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外国語で記述すると

哲学といえば、英語、ドイツ語、フランス語などですが、 やはりそれぞれで日記など記述したり、文章を作ると、認知や決定に影響を与えるのでしょうか? 歌詞など洋楽など英語ですが、それはどんなニュアンスになるのでしょう?

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  • trytobe
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回答No.1

哲学に関係するのは、名詞ごとにある「性」(男性、女性、中性)と、それによる冠詞などの活用・変化でしょうか。これは、英語ではなくなっている概念であり、そういう非生物にも性を見いだす概念が代々引き継がれている文化圏の存在が無視できないということです。 また、英語での詩は、基本的に韻を踏むだけではなく、「韻律」という強弱のリズムのお作法があります。これは、ちゃんとお勉強しているかそういう家庭で育った子のラップでも、単なる語尾の発音が同じにしているだけではなく、4小節に同じ強弱のリズムを盛り込む、という音楽と韻律の両立ができているようになります。そういうフレーズがサビに来ていると、一度聞いただけで覚えられるような気持ちの良いキャッチーな曲としてヒットしやすいメリットもあります。 このような韻律は、漢詩が五言絶句とか七言律詩でもつ格律にも通じる、同じ長さの文章に強弱のリズムをお作法どおりに入れる文化にも近く、日本語の短歌・俳句の音数の違いでリズムを刻む言語とは違う概念でもあり、また日本語では助詞や末尾の活用が同じであれば同じ音になるという単純な韻を作れる「ゆるいラップ」とは違った深い韻律の文化という展開軸を強く持っている言語・文化とも言えます。 それらの背景から、日本語の自由さについて、フランス文学をかじった人間が「曖昧な日本のうんぬん」とか日本語排斥運動とかをしてしまうのですが、それならばそれで生まれた自国の日本語という言語の特殊性をとことん知り抜いての著作をすることに意義があるのではないか、とノーベル文学賞を受賞した2氏の取り組み方の対比に哲学を見ることもできるかと思います。

noname#209756
質問者

お礼

英語の韻律はわかります。 日本語はあいまい。逆に日本語ならではの表現の豊かさもありますよね。 ご回答ありがとうございます。

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