- ベストアンサー
召集令状
今朝のNHKの朝ドラのシーンなのですが、召集令状を渡すときに「おめでとうございます」と、配達員が言っていたように思います。 「お国のため」ということですから、「おめでとうございます」という言葉に、特段の違和感はありませんが、当時の人々は、本当に、『「おめでたいこと」、「ありがたいこと」と考えていたのだろうか?』という疑問が湧いてきました。 いろいろあると思いますが、「庶民感覚」として、現実はどうだったのか、断片的なことでも構いません。歴史的な観点から教えて下さい。
- みんなの回答 (11)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
祖父や祖母に聞いたことがあります。 建前ですよ。お目出とうなんてのは。 松本清張の小説にありましたね。 召集令状を出す役人に睨まれた人間に 召集令状が来て、その報復として殺人を 侵す、というやつ。 職業軍人だって戦地に行くのは、本音では イヤでした。 まして、ただの庶民ですよ。 それがいきなり兵隊にされ、殺し合いに 放り込まれるのです。 戦争好きの米国でも、実際に軍隊に入るのは プアーホワイト、不法移民、黒人などが多い のです。 つまり、民間に行けない人が軍隊に入るのです。 ある上院議員が、大学生を前に、しっかり勉強しないとイラクに 行く羽目になるぞ、と発言して物議を醸しました。 ちなみに、招集され、そして軍隊生活を送り、 それから戦地に赴任するわけですが、戦地に赴任 するときも、お目出とう、とやったそうです。
その他の回答 (10)
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
#1です。補足です。 下記では20歳(43年から19歳)以上が徴兵対象で、1945年11月に徴兵法は廃止になっていますから、2015ー1945+19=89 すなわち米寿以下の人には、召集令状を受け取った本人の「庶民感覚」や、現実は分からないと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B4%E5%85%B5%E5%88%B6%E5%BA%A6#.E5.A4.A7.E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.B8.9D.E5.9B.BD.E6.86.B2.E6.B3.95.E4.B8.8B.E3.81.AE.E5.BE.B4.E5.85.B5.E5.88.B6 僕など、「ああ、あそこにも来たってさ」までは聞いたことがありますが、後は言わなくても分かってるし言わない、という世の中でした。
お礼
再度ご回答いただきましてありがとうございました。ふと、今話題になっている「戦後70年」という言葉を思い浮かべてしまいました。
- kingsamurai
- ベストアンサー率0% (0/3)
当時は、国に対してのマイナス思考を言葉に表すと、厳しい処分を受けることになっていたのです。また、発見者は政府に告げ口しなければならなかったのですよ
お礼
「国民総警察」ということですか?まさに恐怖と疑心に満ちた世界ですね。来て欲しくないですね。
感覚を歴史的な観点からお知りになりたいというのは相当難しいご希望です 現代とは違い映像や音声による記録技術が未発達な時代です。 映画やレコード盤による録音も特定の人々に限られていました。 結果として文字に頼ることになりますが、庶民の感覚とは距離が出てしまいます。 このような観点からすれば、当時の流行歌などが一つの手がかりとなるかと思います 感覚的に受け入れられないものが伝誦されることはありません。 日本には大正時代という時代がありました。 大正デモクラシー、大正ロマンという言葉を御存知でしょうか。 現在も大正メロディとして沢山残っていて歌い継がれています。 当時は軍縮の時代で軍人は極めて肩身の狭い時代でした。 軍部が政治を取り仕切るようになるのは昭和十年代に入ってからです。 当時の陸軍士官学校の生徒も 他人の命令で行動するなどというのは教養のある人間がすることではない 雨や雪のなかで地面を這いずりまわるような訓練は兵隊がやることで、士官がやることではない などと豪語していました。 二二六事件の当事者で陸軍士官学校本科長であった眞崎甚三郎が事件後に証言しています 旧制高等学校の雰囲気と寸分変わりません。 庶民感情としては当然のことながら大正時代のままでした。 国民皆兵制度で定期的に採用していた兵員では足りなくなって召集令状などという代物が作られました。 庶民といいますのは、日常生活を強制的に停止される制度を受け入れるような感覚を持ち合わせていません。 ドラマの郵便配達員も公務員でしたから、「おめでとう」と言わざるを得ません。 庶民の間から自然発生的に生まれて歌い継がれていた歌として可愛いスーチャンというのがあります。 おそらく当時の庶民感覚にマッチしていたのでしょう。 軍部がやっきになって禁止しても庶民の間で歌い継がれていました 戦後もドリフターズというコミックバンドが歌詞を変えてヒットしました。 you tubeに投稿されています。 歌詞は下記のサイトにあります 可愛いスーちゃん/うたごえサークルおけら bunbun.boo.jp/okera/w_shouka/t_gunka/kawaii_suu.htm 抜粋 ♪お国のためとは言いながら人の嫌がる軍隊へ志願ででてくるバカもいる~ 「もずが枯れ木で」という歌もありましたyou tubeに投稿されています。 歌詞は下記のサイトにあります 「もずが枯木で」鳴いて良いのか悪いのか www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-mozugakarekide-exp.html 抜粋 ♪兄さは満州に 行っただよ 鉄砲が涙で 光っただ 百舌よ寒いと 鳴くがよい 兄さはもっと 寒いだろ 日中戦争の泥沼化が進むにしたがって、軍部は世論操作の手法として軍歌なるものを沢山つくりました。 世界史的なレベルでみても軍歌の数の多さは日本が群を抜いています。 如何に厭戦気分を抑え込むかということに四苦八苦していたかという姿が浮かび上がってきます。 挙句の果てに、戦友と呼ばれる初期の軍歌も、「軍律きびしき中なれど、これが見捨てておかりようか」とい一節が気に食わないといって禁止してしまいました。 逆に言いますと庶民の感覚と軍部との間の亀裂が無視できないほど広がっていたということです。 「手と足をもいだ丸太にしてかえし」という川柳も発表されていました。 「屍のいないニュース映画でいさましい」という川柳もありました。 参考 日本軍歌史考 - 日本海 www.nihonkai.com/shin1917/nihongunkashikoh.pdf 「軍歌」なるものの目的などが詳しく記載されています。 以上のような史実を考えますと「おめでたいこと」、「ありがたいこと」と考えていたとは思われません。 「止むを得ない」「しかたがない」と受け取っていたと考える方が自然ではないかと思います。 終戦直後に「りんごの唄」などが爆発的に受け入れられたのも、鬱積していた感情が一騎に吐露された姿です。 終戦九年後とはいえ「岸壁の母」という歌が流行したのも、同調者が沢山いた表れかと思います。 「ありがたい」「おめでたい」と思っていたのであれば、このような感情にはならなかったでしょう。
お礼
ご丁寧な回答ありがとうございました。
厳密に言うと、配達員ではなく兵事係という役名になってます。 いずれにしても、人の考えることというのは、昔も今もそう大きくは変わらないと思います。 当然、本音もあれば建前ももある。 次週の予告で、エマが「一緒に逃げて」と言ってましたが、やはり本音はこんなところだろうと思います。 一方で、敷地内を特高の刑事がうろうろしてますから、うっかり本音など言ったら連行されることも考えられます。 表向きはめでたいと言うしかないでしょう。
お礼
次週の予告までご紹介いただきありがとうございました。 「本音」と「建前」……ついつい見逃してしまいますよね。
- jusimatsu
- ベストアンサー率11% (171/1438)
少し時代はさかのぼりますが、与謝野晶子の有名な「君死にたまふことなかれ」あたりが正直な感想じゃないですか。
お礼
ありがとうございました。 与謝野晶子の言葉というよりも「女性の気持ち」を代弁しているのでしょうね。
- titelist1
- ベストアンサー率25% (712/2750)
私のおじいさんは役場の戸籍課の仕事をしていました。そして召集令状を誰に出すかを決めていたのです。その召集令状の話を父親から聞きました。父親が言うにはおじいさんは戸籍課ですので、担当の住民の家族構成や仕事や財産をよく知っているのです。上の役所から徴兵人数の割り当てが来ると誰に召集令状を出すのかを考えるのです。家系が絶えるような徴兵はしないのです。ちょうど苗を間引くようにするのだそうです。 おじいさんには3人の息子がいました。長男と次男は徴兵されました。しかし、前線には行っていません。三男は軍需工場で働いていました。3人とも戦死することなく終戦を迎えました。召集令状の内容は事前に分っているのです。前線に行かされるのか、後方支援なのかもその時に分っているのです。 おばあさんは跡取り娘でおじいさんは婿養子です。家系を守ると言う意識がとても強いのです。息子達を絶対に死なせたくないと言っていたそうです。息子たちは成績優秀で校長先生が予科練への入隊を勧めるのを聞いて学校に怒鳴り込んだ聞いています。大事な息子をそそのかしてくれるなと言ったそうです。その時代では勇気ある行動です。三男は徴兵されないように技術系の学校に行かせたのです。そして終戦後に大学に進みました。今も健在で91才です。
お礼
大変貴重で、興味あるご回答ありがとうございました。「時代の背景」と「親の気持ち」とは、また別のものだということがよく分かりました。
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
本音では「おめでとう」なんて思ってません 言論統制下ですよ 本音なんか言えない時代です
お礼
ストレートに、ご回答いただきまして、ありがとうございます。仮に「親」の気持ちになると、という気がします。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
本音はそんなことを思っていたはずはありません。当時召集されるということは生きて帰れない可能性が高かったからです。そんなことを言えば非国民扱いで生活できなくなるから表沙汰にできなかっただけです。
お礼
隣人を「非国民」と呼ばなければならないような時代は来て欲しくないですね。
庶民感覚ってのは、その時代や立場、人それぞれなんでいくつも回答があるでしょうが、うちのじいちゃんは特殊技能を持っていたので日米開戦前、真珠湾攻撃よりずっと以前に「こっそりと」招集され「ひっそりと」東南アジアに出征したそうです。 のちに戦局が進み、召集令状をもらった人が「万歳万歳」と送り出されるのが羨ましかったとばあちゃんが言ってました。 (終戦後、じいちゃんは生きて戻ってきましたが、戦時報償とか留守家への給金とか無かったそうです)
お礼
「召集令状をもらった人が「万歳万歳」と送り出されるのが羨ましかったとばあちゃんが言ってました。」……おばあちゃんの言葉に「時代の背景」というのを感じます。ありがとうございました。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
下記の歌詞「我が大君に召されたる、、、」 https://www.youtube.com/watch?v=Ovo7B_GFuuY が、「庶民感覚」として、現実はどうだったのか、よく表現しています。
お礼
貴重な映像をご紹介いただき、ありがとうございました。インターネットに精通するとこのような資料も見ることができるのですね。歌っている歌手、よく声の通る人ですね。誰なのか、気になりました。
お礼
「松本清張の小説にありましたね。召集令状を出す役人に睨まれた人間に召集令状が来て、その報復として殺人を侵す、」……小説とはいいながら、事実かも知れませんね。 「職業軍人だって戦地に行くのは、本音ではイヤでした。」……考えさせられますね。自衛隊員は、現在の日本の動きをどのように感じているのでしょうね。 「戦争好きの米国でも、実際に軍隊に入るのはプアーホワイト、不法移民、黒人などが多い のです。つまり、民間に行けない人が軍隊に入るのです。」……そうなのですか?本当か嘘かは知りませんが、中国は戦争をしたがっている。と言うことを聞いたことがあります。なぜなら「反政府分子を戦争に追いやって減らすことが出来るから」ということのようですが、あり得るのかも。 ありがとうございました。