- ベストアンサー
真実を知る必要性
こんにちは。 当方全くの素人ですが、宜しくお願い致します。 哲学の入門書を読んでみたのですが、今ひとつ理解できない部分があったので教えて下さい。 入門書によると、「哲学とは真実を知る為に考えること」等と言う趣旨の説明がなされていたのですが、真実を知ることには、どのような意味があるのでしょうか? 真実を知る必要性を教えて下さい。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
真実には客観的真実と主観的真実があります。 主観的真実などと言うと、そんな物は真実ではないと言われそうですが、一人の人間が別の人の経験をできない以上、そういう真実もあるのです。 ヴィトゲンシュタインは、客観的真実(哲学・科学など)は主観的真実(思想・宗教など)を指し示し、明確に浮き彫りにすると言っています。 客観的真実からは、生きる目的は生まれてきません。つまり、「何故生きるか」は、主観的真実から形作られます。 以上から、自分の生きる目的を作り、その合理的方法を選択するために、真実を知ると言えると思います。
その他の回答 (5)
、「真実を知る」ことの先には何かがあり、その「何か」が目的なのでしょうか? その先に何かがあるのなら、その「何か」とは何なのでしょうか? >>>各個人の哲学者の思想は、解りません。知らないです。 真理の追究=生きがい、だったんでは? と、勝手に思っております。つまり、生かされている理由付けでは、ないのかなあ???
お礼
ご回答ありがとうございます。 参考にさせて頂きます。
- kaitaradou
- ベストアンサー率8% (102/1147)
私も素人ですが真実とは首尾一貫した体系のことではないでしょうか。必ずしもひとつではないと思います。真実を知る必要性というのは何かの体系に欠けたところがあったら、そのかけた部分を補わなければその体系が完成しないということではないでしょうか。自分が関心を持つ対象を一つの体系と見てそれを完成させるということではないでしょうか。絵描きが絵を描くのと同じではないですか?絵を描くことに関心がない人にとっては絵を描く必要性はないと思います。
お礼
アドバイスありがとうございます。 参考にさせて頂きます。
物理とか数学という世界の真実は、現在の知識レベルでの真実ですが、哲学になると、不変の真理というか、真如実際というか、ちょっと、違うんですよね、きっと、 で、哲学的な真実の追究のもとに、科学の発達をしてきた歴史的、事実があります。 哲学者=科学者=数学者=芸術家って多いですよね。 その真理探究の経過が、人間の発達のエネルギー、つまり、生きていること、生きていく力だと思いますが、如何でしょうか??? 必要は発明の母とか、言うじゃないですか、探求こそ生命力の維持そのものかもしれません。 (哲学素人で理系です。)
お礼
アドバイスありがとうございます。 参考にさせて頂きます。
補足
哲学者の方が思考する理由は、「真実を知りたい」と言う欲求を満たす事自体が目的なのでしょうか? それとも、「真実を知る」ことの先には何かがあり、その「何か」が目的なのでしょうか? その先に何かがあるのなら、その「何か」とは何なのでしょうか?
- fortranxp
- ベストアンサー率26% (181/684)
例えば絶対に助からないと思われていた病気が 適切な治療のため治ったとか もう絶対ダメと思われていた事が可能になった とか有りますとただ知識不足なだけとか たまたま偶然に運が良かっただけとかと 考えますがそれだけでは説明がつかない事が 有りそれをそういう必然性があるように 結びつけて考えたくなると「真実」があっても よいのではと思います。 いや、すべて「空」なのかもしれません。 「空」なので何か実態が欲しくなり「真実」と 言っているのでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 参考にさせて頂きます。
真実を哲学というのはもとも科学とか物理などわりと理系よりですべての学問の元になるものです 理系の学問っていってしまえばすべて知ることですよね
お礼
アドバイスありがとうございます。 参考にさせて頂きます。
お礼
アドバイスありがとうございます。 参考にさせて頂きます。