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韓国併合の祝賀行事。
併合は韓国国民が願ったものであり、議会で承認されたという話を聞きます。 大多数の国民が願ったものであれば、韓国のあちこちの町や村は祝賀ムードで溢れたと思います。 具体的な事例を教えてください。 例えば、提灯行列があったとか、商店は歓迎セールをしたとか、とにかく民衆が喜んでいる様子を知りたいです。 また、「併合」という用語は、韓国併合時に「併呑」と「合併」を合わせて案出した用語ですか。 そうであれば「併呑」とせず「併合」としたのはなぜですか。 よろしくお願いします。
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>併合は韓国国民が願ったものであり、議会で承認されたという話を聞きます。 大多数の国民が願ったものであれば、韓国のあちこちの町や村は祝賀ムードで溢れたと思います。 まず史実として当時の韓国(大韓帝国)には議会(国会に相当するもの)は存在しません。また自分の国がなくなった際になぜ「民衆が喜んでいる」とお考えなのか、その理由をお聞きしたいと考えます。 日本国内(内地)の各所で併合の祝賀行事が行われたことを伝える史料は多数存在しますが、朝鮮では少なくとも町や村が「祝賀ムードで溢れた」という事実を伝える史料の存在は知りません。日本国内でさえ「地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつつ秋風を聞く」という歌を詠んだ啄木のように、かの国の人々に同情的な人もいたことも考えておく必要があります。 もちろん韓国併合は、いくら軍隊を動員したとしても日本が一方的・強制的に行えるような単純な事柄ではありません。韓国の上層部には相当数の併合賛成派がいて、少なくとも形式的にはそのために必要な手続きを韓国政府がとったからこそ可能となったものです。ただしその併合賛成派にしても、必ずしも韓国が日本にいわば「吸収合併」されることを願ったわけではなく、韓国と日本が対等な立場で一つになって一緒に政治を行うことを目指そうという主張も盛んでした。もちろんそれは実現することのない希望に過ぎず、朝鮮はソウルの景福宮の敷地内に建てられた朝鮮総督府による統治下に置かれることになりました。 その9年後に起きた「三一独立運動」を目の当たりにして、吉野作造は「中央公論」誌上で次の指摘をしています。(以下引用) 第一は、日本の朝鮮統治が鮮民の心理に事実上いかなる影響を与えたかを究めずしては、問題の解決はできないという点である。日本の統治が善かったか悪かったか、またこれに対して朝鮮人がいかなる考えを有つべき筈であるかと云うようなことは、暫く問題外に置いていい。ただこれを朝鮮人がどう観たかを検するのが必要である。鮮民がかく考える事に道理ありや否やをしばらく第二に置いて、事実鮮民が日本の統治をどう考えて居るかを、鮮民の立場から考えることが必要だと云うのである。不幸にして、形式政治家はこの観察を怠るを常とする。彼等は云う、これだけの世話をやれば鮮民に文句は無い筈だと。無い筈だとの妄断は、一転して彼等は日本の統治を謳歌して居ると云う迷信となる。…(「中国・朝鮮論」東洋文庫161 所収) 回答者は、当時の韓国の国民感情について、単純に「大多数の国民が自国が大日本帝国に併合されてその臣民となることを希望した」とか「大多数は日本の統治を謳歌していた」などと主張するのは誤りだと考えます。 吉野作造は上記の引用した部分のあとで、こうも述べています。 自らを不当に高く値踏みし、他をば不当に低く値踏みするの弊は、殊に民族の間に甚だしい。それだけ我々が一日の長を自負して他の民族に臨む場合には、取りわけ対手の心理を尊重するの必要がある。これを等閑に附してしかも朝鮮統治に成功を期するは、いわゆる木に縁って魚を求むるよりも難い。
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- jkpawapuro
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大多数の韓国国民が願ったというのは、併合後に併合によって朝鮮半島が近代化してからのことではないでしょうか? こういった場合併合前は植民地化を恐れ反対、併合後近代化により恩恵を受ける知識階級が歓迎、しばらくして日本人(宗主国国民)との経済格差を妬み反対、という流れが一般的なように感じますが。
お礼
ご回答ありがとうございます。 全く同感です。 しかし、自分の考えに自信がないので確認のために質問しました。
>併合は韓国国民が願ったものであり 寡聞にしてこのような史実は知りません。 「聞きます」とありますがどこの誰から何時お聞きになれましたのでしょうか 「思います」とありますが、思いに至った論拠はどのような文献に基づかれたのでしょうか 具体的にお知らせ願います。 >議会で承認されたという話を聞きます。 何処の誰から何時お聞きになられたのでしょうか。 李氏朝鮮を引き継ぐ大韓帝国に条約の締結を左右する権限をもった「議会」なるものが存在していたのか否かは寡聞にしてしりません。 如何なる性格の議会によって承認されたとお考えになられましたのでしょうか その論拠を具体的に教えてください。 参考 李氏朝鮮 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/李氏朝鮮 大韓帝国 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/大韓帝国 絶対君主制 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/絶対君主制 >また、「併合」という用語は、韓国併合時に「併呑」と「合併」を合わせて案出した用語ですか。 政治分野で併合といいますのは国際的に用いられている政治用語と理解しています。 勝手気ままに思いついて使われていた訳ではないと了解しています。 参考 併合 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/併合 併合(ヘイゴウ)とは - コトバンク kotobank.jp/word/併合-8589 韓国併合というのは単に大韓帝国の国民の意向で進められた外交交渉ではないと理解しております。 参考 甲午農民戦争 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/甲午農民戦争 日清戦争 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/日清戦争 日清戦争の原因と結果 www12.plala.or.jp/rekisi/nissin.html 日露戦争 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/日露戦争 蛇足 真に失礼ですが「「たいてい」「ほとんど」「圧倒的に」とか、曖昧な表現はできるだけ避けて、やむを得ず使う場合は例外の事例を示すようにする、という企業風土の中に居ましたから、いまだに拘っています。」あるいは「検証したのか」「文献は何か」と常日頃お書きになれておられのではありませんでしょうか。 それに基づいて失礼を顧みずに回答させていただきました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >「聞きます」とありますがどこの誰から何時お聞きになれましたのでしょうか ここの「歴史カテ」で知りました。 どこの誰でもないので「聞いた」ととぼけました。 >「思います」とありますが、思いに至った論拠はどのような文献に基づかれたのでしょうか 具体的にお知らせ願います。 もし「大多数の国民が願ったもの」であれば、それなら「祝賀ムードで溢れた」はずだから、と思って質問文にしました。 しかし、愚問でした。 併合についての報道が解禁されたのは、8月28日でした。 国民は詳細を知る由も無いです。 いきなり年号が「明治」になって、びっくりしたことでしょう。 >如何なる性格の議会によって承認されたとお考えになられましたのでしょうか その論拠を具体的に教えてください。 このカテです。 >政治分野で併合といいますのは国際的に用いられている政治用語と理解しています。 >勝手気ままに思いついて使われていた訳ではないと了解しています。 私は、『日本史史話』で読みましたが、ここに出ています。 http://pinhukuro.exblog.jp/d2009-06-14/ 『日本史史話』によれば、桂太郎は、議会での対韓方針の演説でたびたび「合併」と言ったそうです。 「愚問賢答」真剣に回答してくださって真にありがとうございました。
- hekiyu
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祝賀行事てのは聞かないですね。 当時の韓国は、自力では独立が保てないので やむなく併合を依頼してきたわけです。 つまり、泣く泣くの依頼だったのです。 だから喜ぶ、という感情はなかったと思いますよ。 自力で独立を保てない韓国は、どこかに併合して もらおう、ということになりました。 中国は頼りにならないので、ロシア派と日本派に 別れて権力闘争したのです。 結果、日本派が勝利し、日本に併合を依頼してきた という経緯です。 こういう状況ですから、祝賀というムードには なれなかったのだと思います。 惨めだなあ、という感じでしょう。 尚、併呑では一方的に呑み込まれてしまう、という 感じがします。 併合なら、対等的です。 吸収合併か対等合併かの違いでしょう。 韓国のメンツを立てたんでないですか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >惨めだなあ、という感じでしょう。 そういうことですか。 それなら、完全武装の日本兵、憲兵隊、警察隊約4千人をソウルに送り込み、厳戒態勢を敷くようなことをしなくてもよかったのですね。
お礼
丁寧なご回答真にありがとうございます。 >まず史実として当時の韓国(大韓帝国)には議会(国会に相当するもの)は存在しません。 >また自分の国がなくなった際になぜ「民衆が喜んでいる」とお考えなのか、その理由をお聞きしたいと考えます。 このカテの回答(この質問の回答ではない)の中には、たびたび「併合は韓国国民が願ったもの」や「創氏改名も願ったもの」という回答があります。 そのように主張するのは自由ですが、それならその主張の証拠を示してください、と言いたくなりました。 ホントに韓国国民が願ったものであるなら、やっと願いが叶ったと嬉しい気持ちになるはず。 その喜びを皆で分かち合いたいはず。 それなら、日本が併合してくれたと大いに喜んで何か祝賀行事でもしたのでは、と思いました。 併合されることを韓国国民が望んだと回答された方に、望んでいたというだけではなく、何か証拠を示してくださいという趣旨で質問しました。 この質問の前には一応、調べました。 併合の報道は、併合された8月22日から禁止され、解禁されたのは28日です。 韓国国民が待ち望んでいたのなら、嬉しいニュースとして真っ先に知らされたはずです。 半島在住の日本人向けに日本人がソウルで発行していた日本語の新聞「京城新報」(8月30日付け) のコラムには、「今度の解決は目出度と云へば目出度に相違はない、併し此際合併祝賀会等をやって騒ぎ立てるのは大きな間違だ、内地人たるもの少しは朝鮮人の身にもなって考へねばならぬ。」と書いてあります。 わずかこれだけの事実から、併合されることを韓国国民の大多数が待ち望んでいたとは考えにくいですが、しかし、私の考え方が偏っているのかも知れません。 吉野作造の「中央公論」誌上での発言はよく解ります。 ありがとうございました。