こんにちは。
ちょっと長くなります。
>人間は知らないことを絶対に想像することはできないのでしょうか?
いいえ、そんなことはないですよ。
例えば、
「鳥は空を飛んで遠くへ行ける」
「人間は絨毯の上で座っているだけだ」
「しかし、絨毯が空を飛べば人間は遠くへ行ける」
組み合わせの例を考えますと、これによって「魔法の絨毯」という未体験の概念が生み出されます。
大脳皮質では「複数の情報を矛盾なく組み合わせる」という作業が行われます。ですから、これによって魔法の絨毯という発想は十分に可能です。でなければ、どうして火星人やゴジラが生まれるでしょうか。言ってしまえば、この大脳皮質の機能が「人間の想像力」です。ですが、ここで絨毯は空を飛ぶものではないという体験が使われますと、これに対しては間違いなく論理矛盾が発生しますので、逆にそこに辿り着くことが難しくなります。
「ひらめき:創造」とは、「理論では導き出すことのできない合理的な結果」と定義されます。
まず、理屈で割り出せる答えならば誰にでも出せます。そして、でたらめで非論理的なだけで良いならばサルにもできます。このため、結果は必ずや合理的でなければなりません。
次に、ひとつひとつは論理的に導き出せるとしましても、その組み合わせが無数に複雑であったりする場合は簡単には答えを出せません。ですから、その先にはまだ誰も知らない結果があるわけです。
例えば、長編小説なんてのは極度に論理的な産物ですが、ここでは「無数の可能性の組み合わせ」を扱いますので、結果的には極めて創造的な作業となります。ですから、この過程で合理性の評価を間違えたり先入観に捕らわれてしまいますと「未知の正解」に辿り着くことは逆立ちしてもできなくなります。そういった意味では、電子回路の設計や調味料の調合などで最適解を探すのも一種の発明ということになるかも知れません。
ご質問は、何もないところから突然生まれるのか、それとも組み合わせによって作られるのかということですが、私は「合理的なひらめき」というのは必ずや何かあるとことに生まれるというのが正しいのではないかと思います。例えば、予め「必要性」の存在するところには「ひらめき」が生まれやすいです。
アフリカはギニアのチンパンジーは石を使ってアブラヤシの実を割るので有名です。ですが、このチンパンジーはどうしてアブラヤシの中身が食べたれることを知ったのでしょうか。
鳥が食べていたのか、あるいはたまたま割れているのを食べたのか、そこに如何なる偶然があったかのは分かりませんが、果たして、中身が食べられるという情報が揃ったところで初めて殻を割るという「必要性」が生み出されます。
心理学の古典に「創造性の評価」という有名な論説があり、現在でも「発想のモデル」として良く使われています。
創造性や、あるいは芸術性の評価といいますのはたいへん曖昧なものですが、以下のようなプロセスによってそれが可能となります。
「準備期(既存理論)-あたため期-ひらめき-合理性の評価→新たな理論」
簡単に言いますと、このような手続きを執らないものは芸術とは言えませんよという、かなり厳しい採点方法です。
「準備期」といいますのは様々な情報を獲得するために必ずや必要であり、特に芸術などの分野で専門的な知識や技術を持つひとのことを「創造的人格」と言います。つまり、何も知らないひとがひらめいてもろくなものは出て来ないというわけです。
ですから、例えばギター・コードもろくに知らない高校生バンドが僕たちのオリジナルを作曲しました、このような場合は「準備期」と「合理性の評価」、この二つがすっぽり抜け落ちています。創造性は0点ですね。
いや、もちろん若いうちから挑戦してみなければ何もできません。ですけど、評価を怠りますと進歩はしないです。
何処の教科書を見ても「あたため期」と書いてありますので辞書を調べてみましたら、原文の「incubation」というのは「抱卵」という意味なんですね。これでは「あたため期」と訳す以外にはないですね。
何故このような時間が必要なのかと言いますと、それは最初に申し上げました通り、「ひらめき」といいますのは理論では解決することのできないものだからです。
論理的に導き出せる結果であるならば準備期だけで十分です。ですが、それができない以上、「ひらめき」といいますのは待つしか手段がないのであります。このため、それが十秒であるか十年であるかは分かりませんが、そこには必ずや「あたため期」という時間が存在することになります。そして、この結果に対して合理性・有用性が評価されることにより、ここで最終的には、それが「誰にでも使うことのできる新しい理論」、即ち「発見・発明」となります。このため、必要性のあるところには自然と有用性が付いて来てくれます。
たまたま今朝の新聞なんですが、
「チンパンジーは石器を作ることができるか?」
という記事が載っていました。見ましたか?
興味がおありでしたら朝日新聞HPの「サイエンス」で閲覧できます。
先ほど例に挙げました、石を使ってアブラヤシの実を割るチンパンジーの群れに、200万年前に人類が石器に使った材料を与えたらチンパンーは石器を作るかどうか、日本とイギリスのグループが実験を始めました。
「ジェジェ」と名付けられたメスのチンパンジーが何時も通りアブラヤシを割る作業を始めましたところ、何故か使っていた石が割れてしまいます。もちろん、研究チームがわざとそこに置いた石器用の石だからです。ジェジェはしばらくあれこれやっていたのですが、やがて諦めて水を飲みに行ってしまったそうです。
これを観察していた学者さんは「ここでジェジェに何かひらめきがあれば!」と期待を膨らませています。
研究は始まったばかりですが、果たしてチンパンジーは石器を作ることができるでしょうか。もしこの現場を押さえることができますれば人類がどのようにして石器を手に入れたのかに近付くことができます。面白そうですね。
ジェジェはしばらく興味を持っていましたが諦めてしまいました。ですが、人間ではこの「興味の持続時間」がチンパンジーよりも平均して確実に長いです。つまり、「あたため期」が長いということは「ひらめき」の可能性も高いということです。
もうひとつは、ジェジェにはアブラヤシを割るという目的がありましたので、鋭く割れた石を他のことに使うという発想は持てませんでした。これはジェジェが、「石はアブラヤシを割るためのものである」という既存の常識に捕らわれていたため、ひらめきに至らなかったと考えることができます。
アインシュタインも最初は既存の常識に捕らわれていました。
物体の速度は可変であるが、光の速度は不変である。
ですが、これでは運動する系の中で双方の到達時間に矛盾が生じてしまいます。そこでアインシュタインは、光の速度が不変ならば時間の速さが変われば良い、とひらめきました。アインシュタインはこの瞬間を「考える、飛ぶ!」と自分のノートに描き残しています。
準備期間、情報知識、ここに「組み合わせ」があることは間違いないと思います。ですが、基本的には「論理的な発見」あるいは「論理的な発明」というものがないのはどうしてでしょうか。それは、これが「新しい理論を生み出すための作業」であるからです。このため、既存の常識に捕らわれていてはひらめきは起こりませんし、場合によってはそれを覆さなければなりません。ならば、この常識を覆したひとが「初めて○○をしたひと」ということになるのではないでしょうか。例えばそれまで、洞窟の壁に動物の絵を描くなどという常識は人類にはありませんでした。
準備期、あたため期が必要である以上、何もないところからひらめきは生まれません。ですが、ひらめきがなければそれは発明ではないです。
「考える、飛ぶ!」
このためには、準備期における情報や常識の全てをバネにしてでもジャンプしなければなりません。そして、ジャンプをすれば必要性のあるところに有用性が付いて来ます。ならば、このそれまでの常識に勝るのが果たして必要性あり、強いて言うならばそれは人類の夢や希望です。そしてこれが「ひらめき」や、あるいは「初めてするひと」を後押しするのではないでしょうか。