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もっとしっかりと哲学せんかい。

 と言われたら どう答えますか?

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noname#214841
noname#214841
回答No.8

「お礼」拝見しました。このたびの質問は「哲学」ではなく「哲学する」ことなのですね。このサイトでは、名詞φιλοσοφία(ピロソピア)についての解説がしばしば見られるのですが、動詞φιλοσοφέω(ピロソペオ)への言及は読んだことがありません。 「現在王と呼ばれ、権力者と呼ばれている人たちが、真実にかつじゅうぶんに哲学するのでないかぎり、........国々にとって不幸のやむときはないし、また人類にとっても同様だとぼくは思う。」 (プラトン『国家』第5巻第18章473D 藤沢令夫訳 岩波文庫(上)452ページ) プラトンによれば、bragelonneさんの哲学千回主義のやうに、「じゅうぶんに哲学する」必要があります。さうしなければ人類の不幸になるやうです。 「そなたの賢者であることは素より、知識を求めて広く世界を見物して廻られた漫遊のことも聞き及んでおる。そこでぜひそなたにお訊ねしたいと思ったのだが、そなたは誰かこの世界で一番仕合せな人間に遭われたかどうかじゃ。」 (ヘロドトス『歴史』第1巻第30章 松平千秋訳 岩波文庫(上)28ページ) ここでは「知識を求める」と訳されてゐて、ヘロドトスもプラトンと同じく、人間の幸福と関連づけてゐます。 「幸福に生きることが快楽の内に生きることであれ、徳を身につけることであれ、理知の内に生きることであれ、これらのすべてに即してわれわれは哲学すべきである。」 (アリストテレス『哲学のすすめ』第2章 廣川洋一訳 講談社学術文庫33ページ) アリストテレスもまた「哲学する」ことと幸福を結びつけます。 哲学的な「幸福」とは、考へて納得することではないかと思つてゐます。状況を把握し、他者の見解も参考にしながら、自分なりの結論を導く。単なる受け売りではない、みづからの方法です。

bragelonne
質問者

お礼

 ★ 単なる受け売り  ☆ であっても これだと自分が思い納得し賛同しさらにその新しい展開――守破離――をすすめて行くような内容のものであるなら それは たまたま先人がいたというに過ぎないのであって みづからの方法でないとしても すでに《わたしがわたしである》ことの現われとして不足はない。と考えます。  (最近よく《守破離》が出て来るようです)。  どぢゃ? と言うために――ぎゃふんと言わせるために――のみ応答しました。  ご回答をありがとうございます。

その他の回答 (22)

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10007/12518)
回答No.13

「お礼コメント」をありがとうございました。 > 玉に疵は あたらしい仮説に必要以上にガードが堅いところでしょうね。 ⇒There is nothing new under the sun.(旧約「伝道の書」I-9)と言いますが、ついついその「仮説」が、いかほどにその源流や経緯を吟味し吸収消化し取捨しているかが気になってのぅ。 > ★ (2)「常に同時に」(カント)哲学するプロセス > ☆ このくだりの意味を見落としてしまってはいけないでしょうから ご解説をできましたらお願いします。(つまり その点のカントをおぼえていなくてすみません)。 ⇒“「常に同時に」定言命法の則に合致するように行為せよ”(実践理性批判)。時間空間に関する普遍性を表すのに、この「常に同時に」は至言だと、その昔、感じ入ったものでした。 > ★ (5)「哲学する」とは、広く「関心を持つ、好奇心を持つ」ことである、とも言えるでしょう。 > ☆ 《自分の考えを持つ。(または 形成中である)》ということが 大事だと思っているのですが。 > つまり これこれの問題については まだ分かりません(まだ 自分の考えを持つに到り得ていません)とはっきりと言えることが 哲学していることだと考えます。 ⇒はい、異論はありません。仰せのとおりだと思います。 > (6)&(7)。これは 例示があまり適切だとわたしは考えません。いろんな場合があるはずなのに ひとつの方向へと絞って引っ張って行こうとしているのではないか。というのが 反対の理由です。 ⇒それほどご大層なことではないでしょう。くだんの哲人の意図は、「身の回りにいっぱい考える材料が、もっと言えば、考えるべき事柄が転がっているではないか」ということでしょう。「もっと頭を使え。頭は、サッカーのヘディングのためにのみにあらず!」(…とまで言ったかは不明ですが) > ★ (ただ、その「キザっぽい」言い方だけは、ご一考いただきたいような感じがなくはありませんが。) > ☆ あぁ よかった。というより No.1の人と合わせてさらにもっと 《適切な》批判やののしりの言葉を受けるようでないと この質問の思わくが通じていないのではないかと思うところがあります。 ⇒挑発しはりましたな!? もっとも、我ら、その「キザっぽさ」を楽しませてもらっているのかも知れませんが。 > なかい702さんは 総じて中身が水準の低い質問の場合に その水準に合わせて回答なさっていませんか? > そうでなければ あやまります。ごめんなさい。 ⇒「水準」はともかく、質問をよく読んで、それによく見合う表現や雰囲気、よく見合う回答を心がけているつもりではあります。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ ついついその「仮説」が、いかほどにその源流や経緯を吟味し吸収消化し取捨しているかが気になってのぅ。  ☆ んにゃ。検証するというふつうの態度を取れなかった。この目はごまかせぬであろう。かっかっか。  ★ “「常に同時に」定言命法の則に合致するように行為せよ”(実践理性批判)。時間空間に関する普遍性を表すのに、この「常に同時に」は至言だと、その昔、感じ入ったものでした。  ☆ むむ。  ▲ あなたの意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ  ☆ ここに《常に同時に》があったとは。  つまり この命題は 《ワタシの意志の格率》と《普遍的な立法の原理》とが ふたつあるということが前提となっている。  わたしゃあ この考え方からとっくに離れています。  すなわち 《原理》は ふたつの側面があって もし《物自体》にかかわらせるなら とうぜん《信仰》の問題になり そうでなく経験合理性にかかわるところの倫理規範などであればそれは ワタシが考えるものごとである。  つまり 後者であるなら 《ワタシの意志の格率》と同じものになる。せいぜいの違いは 意志の判断力や実行力としての規矩と 認識理論としての普遍的内容とであるに過ぎない。けっきょくのところは 同じもの(意志の内容と行動とが合わさったもの)になるはず。  どうぢゃろう? カントはふるいぢゃん?  ★ (6)&(7)⇒それほどご大層なことではないでしょう。・・・  ☆  分かりました。柔軟に・自由に。ということで。  ★ ⇒「水準」はともかく、質問をよく読んで、それによく見合う表現や雰囲気、よく見合う回答を心がけているつもりではあります。  ☆ 無難なご答弁ですなぁ。  ★ その「キザっぽい」言い方  ★ ⇒挑発しはりましたな!? もっとも、我ら、その「キザっぽさ」を楽しませてもらっているのかも知れませんが。  ☆ 今回は 不発ということで。趣旨説明欄が何もないので 空回りするかと思うので。《挑発》のしどころを間違えました。

回答No.12

その通りだよね。 最近堕落しているよ。 酔っ払った勢いが増えた。 具体的に最近の私の振る舞いで、特にいけない点を教えてくれないかい。

bragelonne
質問者

お礼

 自分自身に引き寄せて考えるようになっちゃった。  【Q:真善美・・・】でのやり取りで書いたぢゃん。    ぷらぷらというお弟子さんにも 去って行かれた仮面ライダー。  ご回答をありがとう。

  • Key_A
  • ベストアンサー率9% (55/603)
回答No.11

質問者の言う哲学が、一般人が使用する辞書に掲載されている 哲学とは大きくかけ離れています。だから、質問者に言われたら 無視するでしょう。韓国人の逆ギレと同じですから。 哲学というのは実証段階まで必要なのです。胡乱な造語を並べて 自己陶酔するのは決して哲学ではありません。それを認識しましょう。

bragelonne
質問者

お礼

 中身がにゃあーよ。  ★ 胡乱な造語  ☆ 根拠が示されていない。  わざわざのご投稿をありがとうございます。

  • neutral-
  • ベストアンサー率23% (3/13)
回答No.10

こんばんは、ぶらじゅろんぬさん。 Q:もっとしっかりと哲学せんかい。 A:言われなくてもしてますわ。 「しゅはり」は「主針」 あるいは「酒波里」ですわ。 もう寝ますおやすみなさい。    

bragelonne
質問者

お礼

 あれっ。IDが変わっている。  こんばんは。にゅうとらる-さん。ご回答をありがとうございます。  直前の回答のぷらぷら文章につきあっていると 透明かつ明晰なるあたまがこんがらがって来ます。  ★ A:言われなくてもしてますわ。  ☆ 《当意即妙》――何て言いましたっけ ヨーロッパの言葉で。・・・レパーティー?――の質問になったんだっけ。  ★ 「しゅはり」は「主針」 / あるいは「酒波里」ですわ。  ☆ なんのこっちゃ?    おやすみなさい。

noname#214841
noname#214841
回答No.9

「お礼」うけたまはりました。ぎやふん。 >守破離――をすすめて行くような内容のものであるなら 哲学とは、種把利ではないのですか。災ひの「種」を見つけたら、それを把(つか)んで、みづからの「利」としてゆく。

bragelonne
質問者

お礼

 ミレーの種を蒔く人。ぢゃないの?  あるいは 魂鎮めの内の魂振りのために むしろボディサトワなる人間はわざと争いの種を人びとのあいだに ひそかににしろはっきりとわかるかたちで明らかにしてにしろ 蒔く。こともあるでしょうね。  その種で争いのきっかけをつかみ 結果わが利益をつかむ。ようにさせる。――なああんてことは ないよ。  哲学は むろん自己を物指しとするからには自己中心志向であって利己を基本としますが ちょっとだけ・ほんのちょっとだけは 人びとの生活のために・共生のために利益となることを考えるでしょうね。  何の話だっけ。    あなたの哲学は 相手を煙に巻くためにある。ということらしい。  ご回答をありがとうございます。

noname#205106
noname#205106
回答No.7

アアアァァ( °∀°)ァァアアア あなたでしたか(#^.^#) 未だ成長して無かったのですね・・・ 俺は ドンドンと 心が成長したので それ処では無くなりました・・あなたのなら見なくても解かります じゃ( ´・ω・`)ノ~バイバイ

bragelonne
質問者

補足

 これは 中身のないご投稿をおせわさまでした。  いつまで経っても・・・ですね。

noname#214841
noname#214841
回答No.6

>もっとしっかりと哲学せんかい。 私は「せんかい」ではなく、「一回」で充分です。

bragelonne
質問者

お礼

 《しっかりと》していれば ですね。  ご回答をありがとうございます。  ただし まだ中身のことは互いに確認しあっていませんが。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10007/12518)
回答No.5

>もっとしっかりと哲学せんかい。 > と言われたら どう答えますか? ⇒そうですね。 関心はあるのですが、「しっかり」哲学しているかどうかと問われれば、確信はありません。 (1)どこまで行ってもゴールは見えないので、「哲学する」とはそういうものと考えて気長にやろう、と考えています。 (2)「常に同時に」(カント)哲学するプロセスこそ大事だと思います。その姿勢を称して、「哲学しておるな」と見ていただければ嬉しいですね。 (3)以前、学生の親御さんたちと対話したときのことです。多くの親御さんに共通する不満があることを知りました。うちの息子・娘は、親の言うことに満足な対応をしない、ということです。話しかけると、「別に~」とか「まあね」と言ってはぐらかす…と。 (4)ノーベル平和賞受賞者エリ・ヴィーゼルの言うように、人間たるもの「無関心は、最大の罪」だと思います。学生の親御さんたちに共通する苦悩は、その息子・娘の「無関心ぶり」だったのでしょう。 (5)「哲学する」とは、広く「関心を持つ、好奇心を持つ」ことである、とも言えるでしょう。少なくとも、非常に近いことである、と言えるでしょう。 (6)その昔、ある哲人は、友人らに言ったそうです。「丸い卵と細長い卵は味が違う」と。それを聞いた友人らはいろいろ食べてみて、「全然違わないぞ」などと詰問したそうな。 (7)哲人は答えました。「実はオレも違いは分からない。言いたかったのは、形が違えば味も違うかも知れない、と考えてみようということだ。キミらは、考える材料はいくらでもあるのに考えようとしない、と言いたいのだ」と。 以上、若干それたかも知れませんが、このような意味からも、bragelonne様がいろんな形で「哲学している」ことは大いに認めます。(ただ、その「キザっぽい」言い方だけは、ご一考いただきたいような感じがなくはありませんが。)

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 「しっかり」哲学しているかどうかと問われれば、確信はありません。  ☆ しっかりと哲学なさってますよ。  玉に疵は あたらしい仮説に必要以上にガードが堅いところでしょうね。  というのが しっかりと哲学している人間からのご返答です。  ★ (2)「常に同時に」(カント)哲学するプロセス  ☆ このくだりの意味を見落としてしまってはいけないでしょうから ご解説をできましたらお願いします。(つまり その点のカントをおぼえていなくてすみません)。  ☆ (3)は 細かく伺わないと分かりませんが 一般には 親のほう〔の生活態度=思想〕も いまひとつというところでしょう。  (4)。若いときには いくつもの分野で《関心がない》という場合は 出て来ざるを得ないと思いますが。つまりは 関心のある分野や主題に集中してもよいという考えですが。  ★ (5)「哲学する」とは、広く「関心を持つ、好奇心を持つ」ことである、とも言えるでしょう。  ☆ 《自分の考えを持つ。(または 形成中である)》ということが 大事だと思っているのですが。  つまり これこれの問題については まだ分かりません(まだ 自分の考えを持つに到り得ていません)とはっきりと言えることが 哲学していることだと考えます。  (6)&(7)。これは 例示があまり適切だとわたしは考えません。いろんな場合があるはずなのに ひとつの方向へと絞って引っ張って行こうとしているのではないか。というのが 反対の理由です。    ★ (ただ、その「キザっぽい」言い方だけは、ご一考いただきたいような感じがなくはありませんが。)  ☆ あぁ よかった。というより No.1の人と合わせてさらにもっと 《適切な》批判やののしりの言葉を受けるようでないと この質問の思わくが通じていないのではないかと思うところがあります。  むろん 初めから分かってもらっている方々には そうは思いません。ふたつに分かれているという意味ではあります。  なかい702さんは 総じて中身が水準の低い質問の場合に その水準に合わせて回答なさっていませんか?  そうでなければ あやまります。ごめんなさい。

noname#205106
noname#205106
回答No.4

あなたのプロフィールからウェブサイトまであるのですね(#^.^#) 知らなかった・・・まっサイトの方は多いみたいなので 時間があれば読んでみます・・・ 俺も そんなに暇では無いので・・・あなたから 此処を読んでとのポイントがあれば良いが・・・

bragelonne
質問者

お礼

 これはこれは。お堅い方で。  そうですね。たとえば 今回の質問のように これぢゃ何にも中身は分からないという投稿も中にはあるかと思いますが 質問も回答もどちらも一つ二つを見ていただければ だいたいの中身の判定に間に合いますから よろしかったらどうぞ。  ご投稿をたいへんありがとうございます。

回答No.3

君には私の哲学が理解できていない。 君には哲学っていうものがない。

bragelonne
質問者

お礼

 それは 外形的な判断に終わってしまいましょうね。  そうですねとも そうではないでしょうねとも お応えしかねます。  ご回答をありがとうございました。

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