりです。人それぞれ価値観に相違があります。
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お礼
はじめまして。アホのplapotaと申します。質問文の書物は、学生時代からの愛読書です。 >何も考えないアホは幸せですね。 アホは、アホ呼ばはりされても、「はいアホです。」と返事をすればよいので、幸せです。では、自分は偉いのだ、おれさまが馬鹿な奴らに教へてやるのだ、といふ態度をとることは幸福なのでせうか。少なくとも、このQ&Aサイトにおいては、後者の姿勢のほうが多く見られます。 御回答ありがたうございました。
補足
デルポイにてアポロンの神託がありましたので、回答番号1をベストアンサーにします。