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「事実」と「真実」の違い
タイトルのとおりです。「事実」と「真実」の違いを、具体的な例をあげて、私のような素人にわかりやすく説明をお願いいたします。
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1. テーブルの上に、1個のリンゴがありました。 2. そのリンゴを、Aさん、Bさん、Cさんの3人で切り分けて食べました。 …ここまでは事実です。実際に起きた出来事です。 3. Aさんはそのリンゴが美味しいと言いました。 4. Bさんはそのリンゴがまずいと言いました。 5. Cさんはそのリンゴに毒が入っていて死んでしまいました。 これらは、3の場合、Aさんは「事実」美味しいと言ったのですし、またその言葉が嘘であっても、Aさんにとってはリンゴがおいしかったことが「真実」となります。 で、 Bさんもこれに同じく、「事実」まずいと言い、Aさんの意見とは異なりますが、Bさんにとってはリンゴがまずかったことが「真実」となります。 そしてCさんは死んでしまいました。Cさんが死んだことは「事実」で、またリンゴは毒が入っていて死んでしまったのも「事実」です。しかしAさんとBさんはそれぞれ意見は違いますが死んではいません。 そこで、このリンゴに毒が入っていたのは「事実」か?と考えてみます。 AさんとBさんは死んでいません。 ですので、リンゴが毒入りであったことは「事実」ではなく、あくまでもCさんのみにとっての「真実」なのです。 「事実」はあるひとつの物事ですが、「真実」はその「事実」の捉え方として、無数に存在します。しかしひとつの捉え方のみから考えれば、「真実」は嘘偽りのない本当のことでもあり、しかし捉え方を変えると、それはまったく別のこととなってしまうわけです。 「事実」はひとつ。しかし「真実」は視点の数だけ複数存在し、そのどれもがその視点においては正しいのです。
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- chie65536(@chie65535)
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文字で説明するより、以下のページを読んでもらった方が早いかも。 http://matome.naver.jp/odai/2140210635395427901 事実:特定の事象を、客観的にとらえたもの 真実:特定の事象を、主観的にとらえたもの 裁判などでは、被告や原告が思う真実とは異なる内容であっても、証拠や証言などにより、裁判官が「事実として認定する(事実認定)」ことがあります。 「みんながそう思っていること」が「事実」で、「自分がそう思っていること」が「真実」です。
お礼
ありがとうございました。 「事実:特定の事象を、客観的にとらえたもの」、「真実:特定の事象を、主観的にとらえたもの」……わかりやすいし、ここまでは私もそう思いますが、はたして、これだけで割り切れるものだろうか?という疑問が質問の趣旨です。課題は、具体的事例に直面したときに、この二つの関係をどう説明するかということです。その辺のところが、URLでも今ひとつという印象です。もう少し勉強してみます。
- kohichiro
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事実:本当にあったこと、具体的に世の中である日時のうちに起こったこと。多くは人間の感覚で捉えられ、証拠物品が伴うものです。事実は真実と同じである場合が殆どです。 が、これを疑う人もいます。多くはその事実が自分にとって都合が悪いと考えるひとです。一般的に事実よりも真実の方が上位だとされますので、それらのひとが「この事実は真実ではない」というために「まだ分かっていない真実」というものが事実の覆いになるのです。真実は事実よりも証明がむずかしいので彼らには好都合なのです。 具体的な例は、たとえば「南京大虐殺」といった歴史的な事件があげられます。 間違いなく事実としてはあったと私は思いますが、全体像としてのはっきりした具体的な証拠がないので、あるひとは犠牲者が30万人以上だといい、あるひとは 大虐殺などはなかった、といいます。それぞれの立場でそれを「真実」だと言っています。
お礼
ありがとうございました。 事実:本当にあったこと、具体的に世の中である日時のうちに起こったこと。多くは人間の感覚で捉えられ、証拠物品が伴うものです。……ここまでは私も同意できます。 事実は真実と同じである場合が殆どです。が、これを疑う人もいます。多くはその事実が自分にとって都合が悪いと考えるひとです。……???本来的には、事実と真実は同じでなければならないということですか? 「この事実は真実ではない」……???事実を事実でないと主張する人、事実をねじ曲げようとする人はいるかも知れませんが、……意味が分かりません。 例としてあげられた「南京大虐殺」……間違いなく事実としてはあったと証明できるのですか???これが証明できないと、「事実」さえも不確かなものになります。「あったと私は思います」では、それ以上に前には進みまないと考えます。事実と真実の議論に進展しないのです。
- 雪中庵(@psytex)
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たとえば、目の前にコップがあります。 コップを叩いてみたり、定規で測ってみたりする事で、 「事実」を正確に捉える事ができます。 その「コップ」が、実は机と同じ、陽子や中性子、電子 から成っており、その“並び方”の違いに過ぎない、と いった認識の深まりが「真実」です。 そして、一旦そうした真実を理解して、コップの向うに 陽子や電子の存在を感得できるようになれば、「事実」 に組み込まれるようになります。
お礼
ありがとうございました。 といった認識の深まりが「真実」です。……「真実のうちのひとつです」といわれると分かるような気もするのですが。
- netwarawala
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金子みすずさんの星のことを書いた詩をご存知ですか、星は昼は太陽の光で見えません、けれどもちゃんとそこにありますよ、という詩です。お母さんが愛する子供に自分の心を諭すすために例えたものですね。母の愛は昼の星のように見えないけれども、ちゃんとあるのだという詩が真実とは何かを見事に言い表しています。事実も真実のうちに入りますが、真実は事実の中に入りきらないないものもあります。
お礼
ありがとうございました。 金子みすずさんの星のことを書いた詩をご存知ですか、……折角ご紹介いただいたのに申し訳ありません。知りません。 存在するのだけれど「見えない世界」というのは、事実と真実との関係を示す一面ではあるようには思いますが、何故かすべてではないように思います。というのは、例に挙げられた母と赤ちゃんとの関係で、「目に見える愛」というのがはっきりしないので、事実と真実との関係を誰もが判断できないような気がします。
お礼
具体的な例をあげて、ご説明をいただき、ありがとうございました。すべてを読み切っているわけではありませんが、とりあえず「事実」と「真実」を考える上で、ヒントをあるように思います。